焦心

 日一日と、僕はこの身を焼いてゆく焦燥に突き動かされてどうにかなっていたんだと思う。
 不吉な予兆は市場から始まった。双児国の市場はこの大陸でも各国の商品が流通するマーケットとして知られているが、それが人馬国の滅亡後、後退と揺り戻しを繰り返しながら双児国に不利な流れを見せた。他国の投資家たちが双児国の商人・企業家たちへの投資を渋り一部撤退を始めている。
 「政情への不安」という漠然とした答えはあったが、実際はもっと具体的だった。知識人たちの間では獅子国が次の侵略対象にこの双児国を選ぶのではないかという噂が流れていたのだ。

 一年前だったか。商売のついでに立ち寄った処女国の蔵書館に白羊国の王子がたまたまいたことがあって、僕は当時弱冠十四歳だった牡羊王子に恐ろしい言葉を口にされた。
「双子王子。別に脅すわけじゃないんだけどさ。あんたの国って攻め入っても両隣の国がどっちも戦争嫌いだろ。あと一個の獅子国はデカくてちょっと気になるけど。軍事同盟もそんなに強力なのは結べてないし、あんた戦争になったらよっぽど上手く立ち回らないとすぐに国滅びるんじゃないか」
 ぎらぎらと光るアーモンド色の大きな目。そこら辺の郵便小僧と同じ程度の体格しかない体の中に、こと国家軍事にかけてだけは天才的な学習能力を持つ野獣の頭脳が詰まっていた。笑顔でごまかしはしたが背筋に寒気が走ったのを今でも覚えている。かの国の王子は「自分たちが戦って勝つための勉強」という名目で地政学を学びに処女国の蔵書をあさりに来ていた。
 僕の国の立地条件には確かに若干不安な点がある。両隣にあるのは処女国と双魚国。片方は戦いを好まない儒教国家、もう一方は大陸随一の宗教国家だ。この二つにもう一つ大国の獅子国が隣接し、双児国周辺の政情はここ数十年安定を保ったまま経済発展に専念し続けてきた。

 約一ヶ月前、人馬国が獅子国に攻め込まれ滅亡した。血に飢えた獅子が再び動き出したという喩えがしっくりくる。獅子国内部では三人の王子の間で王位継承権をめぐった争いが加熱しており、戦いを好む王家の気質もあって次はどこかという議論が世界中で急沸騰した。獅子国と双児国を除くとこの大陸にはあと八つの国家が残っている。


【大陸地図】

 まず白羊国。立地的にかなり危険だがこの国は海をまたいで他大陸の国との緩衝材の役目を果たしている。
 それから金牛国。ここは獅子国と軍事同盟を結んでいる同盟国で優先度は低い。
 巨蟹国。島国だ。獅子国は海軍がそれほど強くないためここもすぐに攻め込まれる可能性は低い。
 処女国。ここは獅子国の他に天蝎国や磨羯国、またわが国とも隣接した地理上の要所になっている。いつか攻め込まれる可能性大だが今ではないという見方が強い。
 天秤国。国境の半分以上を獅子国と分かつ中立国だ。背後は海。立地的にとうに攻め込まれていてもおかしくないのに独立を保つのはなぜか? それはこの国の外交戦略と軍事力が並大抵のものではないからだ。加えて隣国、宗教国家の双魚国は天秤国が(あくまで傭兵形式だが)軍事的な防衛力を提供していることもあり、天秤国の国防に関して非常に協力的である。
 天蝎国。ここは砂漠の中にあり、獅子国も警戒して注視している。将来的な攻略予備軍。
 磨羯国。地理上この国に攻め込むには処女、双児、天蝎、いずれかの国を先に制圧しなければならない。しかも島国だ。
 双魚国。宗教国家のこの国は、ひとたび戦争になれば敵国の為政者にとって長く多大なダメージを与える国だといわれている。国家と言うより世界的な宗教の一宗派を皆殺しにする覚悟がなければ戦争を仕掛けるべきではない。天秤国もこの国が攻撃された時には直ちに調停という形で干渉してくる。
 ……これが今のところこの大陸にある第三国のすべて。

 現在双児国は獅子国と通商条約以外の協定を結んでいない。天蝎国と軍事同盟は結んでいるが、これは片一方の国が二カ国以上と同時に戦争状態にならない限り中立を保つ「防守同盟」と呼ばれる類のものだ。(獅子国と金牛国間の軍事同盟もこれだ。金牛国は獅子国と人馬国が戦争状態にあるときも参戦はせず中立の姿勢を保っていた)
 処女国とは歴史的な付き合いが深いのだが、もともと儒教国家であるこの国はいたずらに戦争をするのを好まない。援助があるにしても王族・貴族間の個人的な援助に限定されるだろう。
 敵の敵は一時的な味方という諺がある。しかし背後に海を構え獅子国の敵を持たないわが国は、攻守共に薄いのだ。他のどの国と比べても。先に滅びた人馬国もこれに近い立地条件だった。



 黄昏るにはまだ早いと自嘲しながら、僕は背中を焼く感覚にさいなまれて隣国・処女国へと馬車を走らせていた。僕より三つ年上の王子の顔が見たい。僕の伯母が現処女国国王に嫁いだ関係で僕と彼とは従兄弟どうしだった。今会ってどうなるものでもないが、同じように胃の細い乙女王子をからかいでもすれば瞬間的に気はまぎれる。

 国境を越えた。奔放な町並みから景色が変わる。建物の高さや角度がそろい、やがて建物の上の植物さえも幾何学の使徒へと姿を変えてゆく。街中をぼんやり見ていてもごみ一つ落ちていない。
 清潔さに美を見出すこの国の風景が僕は好きだった。第二の故郷というか、親戚の田舎に来ている気分になる。この国の人々はうちの国から紙を多く買ってくれる。さまざまな商品を輸入し、代わりにうちの国には宝石や金属や岩塩を輸出してくれ、どちらも議論好きで、国際結婚も他国に比べると多く行われていた。
 乙女王子に会う前にまず処女国王と王妃に謁見した。国王らは異国からきた生意気な甥っ子をかしこまった品のある笑顔で迎えてくれた。
「変わりないようですね、王子。健やかでなによりです」
「こちらこそ、突然の来訪を快く迎えて頂き感謝しております。陛下」
 手入れされた髭と文官帽、儒教国の長たる端然とした風体。これがうちの国の流儀なら国王であろうと伯父さんと呼んでまったく差し支えないのだが、僕はそんな風に処女国王を呼んだことはない。
 国王は僕の従者が手渡した書簡に目を通すと、臣下たちと目を合わせて深くため息をついた。
「人間は唯一理をもつ生物だ。流血沙汰はなるべく避けたいものですね」
「同感です」
「獅子国の東南地方は第一王子の領土だったはず……。金属の買取が一段と進んでいるのはそちらもご存知でしょうが、また何か動きがあったら早馬で知らせましょう」
「ありがとうございます。ご厚意に感謝いたします」
 そう。獅子国とことを構えることになった場合、どの王子の相手をするかということが非常に問題になる。先日人馬国を滅ぼしたのは西域地方を統治していた第二王子のほうだった。この手柄によって王位継承権が第一王子から第二王子へと移ってしまい、現国王の高齢化に際して第一王子・第三王子は手柄を焦っているという噂がある。
 そのまま内部で喰らいあっていてほしいと思うのは忌まわしい願いだろうか。天蝎国辺りが王家を内部撹乱すべく刺客でも送っていそうだと思ったが、口には出さなかった。



 国王・王妃との短い会見を済ませると僕は臣下たちを国内査察へと向かわせ、自分は単身で王子のいる国立蔵書館へと向かった。
 国立蔵書館は二百年前の建造後に改築と拡大を繰り返して今の姿に至っている。国民に開かれた新館部分は良いが、ある程度以上の地位を持つ人間しか入れない箇所……旧館部分の構造は複雑怪奇を極め、もっとも重要な文書のある地下階層へは旧館設計者一族か王族、三権のトップクラスの人間でなければたどり着くことも難しいといわれていた。玄関の受付を通って最初のホールに数字のみで分類されたドアが十七つもある。唖然とするが一番奥のドアを開けるとまた廊下と十七個のドアが並んでいるのは確実だ。ドアだけで三桁は確実にいく。延々こんな幾何学的構造が続く。
「さすが測量技術と計算だけで正確無比な四角錐を作れる国……。赤いロープは受付で貸してくれないんですか。僕は迷子になった挙句本に見守られて飢え死にはしたくない」
 受付にもたれながら軽口を叩くと受付の少年がすまなそうに頭を下げながら無邪気な笑顔を見せた。
「王子様なら大丈夫ですよ。乙女殿下がきっとすぐに見つけ出してくださいます」
「そう願いたい。しかしあの兄さん、僕が推理小説の端に犯人名を書いといたのを見つけ出した時には怒り狂って僕を五時間も閉じ込めたんだぞ。あの部屋がどこにあったのか未だに発見できなくて困ってる」
「国書に落書きをされては困りますよ! お気持ちはわかりますが」
「国書もなにもただの推理小説じゃないか。たまたま書かれたのが三百年前で紙が残ってたってだけだよ」
 ホールに通ずる扉を開く音が蔵書館の静寂に似つかわしくない怒気を帯びていた。
 僕と受付の少年は音のした方向へ揃って目をやる。読書室へ通ずる端のドアに、文官服をまとった背の高い細身の男が眉尾を吊り上げて立っていた。
「随分昔の話を蒸し返してくれるじゃないか」
 乙女王子は口元をひくつかせて笑っていた。話が筒抜けだったらしい。僕がうへぇと顔面を笑みつくりながら平和裏な国際交流を訴えると、乙女王子は王族の品位もどこへやら猛然とこちらへ歩いてきて一歩ごとにこちらを指差し過去をまくし立てた。
「あれはわが国の国民的作家が残した唯一の現存する原書なんだぞ! 国宝指定されてるんだ。私があれを元通りに修復するのにどれだけ手間を踏んだと思ってるんだっ! それをお前はさっさと自国に帰りおって。あの原書の文学的価値は七十カラットの蒼玉サファイア原石より重いと最初に重々説明して聞かせたろう!? 聞かせたよな!? いや聞かせたしっかりと憶えている。お前にこの手で閲覧用の絹手袋もはめさせた。だいたい私はあの作家の信望者なんだ。類稀なる人物造詣と神にひとしい言葉遣いで編まれた唯一の原典だったんだぞ! それを」
「わあごめんなさい! ごめんなさい兄さん! 十二歳のいたいけな少年がしたことだから許して! 本気で反省してますってば!」
「じゃあ今言ってたのはどこの話だ!」
 仮にも王子で十七年通している僕のような人間をここまで詰問できる人物は片手の指程度しかいないと思う。小さい頃の僕が貴重な書物を見たがったのは好奇心のせいももちろんあったが、三つ年上の従兄が手ずからはめてくれる絹手袋の感触が好きだからでもあった。
 いつもうるさいこの従兄が本気で心酔している書物だったから、いたずらすれば兄さんがもっと強く僕を見てくれると思ってしまった。その通り。僕はめちゃくちゃ怒鳴られ一人ぼっちで地下の読書室に五時間も閉じ込められた。最後にはいい年をして(十二歳だったが)泣いてドアを叩いていた。ドアが開いてすぐ三つ年上の従兄に抱きついた時の、文官服の湿気た香り。
 話は現在に戻る。とにかく、また怒鳴っている乙女王子に土産の双児国の本を渡してご機嫌をとると乙女王子はため息をついて追求をやめてくれた。
「一体何の用だ」
「別に。国王陛下に手紙をお渡しするついでに寄っただけ。どうしても本が借りたかったんだよね。
 しばらく、来れなくなるかもしれないから」
 文学にうずもれた世間知らずな顔が言葉の裏を読んで曇る。どんどん言葉をつないでごまかして、自分でも何を言っているかわからなくなりながら胸の締め付けに耐えた。
 喋れば喋るほど一番伝えたいことは従兄に伝わらなかった。
「あっちで話をしようよ」
 僕は許可もとらずに従兄の王子の手を引くと、ドアを二回ほど経由して蔵書館の奥まで潜り、人のいなさそうな部屋を適当に選んでドアを開け、中に乙女王子を引きずり込んだ。乙女王子はさっきからうろたえている。焦っている僕を見てどうしたのかと。
「獅子国が攻め込んでくるのが怖いのか」
「ああ。怖いよ。とても。それが国民にいい暮らしさせてもらってる代償だからね。
 僕さ、真剣って言葉好きじゃないんだけど、今回ばかりはあんまり四の五の言ってられなくなった。兄さんに助けて欲しい。ずっと眠れなくて、背中がじりじり焦げ付いているみたいなんだ。
 だから」
 薄暗い蔵書室。他に誰もいない。書物のみっしり詰まった棚に従兄を押し付けて、僕は彼の鼻先にまで自分の顔を近づけた。
 キス、したかったんだと思う。
 だけどあと数センチのところで、どうしてもためらってしまって出来なかった。従兄の口から漏れる息遣いを吸い込んだだけで体中がかっと熱くなったのに、頭だけ急に冷えて、従兄弟の親しみを守り通さなきゃいけないと思い直した。
 身体をしっかりくっつけたまま硬直している僕を、乙女王子は明晰な、哀れむような目でじっと見つめていた。細い手で襟足から耳までを愛撫されて僕はびくりと身体を震わせた。
「そうか。……可哀想に」
 拒絶するでもなく、落ち着いた声でそう言っただけだった。従兄は僕が落ち着くのを待ってくれていた。その態度が苦しくて、僕はばねのように彼から離れると部屋の反対側に背中をぶつけてその場に座り込んでしまった。
 絶対に泣いてはいけないところで涙が出た。僕が顔を腕で隠して彼の視線から逃れようと横を向くのを、乙女王子はどんな心持ちで見ていたのだろう。
 僕は彼の前でもう失恋したような気持ちになっていた。伝わらない。なんにもうまくいかない。いっぱい喋ったのに。好きな人が目の前にいるのに。
「双子。怖いなら、私が側についている。お前が最後まで戦って、兵も策までも尽き果てたなら私のところへくればいい。私はそのときこそ万難を排してお前を迎え入れよう。
 小さい時から培ってきた血縁は絶対だ」
 座り込んだ僕を横から抱きしめながら、乙女王子は耳元で暖かい声を聞かせてくれた。万難を排すとはどういう意味だろう。あなたは僕に抱かれてくれるのかと、聞き返したかったのに怖くて言えなかった。
「いくら本ばっかり読んでるあんたでも、今の僕の行動の意味がわからなかったわけじゃないだろう」
「ああ」
「だったら……」
「……だがお前は最後で踏みとどまってくれた」

 ああこの人は、どうしてこんなに酷いんだろう。
 どうしてこんなに苦しい思いばっかり僕にさせるんだろう。

「あんた以外を好きになればよかった」
 勝手に好きになって、勝手に自分で足かせをつけて、勝手に苦しんでいる。従兄に抱き込まれて昔のように頭を撫でられて、それで昔の甘い気持ちを思い出している僕はどうにも救えない奴だ。
 政略結婚、政略上の付き合い、結構だ。王族に生まれた時からその手の愛を諦めることには抵抗がない。伯父と伯母の関係を見てもそういうものだと思う。
 それなのに反動でもきたのか、僕はこの従兄の関心を、愛情を、喉から手が出るほど欲しがっていた。いまも両腕ですがりついている。そうやって心臓の葛藤に耐えている。
 乙女王子は薄暗い蔵書室の隅で僕を抱きとめて何もいわなかった。ただ、時々「双子」と呼んでくれた。優しく。従兄弟としての情なのかそれを超えた気持ちになってくれたのか、察そうとするのも苦しくて僕は考えるのをやめた。
 僕は双児国王子だ。その事実はいかなる私情にもまさる。この従兄とあと数時間しか一緒にいられないなんて、僕にとっては、気が狂いそうだった。


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作品データ

初出:2008/12/7
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同人誌『偽典・12国王子(1)』収録
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