極東の王子

 男はたった二人の従者からのみ「宮様」と呼ばれていた。
 異国の民の中でも馴染む日焼けした黄色い肌。黒い長髪を後ろで結い上げ、母国の衣をまとっていつも帯刀したまま町を行く。土石から造りだされた幾何学模様が美しいこの国の町並みにも慣れた。客人としての自分の扱いはけして悪くない。自分を手厚く遇してくれた乙女王子には、いくら礼を尽くしても足りぬほどだ。
 母国では磨羯宮まかつのみや、この大陸では山羊王子。山羊王子は従者二人を伴ってバザールに入るとある武器屋の前で足を止めた。細く切れ上がった眼を真剣のように細めて三人分の武器を選ぶ。長旅に耐えうるだけの実用的で強い武器を、今のうちに見つけておかなければならなかった。



 時が遡ること三年前。当時二十二歳だった磨羯宮は磨羯国から処女国へと至る遣国船に乗って洋上にあった。従者二人は水夫たちにまぎれて忙しく働いていたが、磨羯宮自身は生まれて初めて乗った船への船酔いに悩まされ渡航中ずっと気分が優れなかった。逃げ場がない。こんな地獄の見せ方もあったかと船のへりに頭を出しながら日に一度は胃の中のものを吐いた。
「宮様。お加減が優れないようでしたら梅干を口に含むと良いらしいですよ。せめて種だけでも」
「それはずっと試してる。気にするな。あんまり気にされると俺が船中の梅干を食い尽くしてしまう」
 出国前は白かった肌も今や海の照り返しで完全な褐色だ。従者の荒鷲と彦星は甲板で縄の手入れをしながら交代に磨羯宮の体調が下りすぎぬよう気を配っていた。もとより多少の不調程度では顔に出さぬ辛抱強い宮様なのでその分は従者が気づかなければならないのだ。
 磨羯宮の姿を遠目に仰ぎながら、二人は声をひそめて互いに沈んだ心中をもらした。
「覚悟はしておったがこれは俺たちもそうそう国には帰れんかもしれんな」
「ああ。私とお前が揃ってつけられた時点で私も腹はくくったよ。……しかし宮様はあまりにおいたわしい処遇ではないか?」
「宮家・公家方の追及を振り切るためにはこうするよりなかったんだろうさ。お立場的に死罪にするわけにもいかず、かといって遠流おんるでは足りず」
「体裁か? みかどはなぜ宮様を庇護してくださらなかったのだ」
「みだりにその御名を口にするな。……俺はお前が洋上で憤死するのは見とうない」
 未だ磨羯国の最高権力者、現人神あらひとがみであり、それだけの呪力を持つと信じられていた時代であった。その血を引く磨羯宮は帝の嫡子のうち八番目の子息にあたる。
 王子一人と従者二人。従者になった二人の過去のやんちゃぶりも公卿たちの間では有名だったが、磨羯宮の犯した罪は極めつけだった。彼はあろうことか父御である帝に刃を向けた。激昂しながら青光りする神刀の切っ先を帝の喉下にまで突きつけ、すんでのところで帝が呼んだ護衛らに取り押さえられた。過去にこれほどまでの暴挙に出た皇族はいなかった──間一髪で未遂に終わった弑逆事件に対し宮廷は厳しい緘口令を敷いたが、磨羯宮自身への処遇は謹慎だけに終わらず、今日のこの洋上に至る。

「ご母堂さまの国葬が終わってから半年後のことだったな」
「ああ」
「死産で。母子共にゆかれてしまった。祈祷の最中に紅い箒星ほうきぼしがおちた」
「生まれ落ちた弟君は下半身が魚のうえに上半身が獣だったというじゃないか」
「ちがう。脚がくっついて一本のまま出てきたのだ。上半身は背骨が歪んで毛が多かった。ご母堂さまがご懐妊の時から何者かに毒を飲まされていたしるしだ。結局それも生まれてすぐに血を吐いて死んだ」
 帝の血を引くものに化け物など生まれ落ちてはならぬ。結局磨羯宮の血は、その母の筋から忌まわしかったものとされ、生まれ落ちた弟の存在は皇族の歴史から永遠に抹消された。母と弟を喪って半年ほどは己の不運を呪うしかなかった磨羯宮も公卿の一人に耳打ちされてついに気づいた。母と弟はその存在を妬む何者かによって長い時をかけ、嬲り殺されたのだと。
「皇族から一躍鬼子扱いになった宮様を恐れなかったのが俺とお前みたいなはみ出し者だけだったというのも、寂しいことだな」
「医学を齧っておればあれが化け物などではないことはわかったはずだ。私も進言したのに誰も耳を貸さなかった」
「医学って言っても渡来ものの、だろ? それに言ってるのがお前じゃなあ」
 仮にも帝の子に対し毒を盛る──そのような、真の魑魅魍魎があの宮廷の中にまだ潜んでいた。磨羯宮が帝に対し何を詰め寄ったかは磨羯宮本人と帝以外誰も知らぬ。わかっていることは今回のこの旅が実質上の遠々流、国外追放であり、仮に戻っても磨羯宮の立てる位置はもう宮廷内にはないということ。
「異国で飼い殺されて骨を埋めるかね」
「荒鷲、お前はなんだってそう向上心がないんだ。せっかく現地で大陸最高峰の医学を学べるんだぞ? 私は何年かけても必ず名を揚げ、国に帰って宮様の汚名をそそぐからな」
「うーん、残念ながら俺はそこまで渡来かぶれでもなし、頭もよくないな……せいぜい酒と腕っ節ぐらいかね」
 もし彦星がよい医者になってもそれだけで宮廷の陰謀を明らかにすることはできないだろう。荒鷲は素朴な現実感覚からそう読む。彦星一人にゆだねるぐらいなら大陸を巻き込んだ戦でも起こるのを待ったほうがより現実的というものだ。大陸がらみで巨大な政変が起きれば、その時こそ磨羯宮が再び宮廷に返り咲く好機も生まれよう。
 二人の従者の見守る先で磨羯宮は苦しみながら生存を諦めてはいなかった。船酔いにうかされたその目は時折彼方の処女国を見つめ、いかにして身を立てようかと彼にしたたかな算段をたてさせた。



 あれから三年。処女国で大陸の風土に揉まれた山羊王子とその従者二人は、処女国の王宮からの呼び出しに応じる形で王宮へと向かった。乙女国はかねてから山羊王子を異国の王族として正当に遇し、陰に陽にと助けてくれた恩人のような存在である。
 従者二人をホールに待たせ山羊王子が一人で王宮の応接間へと向かうと、乙女王子は一人で山羊王子の来訪を待ち構えていた。
「参りました。直々のお招き、かたじけなく」
「こちらこそ突然の招致に応じてくださりありがとうございました。堅苦しいのもなんですので、まずはお掛けください」
 乙女王子は山羊王子より五つ年下だが、どこか山羊王子に似て生来生真面目なところがある。山羊王子は初見からこの王子のことが嫌いではなかった。自分のほうが賓客の身分で手厚く遇されているとはいえ、彼が硬くなっているのを見ると年上の余裕で気をほぐしてやりたくなるくらいだ。
 薦められて椅子にかけながら見るに、乙女王子は明らかに何か思いつめていた。
「して、私に用件とは」
「いきなり本題に入ってしまってもよろしいでしょうか?」
「お互い気心も知れた仲だ。遠慮はいらない」
「それでは……。これは本来門外漢であるあなたには筋違いな話だと思う。自分でもわかってはいるのです。ですから話を聞いて、お気にそぐわぬようでしたらすぐに断っていただいて構いません」
「三年分の厚遇の恩より重い仕事だろうか。それならば私も考えるが」
「あるいはそうなるかもしれない。あなた次第です」
 微笑をたたえていた山羊王子の表情が引き締まったものにかわる。乙女王子は山羊王子の変化を見てとると無言で首肯した。
 乙女王子が明かした内容は獅子国が人馬国を滅ぼしたのち、次の侵攻先を双児国へ定めたというものだった。処女国は長年双児国と親交を密にしてきた国だ。当然双児側につく。現に処女国の上流層の中にはすでに双児国へ向け援軍のための私兵を送りこむ家も出始めている。
「紛争が獅子国側の完全勝利に終わり、人馬国の領土領民が獅子国側に落ちたことで大陸の軍事バランスが非常に危険な方向へ傾きはじめています。もし人馬に続いて双児が陥落するようなことがあれば、大陸の領土は獅子国一国の手で壟断され、貿易・経済上でも周辺国への損害は避けられないでしょう。
 平和な島国からいらしたあなたにはわからぬことかもしれませんが、国家間の政治は儒教の徳治だけで治められるものではありません。双児に組する以上、わが国もおそらく獅子国との対立は避けられない。その上でお願い申し上げる」
 獅子国とことを構える間、背後から磨羯国に襲われぬようにするための軍事同盟。これはすでにある。乙女王子はそこをさらに押して磨羯国から非公式に兵を借り出せないかと話をもちかけてきた。大陸の覇権が獅子国に独占されれば磨羯国としても対岸の花火ではなくなる以上、絵空事にすぎる話でもない。
「国際法の関係上わが国から公式に宣戦布告することはさけたい。もし獅子国に対し双児と処女、二カ国が同時に参戦するようなことになれば、向こう側には軍事同盟を締結している金牛国がつくことになるでしょう。そうなれば今度は双児国と同盟のある天蝎国がこちらへ参戦してくる。多国間での大戦になります。国境周辺は最低五カ国の軍勢によって焦土と化すでしょう。
 最悪の事態を避けるためにも、獅子国はなんとしても双児国一国の手で止めなければならない。……あくまで形式上の話ではありますが。
 もちろんただで兵を貸してくれとは申しません。もし磨羯国のお力添えをいただけるなら、わが国は今まで以上の礼てもって御国に報いましょう。私自身の責任において必ず」
 応接間が静まりかえる。乙女王子の決意に満ちた提案を山羊王子も即座に理解した。彼が眉間にしわを寄せて瞑目している間、乙女王子は一言も口を挟まずに待っていた。彼も山羊王子がすぐに決断できる立場にないことをわかっていたのだろう。
「強いですか。獅子国は」
「軍事力だけならおそらく大陸随一を誇るでしょう。知力においてその限りではないにしても」
「次の戦までの時間は」
「長くても三ヶ月。それ以上は引き伸ばせるかどうか」
 船を往復させるには短すぎる期間だった。心情的にはどうにかして応えてやりたい。しかしながら現時点で母国の宮廷を省みるに、彼らが遥か遠い双児国の危機など一顧だにしないであろうことも、また確かなことだった。
 瞑目していた目を開き、乙女王子に回答する声が重くなる。
「残念ながら。……おそらくあなたが必要とする期間内にわが国から兵を貸し出すことはできないでしょう。私は身分こそ王族の末端におりますが、母国に有力な後ろ盾をもっておりません。私が直接赴いたとしてもすぐに連れてこられるのはせいぜい百人程度。この宮殿に仕える方々の総数にも及ばない。
 母国に戻る船の人間に手紙を持たせましょう。それが限度だとどうかご理解ください」
 山羊王子は知っていた。彼の母国は、本音では今でも鎖国を望んでいるのだ。未だ深く広い大海が彼の国を護る。そんな環境下でどこの権力者が己の地位を危険に晒してまで海を越えたいなどと思うだろう。
 そして思い知らされた。自分は希望のある立場を与えられたのではない。いつ命を落としても誰にも気に留められることのない辺境へ、配流されてきたのだと。

 乙女王子は山羊王子の回答を聞くと渋いながら納得した表情になった。
「そうですか。わかりました。
 本日は一方的にお呼びだてして申し訳なかった。こちらからの無理な申し出に、誠意ある回答をしてくださったことに感謝します」
 深々と頭を下げる乙女王子に礼で返しながら、山羊王子は密かにある決断をした。
 どうせこの身一つしかない身の上だ。多くて懐刀があと二本。処女国の人間はこんな自分にも王家の人間としての礼を尽くしてくれた。このまま、何もしないままで、受けた恩も返さず異国の地に骨を埋めたくはなかった。
「加勢は一人でも多いほうがお役にたてますか」
「はい。……と、申しますと?」
 怪訝な表情をする乙女王子に山羊王子は居住まいを正し、穏やかな声で告げた。
「私が、直接現地へ赴きましょう。微力ではありますが」



 宮殿のホールでは清掃婦から官僚まで多くの人間がこまこまと働いている。そこの隅のラウンジで、従者二人は大人しく主君の帰りを待っていた。
 馬鹿でかい長巻を軽々といじる荒鷲の横で彦星は医学書片手に勉学へ余念がない。その結果、主君の帰りに先に気がつくのはいつも荒鷲のほうだ。彼は山羊王子の姿を見つけるなり相方の肩を叩き、気がついた彦星と共に立ち上がって主君を迎える。
 山羊王子は大事な懐刀二人の顔を見上げると生真面目な顔でぶっきらぼうにこう言い渡した。
「双児国へ行くことになった。戦になりそうだがら国が恋しいなら言ってくれ。そちらには手紙を持って磨羯国へ帰ってもらう」
「帰りませんよ」二人は驚きながら口をそろえた。
「宮様、どなたへの便りか存じませんがそんなものは国から使節が来てるんですからそっちに持たせればいいじゃないですか。今更自分だけ国へ帰ったって針のむしろです」
「二人で一緒に帰っても構わないぞ」
「いやいやいや。来たときは宮様がご一緒でしたから神様のお守りがありましたが、帰りはあの船だって沈むかもしれないじゃないですか。とても宮様抜きであんなボロ船乗れませんよ」
 山羊王子がきょとんとした顔を浮かべ、やがて脱力しながら苦笑する。迷いのない懐刀の存在を、これほどありがたいと思ったこともなかった。



 次々と死地へ向かっているようにも見えるが、そう悪いことばかりでもない。磨羯国から大陸へと出てきた人間の中で、過去にこれほど大きな機会に恵まれた人間はまだ一人もいなかった。ようやく自らの意思で進める場を得られて山羊王子の心中は不思議と充実していた。
 バザールで必要な装備をそろえた翌朝、まだ霧がかっている時間帯に山羊王子ら一行が馬へ装備を積み込んでいると乙女王子が領事館前まで単身見送りに来た。山羊王子は準備を終え、馬に乗るなり馬上から乙女王子へ出立の礼をとる。
「見送り、恩に切ります。双児国まで一駆け行ってまいります」
「お達者で。あなたはここへ帰ってこなければならない人だ。どうかそれをお忘れなく」
 馬上には王子の清々しい微笑みがあった。
 乙女王子が古い礼式に則った最敬礼のかたちをとるのを背に、山羊王子は鋭く声をあげ手綱をはたいた。奔馬が走り出す。まだ先の見えぬ霧の彼方へ。
 やがて朝日が差しこみもやが消える。乙女王子は誰もいなくなった大通りにしばしたたずみ、そこから山羊王子ら一行の走り去った方角をじっと見つめていた。

 この一ヵ月後、山羊王子の手紙を託された使節は磨羯国へ戻る船に乗りこみ、途中で嵐に遭遇して船もろとも難破・沈没してしまう。
 託した手紙の惨状を山羊王子が知るのは遥か後年になってからのことであった。


 - fin -

作品データ

初出:2009/6/4
設定資料・用語集を見る📄
同人誌『偽典・12国王子(1)』収録
いいね・ブックマークはpixivでもどうぞ