首都凱旋

 晴れ渡ったある日に、首都の大通りには万条の紙吹雪が舞い上がっていた。
 二階建て、三階建ての建築がひしめく中から先を競うようにして住民たちが顔を出し、大通りを凱旋する長い騎馬隊と歩兵隊の列に歓声を浴びせかける。一人に目を留めれば使い込まれたにび色の鎧と武器をまとうだけの彼らが、無数に整列して日の光を照り返す風景は国民の目に誇らしい。数千数万の民と幾重もの兵士らの列に守られるようにして、巨大な国旗を掲げた真紅の馬車がゆっくりと王城への道を登っていった。
 獅子は久しぶりに帰ってきた首都の空気に口元を緩めながら観衆たちに手を振って歓迎に応えていた。金色のたてがみのごとくなびく髪や、毛皮でふちどった緋色のマントの上に紙吹雪が重いほど降りかかる。今は手元に王冠も国杖もないが、それらもいつかこの手で握れるだけの地位にたどり着いてやる。
「獅子殿下! わたくしたちの太陽が帰ってこられた!」
 殿下。わたくしたちのレグルス殿下。獅子国の獅子の心臓よ。おかえりなさい──。



 当代、獅子国には三人の王子がいた。彼らの名称は三人とも「獅子王子」でも構わないのだが、ここでは特に二番目の王子、西域で人馬国を滅ぼしたレグルス三世のことを指して獅子王子と呼称することにする。

(一時のこととはいえ、やはり戻ってきた感じはあるな。勝利はいい。腕が折れるまで観衆に手を振り続けていたい気持ちになる)
 獅子国の首都は東南にあり、西域を統治する獅子にとって決して近い場所ではない。獅子は齢十六のときに既に東域を統治していた兄王子・アルギエバ二世と秤にかけられ、困難と可能性の土地である西域の統治を任されたのだった。もう一人の王子である弟王子・デネボラは北域の統治を任されている。侵攻される隣国もない代わりに末梢の農民と原野ばかりが長々と続く、安穏と愚鈍の土地。
 初めて西域に飛ばされた時には父王と兄王子の待遇の良さを呪いもしたものだが、今では逆に運が良かったと思っているぐらいだ。より強くなりそうな獅子の子には進んで牙を生えさせるのがこの国だ。逆に自分がもし北域に飛ばされていたらと思うとぞっとする。地方貴族が地元の小競り合いで喜んでいるような場所で余生を暮らして何が喜ばしいというのか。
(デネボラと会うのは三年ぶりか。父上と兄上はこの前会ったばかりだが……)
 ため息をつきそうになって、まだ馬車の上だったと自嘲した笑みになる。獅子はしばらく面倒な思索を忘れて街の観衆たちの陽気な出迎えにひたすら応えを返していた。兵士と馬車はやがて丘の上の王城にさしかかり、堀に渡された巨大な橋をわたって城の出入口をくぐる。
 馬車がゆっくりと止まり、出迎えの娘たちが蘭の花かごを手に馬車の脇にかしづくのを見て、獅子はやっと思い出したため息をよそへ投げ捨てた。



 玉座の間に集った人々のざわめきは、獅子が正面扉をくぐるなり潮のように一気に引いた。高さ三階分にも及ぶ広大な吹き抜けの天井に鉄とクリスタルで彩られたシャンデリアが煌々と輝いている。獅子は赤絨毯沿いに並ぶ臣下たちの列の間を堂々と闊歩し、一番奥で玉座に構えていた獅子王の前にたどり着くとうやうやしく礼をとって跪いた。
 獅子王はもうすぐ還暦に近い。獅子王子の見ぬうちにその顔には深い皺が増え、濃い灰茶色だった髪はすっかり白を増やして薄いカラメルのそれへと色を変えていた。
「西域より只今戻りました」
「ご苦労であった。まずは長旅の疲れをいたわるとよい」
 玉座の真横、側近よりも近い場所にこれも王族のマントを羽織った壮年の男がいる。兄王子のアルギエバだ。三十になるやならずなのだから壮年というには若すぎるかもしれないが、長年首都で大臣や貴族たちにもまれた結果そうなったと言えば人々は納得するだろう。
「こたびは西の蛮族どもを薙ぎ払って雄たけびをあげてきたそうではないか。レグルスよ。よくやった。私もお前の兄として鼻が高いぞ」
 獅子は金色のたてがみの下からエメラルド色の眼光を凶暴に光らせて兄王子を見返した。無言で威圧する。その行為にアルギエバは一瞬ひるんだようであったが、すぐに勢いを取り戻してブラウンのたてがみを英気でひろげ、周囲にも聞こえるよう声を張った。
「これを機に私も獅子国の更なる栄華へ向けて戦端を開いていくつもりだ。聞くところによると今度は人馬国に続いて双児国がわが国に反旗をひるがえそうとしているらしい!」
 玉座の間を埋める臣民の男たちの中から驚きの声が沸き起こる。この国の玉座の間はまるで劇場だ。大事な政策がほとんど王族と貴族と官僚の大袈裟な劇の中で決まってしまう。
 なんとも滑らかな滑舌だがこの兄王子は真の修羅場を潜ったことはあるまいなと、獅子はどよめく臣民たちの間で目を細めた。
「その話は本当ですか、兄上。人馬国はこの私が完膚なきまでに廃滅せしめましたが、双児国とてその現状を見て何も学ばない国ではありますまい」
「本当だとも。今は水面下で動いているが、あとで証拠をつけて見せてやるさ」
「鳥が先か卵が先かということにならぬよう願いたいものですな」
 そのように気軽に隣国に攻め込まれたのではたまったものではない。しかしこの手の馬鹿馬鹿しい、当人にとってのみ重要なできごとに限ってまかり通ってしまいやすいのを獅子は経験からよく知っていた。周囲を見渡せば戦争も知らないような貴族の御曹司だの首を切られかかっている大臣だのが夢中になって兄王子を扇動している。
 自分もあまた呑んできたが、扇動とはこの世で最も憎むべき劇物の一つなのかもしれない。使い方によっては薬にもなるが毒として働くことのなんと多いことか。
 雄弁を振るう兄王子の奥で厳しい目をしている獅子王と目が合い、獅子は一人身を正した。

「兄上! レグルス兄上ではないですか!」

 懐かしい声がして獅子が後ろを振り向くと、ゆるい祭典服の中に大の男三人分はあろうかという脂肪を詰めた男が赤絨毯の上を走ってくる。獅子はそれがかなり近くに近づいてくるまで、相手が弟のデネボラ王子だと気づくことができなかった。
「お久しぶりです。この度は本当におめでとうございました」
「……デネボラか? なんとまあ、これは……」
 自分一人では二百メートルも歩けなさそうな、節々を紐で締めただけのハムのような白い贅肉の塊。最後に出会った時にはもう少し、いやかなりまともに戦えそうな体つきをしていたのに。
 困惑の笑顔を作って弟王子を迎えながら、初めて他人を襲った不運というやつを呪った。弟が絵本の住人になってしまった。服を着て豪華な食事を喰らう白豚だ。敵のいないはずの北方で、地方貴族たちのもてなしが弟をこんな風に変えてしまったとしか思えない。
(デネボラもこんな風になってしまっては容易に頼れるとも思えぬ。やはり独りの道行きなのか)
 ああ、なんて雑然と賑やかな玉座なのだ。ここは。
 獅子が呆然としているところへ国王から声がかかり、臣下たちと二人の兄弟王子たちが退出させられる。最後までざわめきがさざ波のように残っていたのを、正面の大扉が重い音をたてて断ち切った。人ががらんどうにいなくなると玉座の間は数メートル先の小間使いの足音が響くほど静かになった。



 獅子がもう一度獅子王の前に立ち返り、あらためて跪く。獅子王は年輪を重ねた顔に不機嫌そうな眉山をつくっていた。
「うるさいしろうと役者どもだ。……してレグルスよ、貴様に命じたもう一つの件はどうなった」
 獅子は返答に窮して、いっそ大っぴらに喋ってやれと壇上の国王を見返した。
「かの国の兵器のことでしたら鋭意捜索中です」
「アスクレピオスを手に入れるまで戻るなと伝えたはずだ」
「ええ、確かに拝聴いたしました。しかしここに及んで、私一人の手では余る事態が起こりました。父上もご存知のように人馬国の王子が失踪したまま行方をくらませております」
「それがアスクレピオスと何か関係があるのか」
「大いに」
 獅子は目を伏せったまま回想する。ここから遠い人馬国の宿営で、とり捕まえた部族の長たちはいくら拷問にかけても古代兵器の秘密を喋ろうとはしなかった。いくら部族を滅ぼしてまわっても書物は見つからず、肝心の長たちがこの国の重大な秘密について知らされていないと知ったのは各部族の長の中でも最年長の長を拷問にかけた時だった。

 ──貴様らではあの神々の山に入ることすらかなわぬ。無知なものたちはみな竜の巣に食われて帰らぬものになるだけよ。
 秘密は、王だけが知っている。すべて口承だ。それを貴様らは殺してしまった。いまさらわしのような老人をつついたって出るものかね。

「アスクレピオスは人馬国の山中に必ずあります。しかしそこに至る正確な道を知っているのはおそらく歴代の王のみ。可能性として残っているのは射手王子だけです。もしかすると隠された道や必要な手続きなどが存在するのかもしれません。
 ここに来るまでに何度か山に詳しい兵を集めて捜索隊を派遣しましたが、全て途中の雪崩地帯に阻まれ十分の一も戻りませんでした。途中に竜の巣と呼ばれ毎日複数の雪崩が発生している場所があるようです」
 アスクレピオス。それが獅子王が追い求める超古代兵器の、密かに言い伝えられた名前だった。全てを統べる王神の使者という隠語もあるがその具体的な力は定かでない。わずかに残された文献によれば、星を落とす兵器なのではないかともいわれている。しかしそれも推測の域を出ない。
 獅子王子の報告を聞いたあとの獅子王の嘆息は深く長々と続いた。
「だから王族をそう簡単に屠るべきではなかったのだ。この奢り者め」
 国王の唾するような叱咤を獅子は跪いたまま黙って聞いていた。手柄首を求める部下たちを制止し切れなかったのは確かに自分の力不足の結果だと感じていた。だからこそ恥を忍んで帰ってきたのだ。なんとしてもこの手で射手王子を生け捕りにし、アスクレピオスを我が物にするために。
「わかった。人馬国の件についてはわしが直属の部隊を貸してやる。その代わりアスクレピオスを手に入れたらアルギエバでもデネボラでもなくわしのところへ直接持ってこい。他の人間を通したら許さぬ」
「御意」
 お目付け役をつける気かと内心で毒づいた。
 やはりこの父王も、息子らに劣らぬ強欲に突き動かされている。還暦が近いとはいえ悪運が強ければあと二十年以上は玉座にしがみつき続けるやもしれぬ。今はみるみる力をつけてきた息子たちの勢力に怯え、復権のための力を欲しているのだ。競争者としての平等が玉座をつらぬく。親子の情など関係ない。武力と、権力と、あまたの流血こそ、この業の深い一族にはふさわしい。
 再度礼をして国王に背を向け、一人長い赤絨毯の上を歩きながら獅子の心は業火のように燃えていた。遠くを見つめるエメラルド色の瞳の深みに内部の炎の色が映りこむ。人々は彼のその体にかよう血の色、その熱さを評して「彼ほど赤が似合う王子もない」と絶賛する。
 誰にも、屈するものか。頂点に人間は二人要らぬ。最後に王になるのはこの俺だ。
 扉を超えて外に出る、廊下の窓ごしに臨む中庭には、まだ下の城下町からカーニバルの力強い音が響いてきていた。


 - fin -

作品データ

初出:2008/12/11
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同人誌『偽典・12国王子(1)』収録
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