友達を好きになってしまった僕は無理そうだったんでバ美肉することにした

  【一】

「僕さあ、左利きだから万年筆の類は全般苦手なんだよね。縦書きだったら右利きの人より得意だけど」
 水瓶が珍しく愚痴っぽく言うのを、獅子はオッと思って受け止めた。俺様に甘えてきやがったか。ヨシヨシかかってこいというノリで。
「ほうほう。まあ人生はな。そういうこともあるよな」
「ま、今やパソコンも普及したし、僕のほうが主流かもしれないけどね」
 獅子は、眉毛を難しく寄せながら、オーバーな手振りでもっと俺様に甘えていいんだぞ!?とアピールしてくるので、水瓶は憎らしいほど淡々と主張をかわすのである。獅子は右利きなので、正面から突っ張り合うと利き腕同士で衝突する。
「いや水瓶よ、そうは言っても困るだろ?」
「困らなくない?」
「冠婚葬祭とかどうすんだよ。困ってんじゃねえの?」
「え、いや、別に……?」
 水瓶の表情から本気の困惑が読み取れてしまったが、正直な話獅子の方も煮詰まっていた。水瓶は何かにつけ助けを求めなさすぎる。端的に言って構いづらいのである。
「……俺はペン字書道とかやろうかな~! 字上手いとカッコいいし」
 わざと視線を逸らして言った後に、あからさまにチラッチラッしてくるのである。水瓶も困惑しているのだが、ここで「うん、どうぞ」と素で返してしまうと獅子がいじけることもわかってきた。
「ずいぶんベタな趣味だな。どんな文字か見せてよ」
 どうやら、獅子にとっては良いリアクションだったようだ。獅子は喜ぶ。自身のペンを取り出し、紙にはっきりとした大きな文字を書く。熟語。意味を訊いてほしいんだなと、水瓶は文字の主張の強さから理解した。
 自分の意見を、聞いてほしいのだ。その一点のみが自分たちは似ている。



  【二】

 夏を前に水瓶が
「今日は僕がそうめんを作ってやる」
 とやたら前のめりに言うので、獅子は「おう、任せる」とドンと構えて水瓶のそうめん作りを観戦することにしたのだった。麺。白い麺の束がドン。二束。足りないんじゃないのかと獅子は思ったが、水瓶の食が細いことを鑑みていざとなれば奪って食せば良いという結論に至る。水瓶は鍋八分目まで水を入れ、コンロで沸かし始めた。「フタしろフタ」と獅子が口出しするのをうっとうしそうにあしらう。
「そのうちさ、そうめんに一・二本混入してる桃色麺や緑麺だけのそうめんを作りたいんだよ」
 呟く水瓶の顔面を白く透明な水蒸気が撫でていく。ほどなくフタをとると、鍋の底から無限に湧く気泡が勢いよく、水瓶の骨ばった手がそこへザラアッとそうめんの束を流し込んだ。さらに菜箸でまわしてうまいこと、カーヴィーに麺を熱湯の中へ泳がせてゆく。「ネギ刻めネギ」とまた獅子が指図してくるので「ええいうるさいやるから座ってて」と止めること五秒。
 獅子は居間に戻っても水瓶がうまいことそうめんを完成させられるのかを見ていて、そういえば奴が料理するところを眺めるのも珍しいことだなと思い、先程の水瓶の水蒸気を浴びた、整った顔立ちのパーツのさっぱりさ加減などを思い出していた。
 水を流す洗い場の音と、トントンとネギを刻む小気味好い音が重なって、やがてそこにタイマーのアラーム音も入り、獅子が待つことさらに数分。
「さぁ食べるがいい」
 水瓶がテーブルにドンと出したそうめんは、なぜか氷水もろともスカイブルーの色彩に染ま
「なんで青いんだァァアア!?!?!?
 獅子が渾身のツッコミを入れるも水瓶は微動だにせず
「麺だけをブルーにする予定だった」
 と食紅の瓶を手に言うのだった。
 
 ※そうめんは二人が責任を持っておいしくいただきました。



  【三】

「そろそろ時期的にカノジョ作っとかないと夏を乗りきれねぇな~!!
 と居間で突然獅子が大声で叫び始めたので、水瓶はアイスバーの棒を噛みながら「ふーん」と塩対応でタブレットPCに向き合っていた。獅子が唐突に何かのスイッチが入って、思っていることを全部大声で口にするのも慣れたものだ。
「カノジョってそんな簡単に作れるもんなの」
 と水瓶がきくと、獅子は濃いめの眉を上下させて「作るんだよ気合で」と言った。こりゃ空振りしそうだなと、水瓶はつい欠伸までついてしまう。
「どういう子が好みなの。一応きいてやる」
「えぇ~知りたい?」
 獅子が、アクの強いにやつき顔で言うので、正直どうでもいいという言葉が喉まで出かかったが、かろうじて頭部を上下へ振る運動へ連動させられた水瓶だった。獅子は、ヘアスタイルを手で整えながら天を仰ぐようにして言った。
「まず明るい子がいいな! うじうじしないで自分の意見を出せる子がいい。あとあんま所帯じみてなくて、ドラマティックに。一緒にいることでお互いの輝きが増すようなブレない感じの子がいいな!!
「……あー」
 水瓶が、妙に途中で言葉に詰まったのは、思ったよりこいつ、自分とパートナーの好み像が被っているなという発想に思い至ってしまったからだった。視野の中で、獅子がもっと反応してと暑苦しく迫ってくるので、十秒ほど長考してから「良い趣味だと思う」と、水瓶にしては非常に大きな声で同意を返した。
「だろ~!? そういう子と一緒なら夏も最高だろ~!?
「そうだねえー? たまに喧嘩したり仲直りしてデートしたりねー?」
「そうそうそうそうわかってんじゃねーか」
「自立してる二人だからねえー?」
「そう従順なだけの子はちょっとな……そういうのは他の奴に分けてやんよ」
「ディ○ニーとか行くんだ?」
「ああディ○ニーもいいな! 耳とかつけてな!」
「あっ良かったそこは完璧に趣味合わない」
「ああ? お前ディ○ニー舐めてんだろ」
 そこから一時間ぐらい獅子と口論になり、水瓶はたいそう体力を使ったが、それでもなぜか憎めないところがあるのが獅子という男なのだった。



  【四】

 年々夏の外遊びは苛酷になっているから無茶な計画を立てるのはやめなさいよ、という水瓶の提言もむなしく、盛夏に突入すると獅子は「ビーチ行くぞ!」と威勢を吐いて水瓶を某県の海岸まで同行させたのだった。レンタカーで。「なんで一人で行かないの」と水瓶が助手席で問いかけると、アロハシャツ姿の獅子は「うるせー他の奴がみんな用事だったんだよ」と言った。車内は冷房でほどほどにしのげたが、ビーチ沿いの駐車場から先は熱い湿気含みの風と直射日光が全てを焼いた。
「人間が立っていい暑さじゃない!」
 水瓶ですら車を降りた瞬間に絶叫する暑さであった。獅子はと言えば早くも汗をたらし始めながら
「夏だからな……俺みたいに暑いな」
 と早期の熱中症を疑わせるナルシスト的な台詞をのたまっていた。アロハシャツの上で茶髪が潮風にパサつく。
 観光向けの海岸にはそれでも果敢に遊ぼうとする人々が集まっていて、獅子は車のトランクからこれまた借り物のビーチチェアを下ろすと浜辺の一画に荷物置き場をこしらえた。
「っしゃ! 夏のサマーナンパ大会始めるぞ」
「サマーと夏が被っている……」
 水瓶は個別行動にそろそろ移れるかと思っていたのだが、勝手に車に乗って帰れる状況でもないまま海の家でドリンクを買っているうちに獅子の一派のような見え方でナンパに付き合わされそうになった。獅子はまるで大きな子供みたいに、豪快な明るさで「あーそぼ!」「遊ぼうぜ! いいだろ?」と肉食系っぽい水着女子に声をかけては面白がられているのである。
 それで、獅子があしらわれかけているタイミングで水瓶が寄っていって、一歩引いたフレンドリーさで
「暑いでしょ。熱中症心配だから、水飲んでないなら飲んで」
 と冷えた水のミニペットボトルをあげると、なぜか女子たちはよく釣れた。気がした。水瓶は肉食系女子たちは友達として悪くないと思っているし、その一歩引いた加減が獅子の積極性と相まって、タッグでのナンパ成功率を随分と上げていた。
 獅子と一緒にナンパした女の子たちと遊びながら脳が煮えると水瓶は思った。全身汗だくだが、頭から熱が逃げない。
「おい水瓶、どこ行くんだ」
 獅子の声を背中に、よたよた服のまま波打つ海へ膝まで入っていく。シャツを脱いで海に浸し、水を吸ったそれを頭にかけた。
 海水がぬるいな、と思った瞬間、視界がすっと白くなった。



  【五】

 直射日光が照りつけるビーチで海に足をつけながら視界が白くなったとき、あれと水瓶は思ったが、そんな鈍い反応しか取れなくなっている時点で熱中症を疑うべきだったのだ。獅子もいたし、頭ではまだ行けるだろうと思い込んでいた。
 ぐらりと大回りに視界が揺れ、ふらつきかけていたところで裸の両肩を大きな手で掴まれ、支えられた。
「おい、大丈夫か」
 獅子だった。暑苦しい声で。水瓶は大丈夫と返そうとしたが、体調が予想以上に崩れていたのか言葉が出ず、必死にうなずくばかりで、帰ろうとした足ももつれ、獅子が貸してくれた肩に頼るかたちで海の家まで歩いていくことになった。
 獅子に支えられたのが恥ずかしかった。日頃恥なんて言葉に縁はないが、この時ばかりは獅子との対等さが崩れてしまったようで。
 海の家の日陰で横になり、体のあちこちに氷や冷えたペットボトルを当てられて。三十分ほどで水瓶の意識はクリアになってきた。獅子だけでなく一緒に遊んでいた水着女子たちも心配して様子を見に来てくれた。看病してくれた子もいた。
 今日はもう無理しない方がいいという助言を受けて、水瓶は身を起こすとドリンクを手に、コテージから外を眺めた。まだ太陽は高い位置にある。獅子は波打ち際で水着女子の乗ったフロートを後ろから押していて、燦めく海の水面に日焼けした背中と茶髪がよく映えた。
 じっと眺めていた。どこかで、今日中に借りを返せるチャンスもあるかもしれないからと。けれども獅子の無尽蔵にも見える体力の前では太陽も攻めあぐねるのか、獅子は大声で陽気に動き回るばかりで倒れる様子もない。
 水瓶の視線の先で獅子は、ある時点でこちらに気付き、水瓶の復活を喜ぶ快活な笑顔とともに手を大きく振ってきた。
 苦くて、泣きたいというような気持ちが水瓶の胸を強く噛んだ。
 遠目で、相手に気付かれないうちに、水瓶は笑顔を作って手を振り返した。よく判らない意地だった。あいつと自分とは対等な友人なんだという、それだけの。後で「ありがとう」と伝えなければならないのに、この流れで獅子にそれを言うのは恥ずかしくて、水瓶は頭の中で理屈を探した。何かあるはずだった。
 獅子の顔を真っ直ぐに見られない。



  【六】

 ビーチでの一日が終わって、獅子の水瓶は水着女子たちと夜の海辺てバーベキューまで満喫した後、水瓶の運転で女子たちを駅まで車で送ることになった。水瓶は昼間に熱中症を発症したこともあり、アルコールを摂る気になれなかったのだ。連絡先を交換した女子たちが駅へ入っていくのを見届けると、車内にはすっかり酔っ払った獅子としらふの水瓶の二人が残った。
 獅子は、顔を酒気で染めながらも終始笑みを絶やさない。
「あー、今日はホンット最高に楽しかった」
「気は済んだかい」
「んー、今度はお前が元気な時にもう一回行こうなあ」
 幸せそうに助手席のシートに伸びている姿に毒気を抜かれる。水瓶はハンドルを握りながら肩をすくめて苦笑した。自分がダウンしたときに獅子に助けられたが、この送迎であいこにしてもらおう、という心持ちでいた。
 獅子は大きな図体をくつろげ、茶髪をぱさつかせてうとうとしている。水瓶が静かに運転していると、揺れが心地よかったのかそのまま小さなイビキをかき始めた。

 水瓶は長い時間を、車道を見つめながら無言で過ごした。こんな風に車に二人きりで誰かを乗せるなんてことは、今までほとんど無かったのだけど、そこに今日のこの時を上書きすることになる。
 水瓶の脳裏を、昼間の獅子の腕の感触がよぎった。それから、自分が元気になったと知ったときのあの笑顔。
「……早くいい子が君を見つけたらいいのにな」
 信号待ちの間に、ぽろりと口からこぼれた。
 水瓶は自分が透明な表情になっていることを知らない。横目に獅子を見て、フロントガラスに映り込む姿も視界にいれる。いい奴なんだから、誰か良い子に見つかるべきだと思う。きっと今日会った女子の中にも気付いた子がいることだろう。
 いい奴なんだから──……。
(めちゃめちゃうっとうしい奴だけど、幸せになってほしいな)
 獅子は好きな子いるのかな。……そう思ってなぜか苦しくなり、分析する。
 ああ、獅子が愛されるのはいいけど、本人が誰かを好きになるのは苦しいのか。そうですか。



  【七】

 獅子と水瓶という、見るからにノリの合わなさそうな二人がどうしてこう度あるごとに顔を付き合わせられる場にいるのか、というと、たまたま地理的な条件で、徒歩圏内に互いの家があり、獅子が一人で家に居たがらない性質だからということが大きい。水瓶が呼ばれたり押し掛けられたりする。逆のパターンもある。
 夏の海から数日、獅子は知り合った水着女子と外遊びを続けており、水瓶はそれに誘われながらもなんやかんやと理由をつけて断る日が続いた。水着女子たちは、いずれも悪くないのだが、どうもいまいちピンとくる相手がいなかった。
 獅子がいない間、全然違うことをしている。読書をしたり、提出用のテキストをまとめたり、ネットゲームをしたり、家事をしたり、エトセトラ。自分が何かしている間に今日も世界は高速で情報をやり取りして回転している。
 残暑の光に目を細めながらパソコンに向かっていた水瓶は、ある日携帯のバイブ音に気付いてジーンズのポケットに入っていたスマホを取り出す。獅子からだった。
「もしもし」
『おー水瓶。今暇か?』
「うーん、内容による」
 電話の向こうから繁華街の喧騒が聞こえてくる。獅子はひどく嬉しそうに『あのさ、今すぐ誰かに言いたい気分だから最初にお前にかけたんだけどさ』と声を弾ませた。夏の海でナンパしたあの娘、と言われたが、水瓶には名前と顔が紐付いていなかった。
『付き合うことになりましたー!!
「……へー! おめでとう」
『だろーサンキュー! いやーお前が一緒に海行ってくれたおかげだわ。あの後彼女と何回か遊んでさぁ……』
 デカい声で語られる馴れ初め話。SNSにアップされるストーリーみたいな起伏だなと、水瓶はスマホを耳に当てながら他人事のように思った。なんでこんなに自分のことしか喋ってないのに、獅子の声は明るく聞こえるのか。別に弱味を見せてほしかったわけじゃない。獅子は、多分、結局、そのようにまばゆく在ることが一番良くて魅力的で、らしい。
「おい獅子。幸せになれよ」
「もっちろん! 幸せを万民に分けてやんよ!」
 暗いところを分け合うために友になったんじゃない。
 振り向かせるために友になりに行ったんじゃない。
 そんなことの為じゃない。
 通話が途切れて、日常が部屋を包む。水瓶は頭の中で数字をかぞえ、動揺を自覚した。



  【八】

 獅子は彼女ができたことを、会う人出会う人全てに喋り散らかしているようであった。
 元々そういう相手のリアクションが好きでたまらない人間だから、当然の帰結、と言えばそうだ。そのうち彼女も紹介されるんだろうなと水瓶は思う。隠されるよりはずっとマシだと頭では理解しつつも、獅子の話に付き合っているうちに虚無感が頭をもたげた。
「あのな、獅子。君の彼女が最高だっていう話は、もうよくわかったから。二時間以上喋ってるじゃないか。こっちにも喋る機会をおくれよ」
 昼下がりの喫茶店でゆったりしたラウンジ音楽が流れ、他の席からも楽しそうな談笑が聞こえた。獅子は気抜けした顔で「え、もうそんなに喋ってたっけ」と、我にかえった。
「悪い悪い。でもお前リアクション薄いんだもんよー。やっぱこっちとしては、お前が笑うまで喋ってやろうって思うじゃねえか。なあ?」
 ──などという獅子の言い草に、(憎めないが酷い奴だな)という感想が漏れた。
「こっちは君の顔が面白いから観察してただけだよ」
 嘘ではない。獅子という人間が何かに惚れ込み、熱っぽく動くのを観察するのは、面白い。目が離せないと言うのかもしれない。
 自分は同性の友人としてはおそらくもうベストの立ち位置にいるのではないだろうか。これで獅子に何かあった時に頼られたら、上々。自分の上限はここまでだ。

 獅子の携帯に何かしら通知がきたらしく獅子は「あ、ちょっと悪い」と水瓶にことわってからスマホをポチポチといじっていた。水瓶は気にするそぶりも見せず、コーヒーを口に運びながら自分自身も含めた場の雰囲気を眺めていた。俯瞰で見て、馬鹿馬鹿しかった。
 ──この体があるだけで、スマホの中の誰かに敵わなかったりするんだ。肉体もアバターみたいに付け替えできたらいいのにな。バ美肉の時代だよ。──そうしたら……。
「美少女でも作るかなぁ……。」
 水瓶が突然不穏なことを呟くので、獅子は「んんっ?」と怪訝に目の前の友人を見た。
「獅子、バ美肉しってる?」
「なんだそれ。肉の種類か」
「いや、バーチャル美少女受肉っていって、オッサンがネットで美少女の体になる」
「言ってる事がわかんねえぞ?」
「ああ、もうそうしようかな。ストライクゾーンが倍になるし。デザイン考えるか……。」
 獅子が「おーい。おーい」と小声で呼び戻そうとするのを、水瓶は無視した。困らせてやりたかった。



  【九】

 自分でも何をしているのやら、と思うことはあるが、獅子の前で自分という肉体つきの体の限界が見えてしまった気がした。理性ではっきりそれが見えているからこそ、その先に踏み込むには、何かしら覆す、というプロセスが必要になるのだった。他人は自分のことを常識が通じないだとか何とか言うけれど、多分旧来の限界を見極めるのは、人より早い。
 獅子が彼女との夏の終わりを謳歌している頃、水瓶はデスクトップPCをあれやこれやといじくり回してはアバター作りにいそしんでいた。自分の声をサンプリングして女声に加工したり、様々なバーチャルYouTuberなどを研究してみたりしたが、結局、どうしても世間に媚びたビジュアルだったり喋り方だったりにするのは抵抗があった。声はボイスチェンジャーで変えたものの、ビジュアルにはひたすらに自分の好みを詰め込んだ。
 獅子の前でアバターをお披露目したときには、季節は既に秋へと突入していた。面倒くさがる獅子のスマホにビデオチャットのソフトを入れさせ、ネットとボイスチェンジャーを通してバ美肉スタイルで通話することができたのである。『獅子くんこんにちは。初めまして。アクエリです』と挨拶すると、獅子は通話画面の向こうで大爆笑していた。
「なんだよwwこれwwお前美人だなww」
『水瓶さんの好みを全て詰め込んだからね☆ 美人って言ってもらえるの、テングになっちゃうな☆』
 水色の髪で、年下すぎず、自分の意見をはっきりと言える明るい子。──自分と獅子の好みはかなり被っていたと思う。
『もうちょっと、頑張るからさ。君も付き合えよ』
 獅子は何とも言えないむずがゆそうな顔で、笑っている。水瓶がアバターの顔を通して『好きな食べ物はなに?』『好きな季節を教えて』『好きな音楽も』と質問攻めにすると、獅子はまんざらでもない様子で答えてくれた。たまに質問を返された。「好きな色はなんですか」「尊敬する人はいますか」とかそんなことを。
「おーい水瓶」
『私はアクエリだけど』
「なんだ、あー、……えーと、それでネットデビューとかすんの?」
『もう少しテストしてからね。しばらくは獅子だけだよ』
「おーそうか。頑張れよ。じゃあな」
 通話が途切れる。……水瓶はブラックアウトしたスクリーンを見ながら、獅子のことを、人付き合いのいい奴だ、と思った。
 漠然とした罪悪感よりも話せる喜びの方がまさった。自分は、もっと、話がしたい。



  【十】

 今よりも、もっと性別が無くなっていく体験は、楽しかった。
 この水分とタンパク質からできた体のごく一部でも、いや、脳以外丸ごと無くなれば、もはや誰が誰を愛そうが自由なのだ。視覚情報や聴覚情報はどうとでもできるわけだから。
 秋のごくわずか、短い間、獅子のスマホにはそこにしかいない水色髪のバーチャル人格が居た。アクエリと名乗る彼女は、まだまだCGで作った人形そのまんまだったけれど、獅子と様々な会話を交わし、時にモーニングコールを発して獅子を起こし、獅子の人生相談にものり、時に勝手にラジオをかけ、時に歌った。上手かどうかはともかく、愛をこめて。
 獅子は、アクエリの中の人を知ってはいたが、ボイスチェンジャーまで使って変わっているそれを茶化して笑うことはしなかった。ただ、たまに友人や彼女にアクエリを紹介しようとすると、アクエリはすぐにオフラインになってしまうのだった。テストユーザー以外には顔を見せない仕様らしい。
「なあ。お前もうそろそろネットデビューしてもいいんじゃないか。テストももう充分だって」
 獅子が自宅への帰り道でスマホへ向かって語りかけると、アクエリは何度目かの『もうちょっとで最終調整が終わるから』という言い訳をした。
「彼女と電話するから、しばらくこっち鳴らないようにするぞ」
『えー!』
「わがまま言わない。じゃあな」
 半歩、内側に入ったような慣れ親しんだ笑顔。そして向こう側の手で通信が切られるのだ。

 ──ああ、また、切れてしまった。つまらない。
 水瓶は私室で黒くなってしまったスクリーンを眺める。アクエリの姿で話しかけた時の獅子の顔は、今までのそれと少し違っていた。慣れ慣れしくて、こんな顔もするのかと思うような優しさがある。それが無性にこそばゆくて嬉しい。
(肉体が、本当に、要らないなぁ……。)
 油断すると食事が億劫になる。肉体が枷のようだと思い始めてから、余計にその傾向が強くなった。一日のカロリー摂取量が必要量に届いていない。
 ──歌、歌うの、楽しかったなぁ。また新しいのを覚えよう。聴いてもらおう。
 途切れがちな意識の中で、水瓶は検索候補の中から曲を選び、マイクへ向かって歌い始めた。あいのうたを。



  【十一】

 秋も終わる頃、水瓶は少し痩せた。
 マイクに向かって歌を歌っては加工して、録り貯めて、ということをしていた。素顔の自分では歌えない平凡じみたラブソングを。どうしてそんなに歌いたかったのか自分でもわからない。そのうちアバター無しの動画に変換して、ネット公開するようなことにも手をつけた。
 高らかに歌っている間だけ、自分に欠けているものが埋まるような気がした。最初のリスナーだった獅子の微笑みの残像とともに。

 そんな日々を続けていて、何気なく、その日は来た。
 水瓶が夜、PCに向かって新しい楽曲を探していると、獅子しかフレンド登録していない例のビデオチャットから
『おい。今いないのかよう』
 と声が入ってきた。獅子にしてはずいぶん元気のない声で、水瓶はびっくりしてすぐにチャットのアバターを、アクエリを起動させた。
「こんばんは。珍しいね。どうしたの」
 獅子は、うつむいた状態でスマホを見ているようだった。屋外だ。画像が暗い。横差しの街灯の光で、どうにか獅子の顔が見えている。
『なんか、何でもいいから、歌ってくれ』
「……いいけど。どんな曲がお好みで?」
『この前歌ってたバラードがいい』
 女性シンガーソングライターの切ない曲調のバラード。そんな風に獅子が言ってくるのは、初めてだった。
「わかった。じゃあ、歌うよ。君のために」
 水瓶がマイクをセットして、データベースの中から曲をピックアップする。イントロからアウトロ終わりまで4分45秒。甘いギターとドラムの音にあわせて、その間だけ、歌う。無心のあいのうたが二人の間を流れていった。

『ありがとう』
 曲後、獅子はスマホを顔の側に寄せていたのか、その顔は水瓶からは見えなくて、そのことが水瓶を心配させた。
「……まだ、歌えるよ」
『いや、大丈夫。なんか、一人じゃねえって思えたから……』
 獅子が、よりにもよって獅子がそんなことを言うと思ってなくて、心が震えた。
「君が独りなわけあるか。世界の人口七十七億人が一人残らず君を見てないなんて、そんなことあるわけないだろ。誰かが絶対君を見ているし、君を好きでいてくれるはずだ」
 獅子は、息をこもらせて笑った。
「お前ん家行っていいか。水瓶」
 それも甘えた調子で、断れない声色だった。



  【十二】

 ビデオ通話から数時間後、久しぶりに水瓶宅に押し掛けた獅子が発した第一声は「お前なんか痩せたんじゃねえか?」だった。水瓶にしては人間らしさに気を遣って洗顔などしたつもりだったが、無意味だった。獅子をそのまま勝手知ったる顔で部屋に上がり込み、水瓶が尋ねる前から自分で傷心の理由を語った。
「……なるほど、獅子は振られたと」
「つーかさ、相手がマジ切れしたときにそもそもお前彼氏じゃねーしって言ってきてだな」
「ああ、じゃあキープ君だったんだ(察し)」
「お前口でカッコ察しってゆってんじゃねーよ!! つか俺はそれみとめねえよ!?
 拍子抜けで半笑いするしかない水瓶を前に、獅子はひときわ面倒なゴネっぷりで水瓶の部屋のベッドの上に大の字になるのだった。リアルで会うと、やはり、友人同士色気のないことになる。
 ──これからもずっとこんな感じだろうか。さっきは僕、本気で、心をこめて、歌ったよ……。
 PCを起ち上げたままだったので、水瓶はそこから、アクエリのアバターだけをコピー用紙にプリントアウトした。獅子の顔の前へともっていく。
獅子。元気だしなよ
 裏声で言ったそれは、到底ボイスチェンジャーの声と似つかない。だが獅子は半分ヤケで「アクエリちゃーん、もう俺にはお前しかいないよー」と言った。寝そべる獅子の顔にアバターのプリント用紙が上からぺたんと置かれる。
 そのまま、プリントの紙の上から唇をのせた。紙を挟んで暖かくて柔らかな、獅子の唇の端くれを感じられた気がした。
 少し止まった時を永遠のようだと思った。
 水瓶は何事もなかったかのように立ち上がる。獅子は、固まっていた。ややあって、コピー用紙が顔からずり落ちても、びっくりしたような、やがて混乱の極みのような赤面を見せて、「んん?」と言っていた。
「獅子、カラオケでも行こうよ。最近だいぶ歌えるようになったから今夜は歌おう。君は歌は得意だろ」
「あ。……いいけど。あの水瓶、今キスした?」
 自分のおそれに知らんぷりをする。もう一度、限界を超えてみる。
「愛情表現だよ。それが、何か?」
 ああ、ようやく、言葉になった。
 水瓶は不器用に、うれしそうに、笑った。


 - fin -

作品データ

初出:2019/6/16
同人誌『analog -万年筆小説-』収録(※同人誌はR18)
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