神々のふもと

 戦争をしないにこしたことはない。
 金牛国においては、地主が所有する土地の広さに応じて軍に徴募される人間の数が決められる。とくに作物が実る繁忙期に主力となる成年男子を戦役に駆り出すのは好ましくない。それは国が誇る穀倉地帯と畜産動物たちからの取れ高を減少させ、国力の低下に直結する。大枠で見てもよろしくないし、だいいち民も幸せにならぬ。
 広大な田畑に苗が芽吹き刻々と青葉を伸ばしていくのを、山から降りた風がなでて、鮮緑の毛皮をうねらせる光景が広がっていた。牡牛王子は田畑の間に続く太い馬道をドサンコ馬に乗って家来ともども進んでいた。
「今年も作物が順調に育っていて、いいことだな」
 このまま農地になっている平野を抜けて国境際の山岳地帯へ向かう。家来たちも汗ばむほどの暖気と日差しに焼かれながら、牡牛王子ののんびりした口調にあわせ故郷の話をするなどして和やかに隊を進めていった。温厚で戦いが嫌いな者もいるが、みな他国民が思うほどのろまではないし、容赦ない自然と日々戦っているだけあってしかたがないと腹が据わればどんな命も淡々と屠殺するナタのような強靭さがある。
 行き先であるプレアデス山脈地帯の一角には、金牛国の要衝となっている城塞都市があった。



 金牛国北部にそびえるプレアデスは、金牛国と滅亡した人馬国を隔てている無数の山脈地帯から成る。大陸有数の標高を誇るこれらの山脈は上層が万年雪に包まれ、南北両国への水源ともなっている河川・水系を形成した。現地に長年住んでいる少数民族の協力なしには山を生きて越えることすらかなわず、迂回路となる渓谷地帯には長城と国境関門としての城塞都市が築かれた。
 今は、それが人馬国を滅ぼした獅子国との関門になっている。

 国土を拡げた獅子国が、占領下においた旧人馬国の民から食糧を吸い上げているという話は牡牛王子の耳にも入ってきていた。そんな中で獅子国の第二王子に会談を申し込まれたのだ。向こうの王族が直接出てくるとなればこちらも然るべき立場の王族が応じなければならない。
 元から金牛国と獅子国は軍事同盟関係にあるが、この上何を求めてくることがあるのだろうかと牡牛王子は内心警戒している。正念場らしいからこそ怠けたいなあという気持ちもあり、それらが相まって馬上で腰が重くなるのだった。
 やがて農地が途切れ、岩くれじみた土壌と針葉樹林が囲む城塞へと入る。土塁と石積みで形成された城で二晩ほど過ごし、準備をととのえると獅子王子の軍勢がやってきた。近衛師団の小隊が三十名ほど。いずれも彼の国が生産する鋼の甲冑をまとう。
「頑強一徹な城だな。少々目立ちすぎるかもしれんが友好のあかしに土産をもってきた。飾りにでもしてくれ」
 獅子王子は専用の紋章をあしらった胴鎧とマントの上から豪奢な金髪をなびかせ、城の司令室まで通されるなり侍従に持参させた飾り杯を応接卓に置いた。これで牡牛王子とは年齢も一つしか違わない同士だ。牡牛王子は軽装に王族の飾り帯をまとってこれを迎えた。杯を眺め「金属細工が華やかで見事だな。ありがたく頂戴する。飾り場所をこしらえよう」と穏やかに返す。牡牛からは選りすぐりの素材を用いた塩入りミルクティーが供され、獅子が儀礼的な微笑とともにひとくち含んだ。
「毒見役を通してもよかったのに」
「フッ。毒でも入っていたか?」
「塩が多すぎて寿命が縮むとよく言われる。この塩が美味いんだがなあ」
「なるほどな。美味すぎて早死にしそうだ、俺は」
 獅子の豪快な哄笑が牡牛の笑い声と一緒に部屋中に響いた。牡牛も同じ塩入りミルクティーを飲む。「貴公には酒を持ってくるか料理人を連れてきた方がよかったようだな」と獅子が軽口を飛ばすと、牡牛が笑いながらしみじみうなずいた。
「そちらの国はお変わりないか。牡牛王子」
「今のところ作物に響くような天変地異は起きていない。そちらはどうだ、獅子王子」
「世間に伝わっているとおりだ。貴国が我が国との同盟を堅守してくれたことに感謝する」
「じいさまと……うちの先代王と獅子王殿との取り決めだからな。もちろんだ」
 王の名を出したことが微かに相手の矜持を刺激したのか、獅子王子は猫科の微笑を口元にふくめたあと、大きな身振り手振りを交えて、自ら率いた獅子国軍の戦いぶりを英雄譚のごとくきかせた。牡牛は踏み入ったことを訊かずそれにほどほど付き合って場をつないだ。あくまでこの会合は獅子国による表敬訪問、という形で終わらせたかったのもある。面倒事は御免こうむりたいという個人的なものぐさぶりが国益とも一致していたのだから仕方ない。



 途中で場が停滞してくると、牡牛は気分転換にと獅子を城の屋上へ案内した。この城の内部は司令室ふくめ退屈な造りだが、屋上からは長城の片側に広大な平野を、もう片側に峻厳たる山脈を臨むことができる。
 獅子は話を振られれば何時間でも自慢話を続けられる男だったが、それらの言葉は屋上から山脈を見上げる際に自然と打ち切られた。
「──貴国ではプレアデス山脈と言うのだったか。この地域の山は、反対側の我が国からはオメガ山脈と呼ぶらしいな」
 エメラルド色の眼光が獣のように鋭く牡牛へとつきつけられた。牡牛は黒曜色の瞳を細め、「そうだなあ」とことさらゆっくりとした口調で答えた。
「山を越えて、そちら側へ亡命した人馬国の生き残りはいないか。もしいるならば我が国へ知らせてもらおうか」
「……それもこれまで通りにやっているぞ? 昔からそうだ。法に則らずにうちへ永住しようとする者たちは、一人残らずきちんと元の国へ送り返すようにしている」
「人馬紛争の際、そちらへ亡命したものたちはどうした」
「正当な移住手続きを踏んだものは金牛の民になった。それ以外は送り返した。なにも変わらない」
 牡牛は柔和な微笑をたたえていたが、その実よけいなことは一切喋らず、獅子がじりじりと覇気を強めても岩のように動かなかった。獅子は、さらに押して発言した。
「牡牛王子、一度しか言わんぞ。射手王子の身柄を追っている。もしそちらで預かっているなら引き渡してもらいたい」
 低く圧のこもった獅子の言に、牡牛はぎょっとした。すぐ太い首を横に振った。
「いや、そんな報告は来ていない。疑いをかけられているのか? それなら心外だぞ」
 実際これまで射手王子が金牛国を通った話を聞いていなかったし、国交レベルで疑われてはまずいという思いもあった。牡牛が「射手王子が生死不明という話は聞いているが、そちらでは何も把握していないのか」と聞き返すと、獅子の目が懐疑に険しく細められる。
 射手がどこかで明確な狼煙を上げない限り、この軍事国家の王子は隣国に嫌疑をかけ続けるのではないか。余計な扇動ひとつでそれは戦争の火種になるのではないか──生存本能からくる直感が牡牛の背骨へ冷たいものをのぼらせた。
 それから、一息置いて腹が立った。なぜ自国がそんな割りを食わねばならんのかと。その怒りの虫が牡牛の気を確かにさせ、反論へと繋げさせた。
「プレアデス−オメガ山系を常人が歩いて越えるなんぞ不可能だ。まず凍りついて万年雪に沈む。特に秋から冬にかけては現地民さえ小屋にこもって動けぬと聞いている。春から夏にかけて登れば雪解けの下から死体が出るから、気になるならそちらで捜索すればよかろう」
「射手王子が既に死んでいるというのか。俺は生きていると思うがな」
「根拠はあるのか」
「無い。だが生きていてもらわねば困る。俺も探す張り合いがなくなる」
 横へと逸らされた獅子の視線が拗ねた猫じみていた。紛争の起こる前、獅子が八歳ほど年下の射手と懇意にしていたのを牡牛は思い出した。その関係下でどうして人馬国へと攻め込んだのかと訊くのは野暮であり、口には出さなかったが。
「どうして貴公が直接射手王子を探しているのか知らんが、我が国としては仮に射手王子が亡命してきたとしても庇う益がない。人馬国の土地は接収されて残っていないわけだし、王子本人を美術品扱いもできんからな。射手王子を庇ってそちらと揉め事になるより、同盟に則って身柄を引き渡したほうが安全で理に適う。違うか?」
「……」
「わざわざプレアデスを越えずとも、あの国ならさらに西南へたどれば白羊国への国境に出られる。あるいは北へ向かって海側へ出る手もある。海から先はうちでは預かり知らぬよ。あいにく金牛国は昔から海をもたぬ国でな」

 しばらくの間、重苦しい沈黙が両者をつつんだ。獅子は射手の死の可能性をはなから信じていないようで、その全身からは手強い執着じみた熱が陽炎のごとく滲んでいた。
「なぜ、射手王子を探す?」
 牡牛の問いかけに対し、獅子は黙考する。やがてその口元が引き攣れたように強く笑んだ。
「やつが俺に必要なのだ。
 あれが俺の前にひれ伏し、亡国の王子として忠誠を誓う姿を、お前も見たいだろう?」
 鉄錆、血の匂いが鼻先にぷんとつくような笑いようだった。獅子王子のまなざしの中に、黄昏の戦火の色を牡牛は見た。血を流すことが只の手段になってしまった人間が権力を手にした時の顔。手に入れがたい高貴なものを手中におさめ、足元に跪かせたときの言いようのない高揚感と官能を美酒のごとく欲する顔。──どうしようもなく、なにかが、この男の中で本来あるべき方向から曲がってしまっている。
 一方で、射手王子には周囲に知らされていない重大な利用価値があるということも牡牛は打算的に理解した。それが国政的なものか、獅子王子個人の範疇にとどまるものかはわからない。
 手元に身柄を押さえていれば政治交渉の手札にできるようだが、残念ながらその行方は杳として知れない。
「人馬の首長たる部族は、神々の山に住まう狼の化身だという噂もあるぞ」
「……?」
「家畜ならともかく、狼は飼い慣らせぬと思うがなあ。番犬にもならない。絞めて毛皮にするしか人間には使いみちがない。
 うちには射手王子はおらんよ。いないが、もし見つけたらどんな見返りがもらえるのかね。それは気になるな」
 山おろしに扇がれる両者の間に気勢がぶつかりあう。獅子王子はこの世の全てを従えんとする巨大な熱気を放ち、牡牛王子は山野のごとく泰然としてそれをいなした。
 無用の闘争は好まないが、退いたら利を失う場所では決して退かない。それは牡牛と金牛国が生易しくない隣人たち──獅子国、白羊国、人馬国の三者と付き合っていく上で覚えた立ち回り方でもある。
「何が欲しいのだ。牡牛王子」
 傲慢に言い捨ててくる獅子に対し、牡牛は「うーむ」と腕組みをしながら考え込んだ。
「まあ、本当に射手王子が見つかったらちゃんと考えるさ。今のところそちらの国に貸しているものも借りているものもないしな。金でも土地でも牛たちでも美術品でも嬉しいぞ」
「そんなものでいいのか」
 獅子が鼻先で笑う。牡牛はおやと思った。まるで射手王子さえ手に入れればそんな代償はあとでいくらでも穴埋めできると言わんばかりの態度だったからだ。
「貴公と金牛国への礼ならば惜しみはせん。射手王子を見つけたら、いつでも言ってくれ。ただし生きたままでなければ困るぞ。狼の毛皮に興味はない」
「……覚えておこう」
 獅子は一旦満足したようにうなずく。長城が分断する土地のあいだで、もっぱらその関心はプレアデス−オメガの山々の方へ注がれているようであった。



 プレアデスの山々は、その稜線を越えるとかつての人馬国へとひらけ、人馬の民から神々の住まう山として崇拝された。金牛国側の山あいに住んでいる現地民も、ある一部の領域には踏み込むことを避ける。その領域に至るルートは竜の巣と呼ばれ、豪雪と雪崩が年中頻発していた。
 アスクレピオスが眠る山。
 蒼天のもと、プレアデスの峰が太陽を突き刺さんばかりにそびえるのを獅子は野心に満ちた目で見上げている。別にろくな作物も実らんのに、と横から牡牛は思っていたが、やがて彼は腕組みをしたまま共に山嶺を見上げ呟いた。
「先人が神がいると言い残してきたような場所は、えてして人の手には余る」
「ああ。だが無闇に怯むこともあるまい。我らの祖先は創世神から大地を簒奪し続けて国を成してきた」
 簒奪の先にある栄光を疑いもしない口ぶり。自分とこの王子とでは見えているものが違うと牡牛は思った。自分ならば山脈側ではなく反対側にある緑の絨毯を見つめるだろう。広大で肥沃で多くの富をもたらすこの土地を愛でるだろう。──なのに、この王子はなぜ?
「よくわからんなあ。山は雪ばかりで作物もとれんし、岩肌に鹿や野ウサギがいればいいぐらいでそうジロジロ見るようなもんでもないと思うが。頂上まで行って太陽でも掴むかね」
 退屈そうに言ってのけた牡牛の横で、獅子は大口の笑い声をあげた。
「太陽を掴むか。良いな! その言は使わせてもらおう」
 年齢もほぼ変わらず、幼少期から互いに顔も性格も見知っている。そんな王子が急に隣国を攻め滅ぼし、王族の首を撥ね、自国に極光をもたらしながら敗れた国の民を蹂躙していく。射手の顔や性格も知らないわけではない。牡牛には獅子の戦乱を好むやりかたが、ただただ理解できなかったが、国家間外交においてはそれで何から何まで拒絶するわけにもいかない。
 牡牛王子をとりまく政治情勢は一気に難しくなってしまった。
 こうして自分が獅子王子を接待しているあいだ、国の西にある国境では父の金牛国王が白羊国との極秘会合に臨んでいる。新たな同盟の可否を決める会合であり、いずれは獅子にも情報が漏れ伝わるだろう。ただ今はまだ目の前の相手に悟られるわけにもいかない。時間稼ぎ、国ぐるみの保身に徹することに何らためらいはない。
(全くもって戦のためには何もしたくない。指一本動かすのすら億劫だ。うちが畑を作っている間に獅子国が勝手に三つか四つに割れたりしないものだろうか。昔からでかくなりすぎた国は割れると相場が決まっているだろう。神とやらがいるなら何とかしてくれんものだろうか)
 横着心丸出しで山頂を見上げて、すぐには無理だろうなと溜め息をつく牡牛だった。横から「おい、どうした」と獅子の横柄な声が聞こえてきた。


 - fin -

作品データ

初出:2023/11/29
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