図書室の主(ワンドロお題「雨の日の過ごし方」)

 学校の周辺は昼過ぎからにわかに雨雲に覆われ、午後の授業の間に降り出し、雨足を強くしていた。傘を持ってくるのを忘れたな、と水瓶は思った。塾や部活に出る曜日ではないし、前の席の双子のように雨があがるまで手元のゲーム機で暇を潰すという気にもなれなかった。湿度があがると水瓶の髪の毛は癖っ毛ぶりがいっそう酷くなり、目にかかるかかからないかの重い黒髪も強いカールを描いてあらぬ方向へと巻き上がる。双子はそんな水瓶の頭部を「巻き毛のモルモットみたい」と面白がるのだった。
「探索でもするかなあ」
 巻き毛の下でつぶらな目をすがめた水瓶に、双子は手元のゲーム画面から目を離さず「水瓶もこれやってんの?」と早口で尋ねた。どうも探索クエストのあるゲームらしい。水瓶はすぐさま「いや、そのゲームはやってない」と返した。
「校舎内で行ったことない場所が結構あるなと思って」
「えー、四月のオリエンで大体回んなかったっけ?」
「いや、オリエンは回ったけど、もっとニッチな場所が見たい」
 例えばそれは図書室の一番奥の書架の狭い暗がりであるとか、体育用品倉庫の跳び箱の裏とか、中とか、放送室とか、購買の中の店員スペースであるとかだ。いつかコンビニの飲料棚の裏側も見てみたいと思っている。単純労働をする気がないというだけで。
 双子の方は「今クエスト中でパーティ抜けられないから」という理由でゲーム機を握ったまま動く様子がないので、水瓶は重い腰をあげて双子に挨拶し、教室を出ることにした。双子の横で暇を潰すにもスマホの充電はぎりぎりで、本の類も鞄には入れていなかった。

 そんな流れで、校舎四階の図書室を覗いた。春のオリエンテーションで通りすがったきりになっていた図書室は、中に入ると古い除湿機の稼働音がする以外には静かなものだった。大テーブルに二人、また個別のパーテーションで区切られた勉強席に三人ほど人がまばらに座っていた。上級生で常連が多いのかもしれない。
 壁時計の針が音もなく一定の速度で回転していくなかで、水瓶は一つ一つの書架を覗いてまわる。一番奥の行き止まりの通路を覗いた時えっと足を止めてしまった。床に寝転がって本を読んでいる人影があった。
 制服の開襟シャツに、ズボンに、踵を踏み抜いた上履き。何より傷んだ茶髪に見覚えがあった。寝転んでハードカバーを読んでいる出席番号1番のクラスメート。
「何してんの」
 不意に飛んできた水瓶の声に茶髪の男子は上半身だけでこちらを振り向き、目を丸くしたかと思うと「おわああっ!」と図書室にあるまじき声量で驚きながら体を起こした。射手だった。
「びっくりしたあああ。今ドッペルゲンガーかと」
「そんなオカルトに手を染めた覚えはないな」
 小動物のような反射から、ハードカバーを手に立ち上がった射手は反動で「わっはっは」とくだけた笑みをうかべた。教室では隣の牡羊と中学生みたいな内容で盛り上がっている印象しかなかったが、今の射手の手に握られているハードカバーは大分硬派なデザインの表紙だ。
「何読んでるの、それ」
「あ、これ? 戦争ルポ。海外ドキュメンタリー系の」
「へえ。射手くん、ここの常連なの?」
「んー、まあそうかな? ここ誰にも見つからねーで本読めるから好きだったんだけどな」
 まるでそれまでの前提が、水瓶が現れたことで覆されたかのように。……水瓶本人はといえばそんなニュアンスには気づかず、きょとんとした顔で「最近なにか支障でもあるのかい」と尋ねた。
「うんにゃ。……水瓶くんも何か借りにきたの?」
「雨があがるまで、何か読もうかと」
「へえ。俺水瓶くんが何借りるか気になる。案内しよっか」
 書架の狭い通路で射手がにやりと笑う。人目につかない何気ない時間が流れていった。


 - fin -

作品データ

初出:2021/6/12
Twitter企画#占星術創作ワンドロ参加作
同人誌『二人旅、風の馬の国/攻める奴ほどよく喘ぐ』収録(※同人誌はR18)
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