王子と華麗なる紅茶の日々

 獅子国に駐在している外交官から月例の報告書が届いて、私は会議のために会食用の私服へ腕を通していた。
 外務省の近くにある「北の爪邸ズベン・エス・カマリ」は中世様式の優美且つ開かれた中庭を擁しており、晴れた日にはそこの庭園にテーブルと上質なブランチとフルーツを用意して会議が開かれる。高度な提案にはまず上質な環境からというのがわが天秤国の文化だ。王族兼国際使節である私は本来会議について結果を受け取るだけでいいのだが、今回の会議ではちょっと発言したい内容があったので無理をいって席を一人分増やしてもらった。一人に一つイワツバメの巣を調理して出すような、食材の限られたメニューでなければ良いけど。
「殿下。そろそろお時間です」
「ああ、今行くよ。行く途中で報告書の内容を聞きたいから用意させておいてくれ」
 庭園のナシの木に止まるルリヒタキが朝の光を浴びて幸福そうな歌声を奏でていた。玄関から出た私は馬車に乗る前に鳥を見上げる。
 そう。まだこの国は平和なはずだ。



 獅子国が人馬国を完全に殲滅し、支配下に置いてから一月が経とうとしていた。
 私はこの紛争について獅子国の九割九部の人間より詳しいかもしれない。強大な隣国を持ち、軍事力だけではそれに対抗し得なかったわが国にとって情報の把握は死活問題だったから。世間ではこの紛争を滅びた国にちなんで「人馬紛争」と命名することにしたらしい。こんな形で名前だけ残るとはなんとも皮肉なことだ。
「獅子国側の各国外交官向けの発表ですが、直接的な紛争のきっかけは国境周辺における人馬国側の侵略行為にあったと。先月・先々月の発表と全く同じでした」
「うん。人馬国側が最後に言っていた獅子国兵の暴行事件については?」
「すでに内部で処分を終えたそうです。これ以上は……」
 馬車の御者はスピードを保ちながら揺れが大きくならないように丁寧に馬を走らせている。にもかかわらず、私の眉は大きく曇った。勝てば正義とはよく言われていることだが、今となっては獅子国の一方的な発表を検証できる方法がない。
 私はここへ来て国際的な第三者機関の創設が必要なのではないかと思い始めていた。他国間の戦争の調停については、わが天秤国が多く貢献してきたという長い実績がある。だが一国の身でできるのはせいぜい調停までで、今回の獅子国のような強国に対し、世界全体の目で、客観的にその戦争行為が善か悪かと判決を下すことはまだできていない。
「侵略行為か。そんなことをするだろうか。あの射手が」
「殿下。人馬国は狩猟民族の自治区でした。飢饉か、何か災害があって内部で不安が高まっていたのかもしれません」
「秘書官。正しい情報がないときに推測でものを言ってはいけない。紛争直前の定例報告でもそんな話はひとつも出ていなかったよ。私も何度かあの国へ行ったが、あの国の国王も王子も敵の力量を踏まえずに民を振り回すほど愚かではなかった」
 逆にいったん戦争が始まって、圧倒的な戦力の不利にもかかわらず人馬国が最後まで戦いをやめなかった理由ならわかる気がする。こちらへの打診さえあれば私はいつでも調停のために両国の国境まで赴く覚悟でいたが、獅子国からはもちろん人馬国からの調停打診もこちらにはなかった。
 人馬国の人間は、文化こそ土着的だがとても誇り高い民族だった。
「せめて王子の亡命先がこちらで把握できれば動きようもあるんだが」
「殿下。僭越ながら、それは殿下の私的な領域ではございませぬか。すでに滅びた他国を再建させる法律などどこにもございませぬ。ましてこれは他国同士の問題です」
「うん。……私の記憶が確かなら、獅子国の王子は自治区ぐらいなら認めてくれる度量があったと思ったんだ。一時期は王子同士で仲も良かったんだよ」
 今回の紛争のことを獅子王子は一体どう思っているのか。もちろん紛争後にもあらゆる理由をつけて会見をもった。王子からは為政者としての表面的な回答しか得られず、交友会でももどかしい思いをしたのを覚えている。
 秘書官による定例報告の読み上げが終わると私は身体を椅子に深く持たせかけ、次々に木漏れ日のうつろう外の街路を眺めていた。



 あれはダイヤのような夜だった。着飾った男女が城内の社交ホールに集い、オーケストラを並べて幾重にも重なるワルツを踊っていた。貴婦人の大きく開いたドレスがステップの回転のたびに花のように開く。私もそこで二・三曲付き合いに踊ったが、気がついてみると主催の一人である獅子王子の姿がホールから消えていた。
 あの王子はどこでも華があって、人前にいると常に誰かに演劇的な振る舞いをせずにはおれないから、休む時には宴を臣下に預けて一人そっと私室へ戻るのだと聞いていた。忍んで宴を抜け出すのにまた一苦労した。自分もこんなときには王子という身分がわずらわしい。
 立ちはだかる従者をどうにか説得してノックを許された城内の一室に、獅子王子は居た。バルコニー側の大窓を開け、式典着のままバルコニー前の応接椅子に座って頬杖をつきながら。そのままの体制で視線をこちらへ滑らせる様が、まさに動物的な意味での獅子を思わせた。
「わざわざひとが隠れている私室の扉を開けたのだ。友人として遇していいか。天秤」
「どうぞ。もとよりそのつもりだった」
「入っていいから早く扉を閉めてくれ。風が通って冷える」
 窓から扉へと吹き抜ける風を私が扉を閉めて断ち切ると、大きく浮き上がっていた窓のカーテンが元通りに下へとおちついた。獅子は唸るような声で廊下の従者を呼ぶと扉も開けさせずに紅茶の用意をするよういいつけた。
 私は獅子王子より若干年下だが、彼とは長いこと交友を続けてきた仲だった。ことわりもなく向かいの応接椅子に座る。獅子は口にした葡萄酒のせいで若干剣呑に顔を赤くしていた。
「どうだ。パーティーは。楽しかったか。それともお前ぐらいになると飽きるか」
「知らない顔が増えてて楽しかったよ。今日は呼んでくれてありがとう」
「お前はいつもそうやって笑ってくれるな」
 獅子のしかめっ面が、私の前で不意に優しく笑みくだけた。打ち明けよう。この顔に弱い。いつも誰かを喜ばそうとして、それが叶うと自然におおらかな微笑にかわる。
「今度の戦争でな、城まで来られる豊かな民が若干増えた。庶民も貧乏貴族も。褒賞に外部の土地がつくなんて数十年来のことだったそうだ。いろんなのがいたが誇らしい顔が多かった。
 子どもっぽいと思われるかもしれんが、勲章な。あれを一人一人につけてやる瞬間が好きなんだ。歴戦の戦士の引き締まった顔も、初めて勲章を貰う青二才の顔も、もう戦は最後になりそうな老人の顔も……。無意味だという奴もいるが俺はあれには意味があると思うんだ。小さな飾りだが、勇気をぶら下げて歩くのと同じ力がある。困難な状況を前にして一歩逃げそうになったときに」
 私は微笑みながら獅子の話をきいてやる。獅子の寛容さなくして、事態はいかなる方向にも上手く転がらない。
「あんな嬉しそうな顔をして、広場から獅子様って呼ばれてみろよ。俺はもう、どうにも奴らを喜ばせずにはいられない。奴らを導かずにはいられない。そういう気持ちになったことはないか」
「私だったら笑って手を振り返すよ。彼らとずっといい友人でいたいとは思うかな」
「そうか。まあ、お前はそれが向いている気はするな。
 この一月、ずっと不眠不休でタンゴを踊り続けているようだった」
 式典服の下で、鍛えられたしなやかな筋肉が息をして上下する。
 獅子はつかの間額に腕で杖をついて熟睡したようにみえた。風と獅子の呼吸を数えて待っているうちに、照明もない部屋の中はどんどん暗く静けさの中へと沈んでいった。
 まぶたを上げた獅子の目が、暗くあさっての方向を見通した。
「人馬国とのことを聞きにきたんだろう?」
「……ああ」
「俺を裁くかね」
「解らない。私は戦争が嫌いだ。それはどこの国が相手でも絶対に変わらない。ただ、何があったのか知りたい」
「天秤。俺は友人を一人失ったばかりなんだ。正義を訴えればそのたびに心臓から血が流れるほどだ。お前がどんなに俺を問い詰めようと、俺は自分に都合の悪いことはいわんぞ」
「和平の道はなかったのか?」
「ありえない。最初に王族の首を刎ねたからな。友情をそんな形で穢された射手が、上っ面だけでも俺に膝を屈することなど絶対にないとお前も知っているだろう」
 あっさりと獅子が言ってのけた内容に私は思わず絶句した。いつも微笑んでいる私の顔が凍りついたのが、獅子にはよほど珍しく見えたようだった。
「奴らは俺たちの顔立ちや髪の色を見るなり弓矢をつがえ、狼たちとともにカーブのついた剣を振り上げて襲い掛かってきた。地の利も向こうに味方した。連中の殺傷能力はうちの軍とは段違いだったよ。
 自分の国の人間と顔立ちも髪の色も違う連中がそんな風に襲い掛かってきたとき、お前なら相手のことを人外だと思わずにいられるか? 俺は結局、あそこの王族以外の人間については、野蛮人だという認識を改められなかったんだ。
 あいつの両親の首を見たときに戻れないと腹が据わってしまったのかもしれん」
 獅子国の国王は老い、当代にしてはそろそろ平均寿命ともいえる年齢に達そうとしている。王位継承権を持つ直系の男子は三人。いずれも二十代から三十代の、心身ともに充実した若獅子ばかりだった。
 王子本人の判断だったのか、側近たちがそそのかしたのか、何かしらの暴発があったのかはわからない。いずれにせよ今回の紛争で国一つを手に入れた獅子王子には間違いなく第一位王位継承権が移ってきたことだろう。
「天秤。お前は見たか。貧しかった民が戦争の後で幸福と誇りを取り戻したのを。俺個人はともかく民衆は決してあの閉ざされた国の野蛮人たちと相容れなかった。あの野蛮人たちが価値観の違いから国境を越えてこちらの財産を狩ろうとしてくるのを、獅子の民は認めなかった。
 俺はな、民に望まれたらそれ以上の栄華をもって応えたいのだ。たとえその内容のどこかに穴があるとしてもだ。この国の民は自分たちの力を何よりも信じている。この国の人間になりさえすれば、どんなことでも必ずできると信じている。この国には希望を持つ民たちの力が溢れているからだ。大陸中が獅子国という国籍で一つになれば、いつか他の大陸の大国にも、天に浮かぶ太陽にまでも手を伸ばせると。そう信じている。そんなことを根っから信じている民草を俺は絶対に裏切ることはできないんだよ」
 私は獅子の演説に先ず沈黙で答えた。沈黙の合間に獅子は理性を取りもどす。
「遺憾です。何も大陸中が同じ一つの国にならずとも、手を取り合って前へ進むことはできるはずだ」
「ああ、今のは俺の失言だった。忘れてくれ。俺の国の民は天秤国との友好をつとに望んでいる。なにせそちらの国は礼儀正しくて優雅だからな」
 大きな動きで手を振って否定する仕草がやはり演劇的だった。大民衆の前にアピールする立場としてすっかり動きを体得してしまっているのだろう。私は獅子国王子の中の危険な火を前にして、深呼吸するとあえてゆっくり椅子に背中を預けた。
「わかりました。あなたもつらかっただろう。国民のためとはいえ大切な友人を一人失った」
「やめてくれ。他人行儀な物言いは」
 私からそらした顔と、声を出す胸元が微かに震えているように見えた。怒りと共にその一点だけがあわれだった。この男自身は友人を全員失うまで戦い続けることは不可能なのではないか……と思われたが、そんなことでは投げ出せぬほど王家の座が重いということも、私にはわかった。
 バルコニーの窓の外から民衆の熱狂的な歓声が聞こえてくるようだ。
「紅茶を頂いてから帰ろうかと思ったが、先に失礼するよ。またの機会に」
「ああ」
 立ち上がってそのまま扉へと向かおうとすると、呼び止められた。
「天秤。……賽は投げられた。次の国王が決まるまでが山だ。もし何かあったら、力を貸して欲しい。俺もお前との友誼にかけて何かあったら助けに行く」
「ああ。ありがとう。お休みなさい」
 国家間の外交において、友情などというものは飴の紐ほどにも信じてはいけない。人馬国は王子同士が盟友関係であったのにもかかわらず滅ぼされたのだから。私が彼と友人であり続けるのはそれが国益になるという明白な理由があるからだ。私情を優先させてやれるのに、十分な理由が。
 退出してドアを閉める。廊下では従者の少年が紅茶の盆を持ったまま震えていた。私はその場で少年からぬるい紅茶を一杯頂くと、「殿下と仲良くしていてください」と訴える少年に微笑みかけ、手持ちのタイピンを一つお礼であげてその場をあとにした。



 馬車が「北の爪邸」へとたどり着く。過去に想いを飛ばしていた私はコートの襟をただすと秘書官と一緒に馬車を降り、大陸で一番優秀だといわれているわが国の外交官たちと食事をするために邸宅の玄関をくぐった。
 北の爪邸のブランチ・テーブルはいつも通り実に優雅であった。白塗りの柵に這うポトスのツタがみずみずしく、プラタナスの大木が穏やかな青葉を光らせる下で外交官たちが仕事着のままくつろいでいる。私は彼らと一緒に熱いクロワッサンにバターを塗り、ダージリンティーに口をつけながら獅子国からの定例報告書について意見を交換しあった。
 獅子国の内情は他国にとって未だ予断を許さない。これ以上一国の戦力が肥大するのは大陸全体にとって好ましくなかった。現状では大陸内各国の軍事同盟関係の再確認と共に、交流の少ない他国の中でも牡牛、蠍、山羊……特に獅子国と隣接している金牛国に関してすぐに干渉できるよう、外交を密にしていく路線で会議の話はまとまった。
「皆さん。ひとまず議題もまとまったことだし、ここからは御伽噺として聞いてくれればいいんだけども」
「なんですか殿下」
「うん。近代化の恵みで国家間の交通も大分よくなったことだしね、私はこの大陸の全ての国王なり、首脳陣なりを一箇所に集めて一度国際的な会議を開くといいと思うんだ。こんな風にガーデン形式で美しい庭園の中でね。
 私は戦争が嫌いなんだよ。だがそう言っていられるのも、ひとえに私が世界中の国をあまさず回って、各国の人間と話し合って、彼らを知っているからなんじゃないかと思う。顔がわからない隣人への恐怖は極力努力して埋めるべきだ。世界に本当は野蛮人なんていないことを皆が知れば、……せめて権力者が知っていればね。戦争の大部分は回避できる気がするんだ。
 国王が駄目なら次期権力者候補の王子たちを集めて今のうちにやれないだろうか」
「殿下、それは素晴らしいご提案ですが、もしかして単純に贅沢なお茶会がやりたいっていうお気持ちもあるんじゃないですか」
「それは否定しないね」
 外交官たちの顔が楽しそうにほぐれる。それでいい。やはりこの人たちはこの国で一番ねぎらわれるべき人々だ。
 私は今日この提案をしたかったのだ。ちなみに移動が面倒なので他国で開催することはあまり考えていない。


 - fin -

作品データ

初出:2008/12/4
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同人誌『偽典・12国王子(1)』収録
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