連合構想

 処女国の首都は計画的に建てられた町並みが幾何学美をともない、そこへ空や雲や風、拭き揺れる木々と舞う木の葉といった有機物のゆらぎがあわさって、絵葉書にもされるような風情を生み出す。
 獅子国・双児国間の政治的緊張が高まりつつある中、乙女王子は馬車を進めて国立蔵書館の旧館へと向かっていた。日々の分刻みのスケジュールに急遽挟み込まれた会合だった──といえば聞こえはいいが、人間は時間と違って気まぐれに動く個体がいるのが常で、それがなまじ地位を持っていたりなどするとこうなる。乙女王子の口からもれた溜め息は馬車を引く馬の蹄音にかき消された。
 国立図書館は旧館だけでその蔵書数が三千万点を超える。後年になって同規模で建立された新館は国民に広く開かれ、年ごとに約二十万点程度の書物を新規収録する。一方で貴重な資料は旧館へ集約された。旧館建造時にはただ合理的なだけでなく知識という宝物を侵入者から守るという意図が盛り込まれており、結果その内部構造は迷宮の度を極めている。
 その迷宮の構造を正確に記憶している人間のうち、最年少にあたるのが乙女王子らしい。細い張りのある黒髪と翡翠色の瞳、最高級の民族服に身を包んだ骨っぽい背格好は、見るものに神経質そうな印象を与えた。さながら要塞のように佇む旧館の最も新しい鍵といったところか。
 乙女王子を呼び出した来客は旧館の閑散とした中庭スペースで従者相手に剣術の稽古をしていた。衣装のあしらいに目立って混ざる絹や金糸刺繍がなければ海賊と見間違いそうななりをしている少年。待ち合わせの時間より先に来ていたのは確かなので、乙女王子が「おまたせした」と声をかけると彼は稽古をとめて振り向いた。
「乙女王子! お久しぶり」
 木材を彷彿とさせるアーモンド色の虹彩に、活き活きとした潤いと光をたたえて明るく笑う。牡羊王子は約一年ぶりの友人との再会を心から喜んでいるようで、その純粋さが乙女としては何とも憎めないのだった。



 乙女王子より五歳年下、白羊国の牡羊王子は昨年三ヶ月ほど処女国へ短期留学していた経歴があり、国民にもその存在が知られている。乙女としてはようやく帰ったと肩を撫で下ろしていた国賓がトンボ返りしてきたようなものだ。
「忘れ物でも取りに来たか」
「何だよーそっけないな。オレにとっては第二の故郷みたいなところだよ、この国」
「そこまで言ってもらえるのはありがたい限りだが」
 旧館の応接室には中庭からの日差しが柔らかく差し込んでいる。牡羊の留学中、旧館の案内役を兼ねて乙女が家庭教師代行をしばしば務めた。遠い異国で親身に接してくれる年上の王子の存在に牡羊がどれほど心強さを覚えたか知れない。やたらと濃い茶に砂糖をたっぷり入れたティーカップも、牡羊は慣れた調子でごくごく口に運ぶ。
「土産といっちゃなんだけど、ウチの国で作ってる最新の海図ができたからさ。写しを持ってきた」
「ほう?」
「あとでオレんとこの家来からちゃんとした形で乙女んちに贈るよ」
 気ぜわしくテーブルに羊皮紙の大巻物を広げる。展開された海図を検める乙女の目が鋭く光った。牡羊はといえば海図を見渡す表情が誇らしげだ。
 白羊国製の海図は、かの国が座する黄道大陸だけでなく西域の海を越えて向こう側の大陸までの航路をも記するものだった。乙女にとっては細部が掴めていない領域である。羊皮紙のインクに触れぬよう、すれすれを指でなぞる。
「……白羊、金牛、巨蟹、獅子、天秤、双魚、双児、処女、天蝎、磨羯。黄道大陸の全域を網羅しているわけだな」
「そう」
「人馬は消したのか」
「消すしかないだろ。獅子が占領しちまったんだし。これは最新の海図だしさ」
 現在の政情に対する王子たちの心境は複雑で、どちらかといえば牡羊の方が獅子国・人馬国間の戦争に心を痛めている。乙女が乾いた口調で訊いた事柄に対し、牡羊は年若な少年らしいやりきれぬ表情をみせた。
「オレさ、なんか、何もできなかったのが悔しくて。……獅子王子も射手王子もいい人達っていうか、すげーカッコいいお兄さん達でさ、剣術試合したら二人共めちゃめちゃ強いし、笑い声が豪快で聞いたら絶対いいヤツだってわかるんだよ」
「……ああ。私もお会いしたことがある」
 乙女が回顧する射手王子は、自分と年齢の近い気さくな人物だった。右眼に馬革の眼帯を着用し、左眼にまとう榛色ヘイゼルの虹彩は夕陽を映しこむと赤みを帯びて琥珀色にうつろった。ウルフ・アイとも呼ばれる色味だ。ぞわつくほど高貴な眼を、しょっちゅう些細なことで笑って細めていた印象がある。
 そして獅子王子、特に第二王子は各国の王子達の中で年長者でもあり、軍事国家の王統らしく常に威風堂々とした振る舞いで周囲を圧倒した。蜂蜜色に近い金髪とエメラルド色の瞳が誰の目にも豪奢だった。乙女にとって意外だったのは、彼が他者の誇りを常に意識し尊重しようとしていたことだ。いま双児国を脅かさんとしている第一王子が外交においても傲慢さを表していたのとは対照的に。
「カッコいい人達だったよな?」
 と確認してくる牡羊に乙女は首肯した。
「そうだな」
「うん。それがなんで国を挙げて殺し合いなんかしてんだよって。二人とも国のアタマに近いところに居るんだからさ、止めろよって、言いたくて仕方なかった。大人なのにそんなこともわかんねえのかよって」
 応接室に匿われて牡羊王子が見せる顔は年相応の少年のそれだった。自国の心配より先にそれを率直に表出できる彼もまた、王子としてはいいヤツの部類だと乙女は見做している。同時に指導者としての資質は牡羊の方が優れているかもしれないとも。
「白羊の国の方々はどうされている?」
「もう獅子国が攻めてくる想定の話を進めてる」
「貴君はもっと好戦的かと思っていたが、浮かない顔じゃないか。牡羊」
「殺し合いは嫌に決まってるだろ。嘗められるのはもっと嫌だからしょうがないけど、戦うんだったら誰も死なない形がいい」
 乙女は、年下の王子のぼやきについ口元で笑った。最近の殺伐とした空気を思えば慰めに感じるほどだ。牡羊はそんな乙女の顔を見て、ティーカップ片手に思い切り姿勢を崩してくつろいでみせる。
「この黄道大陸があって、ミルク洋があってさ」
「ミルク洋?」
「大陸に面してるでかい海の名前」
「ああ、なるほど。処女国では星大洋と呼んでいるよ」
 同じ海原でも、その名称は国ごとにちがっていた。白羊国では夜空にできる星々の白っぽい帯を女神が天空に流したミルクの筋に見立てて『ミルキーウェイ』と呼び、それが空の端から水平線を介して海へ流れ込んでいると考えて、大陸をとりかこむ海原をミルク洋と名付けた。かたや処女国では星々の帯は『天の川』と呼ばれた。それらが水平線を通じて海へと至っていることから、海原は星大洋と称される。
「海図にはミルク洋ってでっかく書いてあるだろ。悪いけどそういうもんだと思ってほしいな」
「……こっちの別大陸側の海もそうなのか? 黄道大陸から遥か西の方に描かれている」
「そっちはマゼラン洋。マゼラン洋と面してる大陸は西極大陸っていって、うちの国に近い地域に剣魚かじき国と卓山テーブルさん国ってのがある」
 牡羊は年上の乙女にも物怖じせずにすらすらと海図の内容を伝えていく。西極大陸、剣魚国や卓山国についてはまだ伝聞レベルの事柄が多く、黄道大陸有数の航海ノウハウをもつ白羊国によって近年その存在が発見されたばかりだ。
「白羊国は西極大陸の全図も持っているのか?」
「渡来ものの地図は一応あるけど、うちの国からの測量が追いついてないから今は話半分にしか使えない。実際マゼランの先にはさらに別の海と大陸があるっぽいんだ。その先も、もっと先もあるだろうって」
 当代、人類は未だ世界の端へ到達できていなかった。果たして世界の果てはどうなっているのか。寓話のごとく巨大な亀の背に平板な土地が乗っているのか、はたまた円環のごとく反対側へつながるのか、確かめるすべもない。
 話が遠くへ及びすぎていると感じ、引き戻すように乙女は近場の懸念点を口にする。
「そのうちお前の国に、別大陸からの資源が山と入ってくるようになるのだろうな。金属か香辛料か、あるいは奴隷か」
 そうなると、また黄道大陸全体の勢力バランスが変動することになる。
 牡羊は乙女の示唆に指導者後継らしい勝ち気な微笑を浮かべかけたが、すぐに肩をすくめて首を横に振った。
「そうなるにはまだまだ海がデカすぎるって! でもそうだな。オレが王様になるぐらい、何十年か経ったらそうなるかも」
「牡羊王子も、我が国に留学されたからには礼の精神を覚えて帰ってもらいたいものだ」
 暗に思い上がって領土拡大など目論むなよ歴史が古いのはこちらの方だぞと念を押す。言っていることはさほど道を外れてもいないのたが、牡羊は敬虔な振る舞いを強要されそうになると、目上相手でも正面から「べーっ」と舌を出した。それに対して「こら!」と遠慮なく叱りを入れるのも乙女は慣れたものだった。



 広げた海図を前に話は各国情勢へと続いた。獅子国が双児国へ攻め込むまで残された日数はそう多くはない。湿気がかった導火線がじりじり爆ぜ進んでいるのをどの国も消しきれないでいる。
 危機的情勢を前にして、牡羊の眼差しは国ごと前進させようとする烈気に満ちていた。
「最低でも獅子国に嘗められないレベルまで勢力を集めて、まとめなきゃ睨み合いにも持ち込めないだろ。話し合いが通じる国だったら人馬国は滅びてなかったはずだ」
 乙女が双児国へ対する支援を自国でも進めていると説明すると、牡羊は「ぬるいし甘いと思う」と丁寧なトーンで一蹴した。それから、海図の国々を次々に指差した。処女国から始まって双児、双魚、天秤、巨蟹、そして白羊。


【大陸地図(新版)】

「環ミルク洋の六ヶ国を端から端まで全部集めて連合を新しく打ち立てる。最初のうちは巨蟹と白羊は抜いてもいい。最低でも処女・双児・双魚・天秤、四ヶ国分の軍事力を一個にまとめて、どれか一国でも手出したらタダじゃおかねーぞっていう風に獅子国側にガン飛ばして、そうすれば多分ギリギリの力関係には持ち込める」
 迷いなく語る牡羊だけでなく、乙女も内心検討はしていた内容であった。今の獅子国は一枚岩ではなく三つに割れた板の集合体だ。戦力比による膠着状態を生み出すには、割れている板の一枚を凌ぐ程度の戦力を集められればよい。可能なら双児・処女・魔羯の三ヶ国でそれを成したかったものだが。
「そして、双児国が陥落するとこの構想は使えなくなるわけだな」
 乙女の返事に牡羊ははっきりとうなずいた。
「双児が落ちたら次はあんたの国が危ない。地理的に分断されて孤立するし」
「獅子国第一王子の野心が如何ほどかにもよるが、可能性は十分あるだろうな。そちらの国も直ちに金牛か巨蟹と連合を組まねば危うかろう。双児が落ちると獅子の第一王子と第二王子の勢力が拮抗する」
「そっちは親父と領主連中が動いてる」
「流石に『兵聞拙速、未睹巧之久也(戦はつたなくとも速やかに進めるべし)』を体現するお方々だ」
「……なあ。オレはあんたを立ててこの話を最初にあんたの所へ持ってきたわけだけど、処女国でこれはやれるのか? やれないのか?
 ウチが旗を振ったほうがいいって言うんならそうするぜ?」

 乙女は応接椅子に深く腰掛け、腕組みをしたかと思うと眉間に皺をよせて目を伏せた。しばらくそうしていた。願わくば理を尊ぶこの国で、いつまでも書物を伴に暮らしていたかったと思う。人にも指導者に向く器と向かぬ器があり、自分が向かない側の人間であることはとうに承知している。
「現実問題として大戦回避のために有効な策であることは認める。私から父王に具申しよう。だが四ヶ国で協調となると、調整が間に合うかどうか」
 真っ直ぐに乙女を睨みつけてくる牡羊の顔に、微かな苛立ちが浮かんだ。本人の若さもさることながら元々気が短い性格なのだ。乙女は組んだ腕を解き、牡羊が何か言い出しそうになっているのを手で制した。
「先ず、この連合の結成を獅子国は決して許さないだろう。大国ほど対抗勢力の誕生に恐慌をきたし、潰そうと躍起になるものだ。今回は間に挟まって緩衝材になってくれる国も存在しない。ここ数十年、各国が獅子国との間に築いてきた関係値が著しく悪化することを覚悟しなければならない。
 もう一つ気になる点もある。天秤国は永世中立を旨とする国だ。今回のように敵味方を明確化してしまう連合には参加しない可能性が高い。天秤が与しなければ、実質的に軍事力を共有している双魚国も参加を見送るだろう」
 細部まで段取りを吟味して運ばなければ、運の悪い国から獅子国による逆鱗のあおりを受けることにもなりかねない。……そのように乙女は説明したつもりだったが、牡羊の解釈はやや異なっていた。
「ウチが旗振って、天秤国と話つけてまとめてくりゃいいってことだな」
「検討箇所がとにかく多いから早まるなと言っているんだ……!」
 眉のしかめぶりを険しくする乙女に対し、牡羊は悪態がわりに乙女の顔を煽りつつ「べーっ」と反抗姿勢に入った。
「やっぱり今のうちに来といて良かったよ。あんたの国のことだから平和ボケしてるんじゃないかと思ってたぜ」
「何もしていなかったわけじゃない」
「そうか? 戦う気概がなくてどうやって獅子国の連中をいなす気だったんだ、あんたの国は」
「我が国は何よりも理を重んじる国だ。王族であればいっそう厳しく法と理をもって事にあたる」
「そりゃテメーのとこが一番強くなきゃどこにも通用しない話だなァ!」
 小柄な少年の身体を闘争心で何倍にもふくらませて、牡羊王子は乙女王子相手に一歩も譲らなかった。乙女は乙女で言葉を飲み込んだ。どうして王族という人種はどいつもこいつも厄介で融通が利かないんだというぼやきを。
「とにかく、私一人で決められる話ではないから今日は話だけ受け取っておく。なるべく具申を急ごう。貴君はいつまでここに滞在している?」
「すぐに発つよ。天秤国までは早馬でどれだけぶっ飛ばしても時間がかかるからな。あんたの直属で頑丈なのを一人貸してくれ。天秤と話すことができたらすぐに折り返させて知らせる」
「面の皮の厚い奴だな……」
 それも手配するから宿を知らせてくれと乙女が声をかけると、牡羊は港近くの宿名を告げて席を立った。この若き王子はせっかちな上に人を巻き込む。これが王になった日には、家臣たちはどれだけ振り回されることか。
「家臣らにあまり無理をさせるなよ。誰もがお前のように素早く走れるわけではない」
「ヤマを越えたらそうさせてもらうよ。本当は酒かっくらって歌って踊ってるのが好きな奴ばっかりなんだ。ウチの家来はさ」

 足早に別れの礼をし、旧館の出口へと向かう。乙女が見送りのために並んで歩を進めると、牡羊は視線を前に据えたまま早口に思いを漏らした。
「射手王子と獅子王子がどっちも手を出すなって言っててさ。両方プライドがあるだろうからって手ぇ出さないで動かず見守ってたのを、オレは後悔してる」
「……」
「オレが両方ともぶん殴ってやめさせればよかったんだ。そしたら余計な殺し合いも起きなかった。オレがいずれ国のアタマになるんなら迷わずそうしなきゃいけなかった。自分じゃない人間を全部引っ張ってくんだから、付いてきてくれる奴を死なせちゃだめだ」
 このまま手をこまねいて他国が滅ぶのを漫然と見ていれば、戦火はいずれ自国に及ぶ。牡羊王子は他国の指導者達に対して慎むことをやめた。たとえ相手が全員年上だろうと関係ない。多国間にわたる事業も、遠慮なく自分が前に出て主導権を握っていく。
 旧館の出口、公道沿いの林に乗馬がとめられていた。牡羊は館から陽の下へ早足に飛び出すと、侍従の手を借りて直接馬へと飛び乗った。そよ風が牡羊たちと見送りに出た乙女をそっと煽っていく。
「牡羊王子。天秤国と交渉するなら、向こうの上にも下にも立つな。同じ水平に立って話をするよう心がけろ」
 牡羊のアーモンド色の瞳が、馬上からきょとんと乙女を見た。
「あの国の王族は公平を尊ぶ。能動的で強い相手に屈さない性質はお前の国と似ているが、おそらくお前とは水と油のように合わない部分もあるから……もし違和感を感じたら一度よく観察することだ。我が国とは何もかも毛色が違う」
「……なぞなぞか?」
「忠告だ。道中達者でな」
 乙女の言葉を咀嚼しきらぬまま、一旦腹においてうなずく牡羊だった。
「急に押しかけて世話かけた。あなたも、どうかまた会うまでご無事で」
 さっきまであんた呼ばわりだった口調が急に殊勝な形になる。乙女が口調の変化を質す前に牡羊王子は馬を動かし、大きな蹄音とともに公道の先へとみるみる馬影を小さくしていった。

 乙女は馬影が消えていったあとも公道を眺め、頭の中で牡羊に同行させる家臣のめどを立てていた。以前にも天秤国まで陸路で渡った人間がいるはずだから行かせよう。とにかく健康な者を選ぶ。性格は多少荒っぽくとも、牡羊王子であれば使いこなすだろう。
 自分はひとの補佐ばかり細かくてきぱきとこなして、一国の王になるには、とことん向いていない。
 年下の王子の勇敢な姿を目の当たりにして痛感させられた。帝王学の試験でもすればどちらが何点とるか、細かい数字の格差まで思い浮かぶようだった。


 - fin -

作品データ

初出:2023/11/9
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