アメスピ非行少年

 アメスピ、【ナチュラル・アメリカン・スピリット】という煙草はミント系の銘柄の箱が安く、ワンコインでお釣りがくるので射手はそればかりを吸っていた。昔治安の悪いドヤ街をふらついていた時に、道端にいた薄汚い露天商もどきの男からTASPOを買った。参考書一冊分ぐらいの額だったと思う。いかがわしい人間からいかがわしい物を買い、たまにハズレを掴まされるところまで含めて道楽だったが、今のところTASPOはまだ使えているようだ。優良品を引いた。
 もっとも、どうしてアメスピのミント銘柄が安いのかというと、答えは簡単で、一箱に入っている本数が十四本と他銘柄の三分の二程度しかないのだ。いつか足抜けするからこれでいい、と射手はそのミント銘柄を選んだが、気がつけば手元に箱がないと落ち着かない状態になっていた。
 ──ああ、非行なのかなこれって。高一で。身長はもう百七十センチ超えてるから、文句は言われないと思うけど。
 誰も居ない屋上で空に向かって煙をふかすのが一番だ。校内でもスポットがないわけではないが、射手は好きではない。校舎一階の多目的室横の男子トイレの一番奥、壁タイルに小さな焦げ跡のある個室にシケモクが落ちていて、それを落とした輩の存在も知っている。

 屋上でぼんやりしていると、中庭の方からバイクの排気音ががなり立ててくる。聴こえるように、やかましく鳴るように改造して爆音マフラーをつけている。射手はひとり煙草を咥えたままで、わざわざ覗き込むところまでしなかったが、多分校舎から生徒たちが窓という窓に群がって何事かと顔を出している。バイクに乗っているのは停学中の先輩、もしくは2ケツ以上していれば先輩方だ。それで、中庭をバイクで一周か二周したら出ていってしまうのだ。男性教師らに追いつかれる前に。
 前にトイレでアメスピを吸っている時に彼らと喋ったことがあった。こちらがツッパらず、かといってビクつきもしなかったので、可愛い後輩扱いしてもらったと思う。ただ、執拗に一緒に遊ぼうと誘われたので適当に理由をでっちあげて断った。あれも自分の陣地とか帰る場所が欲しいだけの人たちだった。

 遠くへ行きたい。
 ものごころ付いた時には父親がおらず、中学に入ってから義父が増えた。小学校時代に鍵っ子で、わりと終日放ったらかしで育ててもらった身には、落ち着かなかった。べつに嫌いではないけど。そう思っているうちに十四歳年下の妹が増えた。乳児から幼児へと育ち盛りの妹と、それを相手に戦場のように家を切り盛りする母親の会話は、当然幼児にあわせたレベルになり、妹の怪獣じみた鳴き声とそれを余裕なくなだめる母の声が家の中にこだますると急に耳が遠くなることがあった。真剣に小難しいことを考えたい十代の男子に向いている空間ではなかった。義父の人は家計を支えるべく働いていたので当然昼間や夕方は不在だった。
 家の中で知能を伸ばすことがおよそ不可能だったので、外のほうがまだマシだと思ってそこら中フラフラしていた。そうして露天商もどきの前を通りかかった。たまたま。

 煙草は吸ってしまうけど、学校生活は好きだ。
 同い年の友人たちやクラスメート、先生方、学校の人々の中で学生として過ごす。やることが用意されているのは最高だった。図書室では家の中のような妨害もなく好きなだけ小難しい本を読めた。家よりはいくぶんか世界も広い。もちろん、学校の外にもっと広い世界があるのは知っているが、今はこのあたりに留まっていたほうが学ぶものが多いと思っていた。
 頭の中に、たまに不良の先輩方の声がこだまする。射手クン、こっちで遊ぼうよ。どこか胸を黒くざわつかせる笑顔。とても人懐っこく、群れの仲間を欲しがっていて、多分、学校でも家でもないどこかに同じ層の人間を集めて、居場所を作ろうとしていた人たち。
 ──あの人達は、どこかにイエを作って、そこで落ち着いて終わりたいのかな。きっとそうだな。自分のイエができたらゴールできるんだな。満足して、大好きな人々に囲まれて、そこで暮らしていけるんだな。
 そう思った。

 呑めなかった。どうしても、その考え方が。
 同じ場所に定住し、安楽に澱み、いつしか外に飛び出さないことが至上のように刷り込まれてしまう。そんな愚かで塞がった終わり方ってあるかと射手は反発する。他人がそうしたいのなら、それで幸せになれるっていうなら構わないが、イエなどいつか遅かれ早かれ朽ち壊れる運命じゃないかという思いが消せなかった。
 正直にそれを口にすれば逆上する人間もいるであろう。また、薄っぺらに同意するような人間にも射手は会いたくなかった。それはそれで人としての底の浅さを、鏡写しのように見せつけられそうな気がしたから。

 まだ夜寝るまで余るほど時間があるのに、一日二本しか吸えないアメスピの根っこまで、灰になって零れてしまった。屋上の風に晒されながら強烈にあと一本だけ吸いたいと思ってしまう。昼飯をどこかで一日分抜けばまだ買えるし吸える。三本目を箱から口に咥え、ライターのホイールを回して火を点ける。口内に充満するミントの風味とともに何も考えない時間が訪れる。
 遠くに行きたい。でも、行き先が見えない。解らない。


 - fin -

作品データ

初出:2021/6/14
同人誌『二人旅、風の馬の国/攻める奴ほどよく喘ぐ』収録(※同人誌はR18)
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