フウゼンノトモシビ

  【一】

 A4ノートの頁を縦に二つ折りして文章を書くのは、速記の人がよくやるんだよと射手に言われて双子は「へー」と感心した。紙をめくる回数を減らし、縦にすらすらメモをとっていくのに適した形なのだという。そのために土台となるキャンパスノートは、終わりにはがっちり折れて変形してしまうけれど、それは書き手にとって仕事をした証になるのだということだった。

 双子にとって言葉とは、どちらかと言えば口頭でくるくると回していくものだったが、本人は、もっぱら商売などで字を書くことが好きだった。書くことでアイデアはどんどん生まれ噛み合っていく。軽やかな生産が双子の気性に合っていた。一方射手のほうは、意外と学術的な、商売とは縁遠い長文をよく書いた。一時期までは筆記具にこだわりはなかったようだが、ある時から玩具のようなフローティング・ペンになり、やがてそれも鞄の中で揉まれて壊れ、今は外来ブランドのカジュアルな万年筆に変わっている。しょっちゅううっかりして指にインクがついている。
「……俺ねえ、本当にものが大切にできないんだよね。大切にしまうって事は、存在を忘れることに直結しちゃうのよ。だから短い間に使って使いまくって天命を全うさせてやらないと、って焦ってんのよ」
 射手の集中は、そのまま彼の物忘れにも直結していて、あまり器用な奴じゃないんだなという印象を双子は持った。
「射手、指また染まってる」
 器用ではないこと、それ自体が双子にとっては足りない何かを埋めるための鍵のように思えて、双子はふふっと微笑んだ。
 
 双子のペンケースには流行のペンが何種類も入っており、その飽き性っぷりは自分で知り尽くしていた。射手は特に根拠もなくそれを「すげえな」と言っては、「俺にはできないわ」と付け足して得がたい才能のように大切に双子のペンケースを扱うのだった。嬉しくもあり、むず痒くもある。



  【二】

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ねえ、射手さ、
さいきん何だかつめたくないですか。
俺なにか悪いこと言ったでしょうか
                 双子
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いや、気のせいではないでしょうか
君はなんにも悪い事は言ってないし
俺がへそまがりに見えているとしたら
君のせいではないです。
                 射手ぴょ
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何かあったのでしょうか?
わたパチ君がウィルキンソンの炭酸
に変わった位のムーヴ感なう
                 双子☆
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普段の俺isわたパチ君という
君の認識はよくわかりました。
君のせいでお空の色がよく見えすぎて俺は
最近花粉症なのです。
なんて事はないです
変に気を使わせちゃってごめんね。
                 射手ぴょ
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ところで、映画でも
見に行きませんか。
                 双子っち
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今やってる〇〇だったら
今週末(土)いけますww
                 いてっち
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じゃぁポチ公の前で
十時(ひる)集合でどっすかww
                 ふ
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おkっすww予習しとくねww
                 い
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ねえ、双子さ、
最近なんだか気持ちを知られちゃいけないと思ってさ
何から何まで作ってる
君のせいで空が青すぎて、ばれたら
君が俺を好きが嫌いか白黒ついちゃうじゃん
それが怖いよ
おれはすきなのに すきだ のに




  【三】

 双子のことを、好きだ、と自覚してから射手の精神状態は千千に乱れ、芳しくなかった。好きになった潜在的な理由などを聞かれると説明に詰まる。
 ゼミの教室で、ふざけて、男女カップルの男がするみたいに腕を相手の肩に置いて抱き込むようなノリで座り、同時に互いの目を見た時の運命的な視線の噛み合いようにバチリと音が聞こえた気すらした。射手も双子もあまりの一致に次の瞬間爆笑してしまっていたが、今でも、忘れられない。

 ──まあきっかけはそんなことだったけど、そうやって二日間ぐらいじっと見ていたら、双子がそれだけ眺めていても飽きないくらい不思議な、表も裏もある奴だと気付いてしまったのだ。明るい時は面白く、また時にフッと見せる、本能なんて通じなさそうな、あくまでも言葉に頼る佇まいがヒヤリと冷たくもあって。
 ──他の奴ならともかく双子には言葉でちゃんと説明しないとだめだ。
 それこそはまさに、射手にとって苦手なことの一つだった。直感や情熱の類を説明で伝えられたら苦労はしない。いくら双子が察しが良くて、こちらの言葉を巧みに補ってくれるとしてもだ。

 映画を観る約束の日は雨が降っていて、射手はポチ公の前に十分も早く着いてそわそわしていた。双子からは、電車に乗り遅れたとSNSが来た。いつものペース配分。友達らしい距離感を意識して繕う。雨の匂いや、ビニール傘ごしの薄明るい街の風景が全部強い解像度で脳裏に入りこんでくる。
 十分ほど予定から遅れて、双子は駅出口にあふれた群衆の中から顔を出した。
「ごめーん遅くなって」
「おー。待った待ったよ十秒ぐらい」
 ハイタッチでもしようかなとためらって、胸の鼓動を感じながら手を挙げる。双子はいたずらっぽく見える眼をくりくりさせながら、「イェーイ」と射手の手を軽くはたくようにして応えた。掌の感触が冷たかった。
 街にはビジョンからソロ歌手のバラードなんかが流れていて、双子の姿にも意外と合う。射手はそれを網膜に焼き付ける。耳にも。五感が痛いほど過敏だった。



  【四】

 待ち合わせて行った映画は、夏らしい娯楽作ということもあり午前の回からきっちり席が埋まっていた。射手と双子はドリンク二つとポップコーン一つを買い、席へと向かう。
「ポップコーンて一人だと映画中に食べきれないよな」
「わかるわー。映画見ながら考えだすと食う手が動かなくなるから終盤くそ余る」
「逆にダルい映画だとめっちゃ食う」
「あるある。飲み物足んなくなる」
 ぱっと見た目、雰囲気の似通った二人で、つるんでいることにも違和感はほとんどないのだが、双子の方が少し垢抜けていたし、射手のほうは背が五センチほど高かった。沈黙をひどく恐れているかのように二人ともよく喋る。どちらが喋っているのか判別のつきづらいような、軽妙なことばかり。
「あれさ、ネコ袋のとこにできた4DXの映画館ってもう行った?」
「あ、まだ行ってないわ。ビルの前通っただけ。あれってなんかスゴいの?」
「映像が今までのよりクリアだって聞いたよ」
「ふーん……。そっちはもう行ったの?」
「いやまだ」
「今度行くかなぁ。ビン座あたりで古い小劇場系も見たいんだけどなあ」
「ちょくちょく懐古趣味入るよなお前」
「懐古っつーか、そもそも俺が生まれてない時代からあるやつだし」
「遺跡じゃん」
「遺跡wwwwてwwwww」
「先に4DX行こうよ。『ししキング』とかやってるっしょ今なら」
「安心の全年齢向けwwwいいけどwwww」
 緊張で話が途切れたらどうしよう、などと柄にもない心配をしていた射手だが、双子からはとめどもなく新しい話題が出てきて飽きるような事は全くないのだった。何もしてないのにジェットコースターに乗っているような気分だ。チケット通りの座席に着くと双子の席と隣り合わせで、間にポップコーンを置いた。
「シェアすっかー」
「そーだなー」
 間接ポップコーンだな、と勝手に造語をひねり出し、双子の手がポップコーンを摘みとるのを妙にじっと眺めてから、自分もポップコーンをとる。
 映画の上映中、無心でスクリーンを見ていたが、一回だけ手がバッティングして双子の手と横から接触した。急に、横に座っている双子との距離の近さを意識してしまって、射手は暗い館内で人知れず赤面した。



  【五】

 映画の上映が終わって、空になったポップコーンの紙箱をゴミ箱に軽くシュートしながら射手は双子と映画館のロビーへと向かった。
「どっかでご飯食べよう。とりあえず語りたい」
 双子はなかなか映画がお気に召したようだ。射手は「オッケー」と軽く返しつつ、パンフレットと一緒に映画のキーホルダーを買った。
「キーホルダーとか珍しい」
「まーね」
 双子とデートした記念だから、などとはおくびにも出さず、すぐにパッケージを剥いで自分のバックに付けた。メタル仕上げのシンプルなチャラチャラした飾り。
 飾りを見下ろしながら、射手の口元にふっと笑みがこぼれた。

 近くのファストフード店でハンバーガーとポテトとコーラにかぶりつきながら、テーブルにパンフレットを広げて双子と射手は登場人物のあいつが良かった、どのシーンが傑作でどのシーンがイマイチだった、とダラダラ語りを繰り返した。「あそこのとこ意味不明だったからもう一回見たい」と双子が言うので、射手は「いいぞー」と気の抜けた笑みでチケットを調べた。
「今度さあ、獅子とか乙女とかも呼ぼう」
 双子がそんな風に言うのは自分の思考を交わす相手がもっとたくさん欲しいからだ。射手自身もその考え自体はやぶさかではなくて、「おーいいぞ」と気軽に返す。
 頭の裏で、二人きりでもう少し居たいなという思いが思考をかすめた。大人数で楽しく過ごすのももちろんやりたいことではあるけれど。
「……そういやこの前山羊と会ったよ」
「へー。どこで」
「図書館」
 あの時自分は泣いていたのだった。
 思念を二重にずらして表に出さないようにしていたつもりが、うまく繕えず、射手はコーラを飲みながら表情を硬くした。
「山羊って蟹と暮らしてたんだっけ?」
 さすが双子。噂に詳しい。
「そうそう。本買わないで借りてるみたいよ」
「あの二人も不思議な生活してるよな」
「……変かな。ああいうの」
「個人の自由ではないかしら」
 うまく喋れない。射手は唇を噛んだ。



  【六】

 臆病で、臆病で、まず遊びでいいから付き合ってみようよとすら言えない。射手は仮面を被ったように笑っていた。
 だって、ねえ。ンなこと言ったって、仕方ないでしょ。流石に。非情なまでの確率で無理なもんは無理。泣こうが喚こうが無理。自分の中の未熟さが血だか涙だかもわからないまま目から流れるし、感情で何一つどうにもならないという原光景も観える。
 青春ってそうやって過ぎていくんじゃないの。
「あいつら、怖くなかったのかな」
 射手がぽろりと遠くを見ながら呟くのを、双子はアンニュイな表情で聞いていた。なんとなくそこに居る。居ることに価値がある時間だ。
「あいつらって、山羊と蟹?」
「うん」
「……二人で家買うって言ってたっけ」
「そう。それは最終目標らしいけど、でも二人で節約して少しずつ家電買ってんだって」
 双子は、頬杖をつきながら「うーん」と軽く首をかしげた。射手といろんな話をしているうちに、ごくたまにこんな、話の場に居ることに意味のある話をする機会がある。
「意外と自発的に進んでいるときは怖くなかったりするんじゃないの。そういうのって」
 ──射手は怖いと思ったのか? こいつが?
 双子が射手の細かい表情を読もうとすると、射手はますます明後日の方を向いて思い詰めたような顔をするのだ。
「あいつら男同士じゃん」
「それがいかんのか?」
「いや、ただ、……どうやってお互いの気持ちを確かめたのかとかさ、気になるじゃん」
 そう言いながらも射手の体勢はいよいよ90度横に逸れんかとばかりに逸らされて、視線はさらに彼方へ。双子はそれを遠いなと思いながら見ていた。
 射手は気付いていない。時々、誰の手にも届かないような印象を与える。友達だから耐えられる。放っておけば適当なタイミングで好きなように戻ってくるからだ。
「お前ほんとモテなさそうだよなぁ」
 双子がスプライトを飲み干しながらすげなく言うと、射手は急に慌てた風になって「え」とこちらへかぶりついてきた。穴だらけ。抜けの多い奴。なんとなく、放っておけなかった。



  【七】

 双子にとって射手の情緒不安定さ、というか突発性というか、不定さといった要素は今に始まったことではない。どこか熱に浮かされた楽しそうな顔で突然トンチキな話をしだすし、それを周囲が面白がるもんだから余計芸風として身に付けてしまっていて、たまに皆がファミレスでたむろってときに飛び出す
「射手は何をするか分からないところがあるよね」
 なんていう軽いネタ混じりの所感はまず本人の耳には届いていない。
 半分芸風で、半分狂気。時々理想。たまに自分と瓜二つかと思うほど気が合う。野次馬根性という言葉がぴったりだ。似てるところはすごく似ているのに、時々話が全く通じなくなる。
 前回遊んだ時に、やたらと射手が蟹と山羊の関係性を気にしていたことを思い出して「そういえばこんな面白い本あるよ」とオススメのBL漫画を二・三作見繕ってSNSで勝手に紹介してみたが、射手は全く食いついてこなかった。もしかしてヘイト寄りなのだろうか? と思ったが、射手本人は蟹にも山羊にも相変わらずオープンな態度で接している。
(嘘とかつくタイプには見えないんだよな)
 射手が、曇っているように見えるのが我ながら気がかりなのかもしれなかった。

「な~んか、射手ぴょ悩んでる気がするんだよね」
 と複数の友人同士でたむろってる時に話題にしたところ、「それは恋だろ!」と面白そうに断言したのは獅子だった。少し前に海でギャルと連絡先交換をした自慢話を聞かされたばかりだ。ノリノリな調子に「恋ですかァ~?」と軽く合わせたものの、若干の寂しさも感じる。
「あのアホがねぇ……。」
「わかるぜ~恋の悩み。悩むよなそういうのは」
 納得顔をしつつも全く悩んでなさそうな獅子だったが、「障害のある恋ほど燃えるんだ」と何気なくドヤ顔で言っていく一言一言が双子の背骨をざわつかせて、余計な残り火を残していった。

「そういえばこんな面白い映画も見た」と書いて好きな恋愛映画を二・三作SNSで軽く出してみたが、やはり射手は乗ってこなかった。当たらなかったかな、と双子が軽いため息とともに首をひねる。
 射手はといえば、SNSなどには相変わらず居るのだけど、時折
『無限ループしてる』
 と意味不明なコメントをして種明かしもしないのだった。



  【八】

 双子がSNSで挙げていた映画やドラマ、漫画なんかはなるべく見るようにしている。自分だったらまず自発的に見ないであろう視点のリスト。前情報は持ってないけど、まあまず間違いないだろうなという保証されたクオリティと、キャッチーさ。
(双子は、どうも、みんなウケるというさじ加減が得意だ)
 感想を言うだけで喜ぶんだから、それはやらない手はないだろう。と射手は思う。

 他人と居る時、特に初対面の人間と会う時、ことさら気を遣って道化を演じてしまうから余計疲れる。双子相手だとなんとなくそこまでしなくても、居られる、と気付いたのが最近のことだ。
 SNSでもフツーに好きだけど、そういえば本当にオチたのってリアルに近くに居た時だったなあ、と射手はふと散歩中に思った。
 双子へSNSで映画の感想を送った後、小劇場でのマイナーな映画を『見に行かん?』と射手は誘ってみた。無理強いはしないし、面白くないかもと伝えて。双子から『その日ヒマだからいいよー』とレスが帰ってきたとき、胸がぎゅっと愛おしくなった。
(好きになるのに緊張したり、頭真っ白になったり、死にたくなったり、天国みたいに浮かれたり、忙しいなあ)
 嬉しさで不審なぐらい体を揺らしながら、射手は跳ね回る。我が儘を言いすぎたら絶対に痛い目を見るのに! 経験上わかっているはずなのに!

 秋口にさしかかり、少し肌寒くなった頃、射手は双子と待ち合わせて小さな映画館へと向かった。
 客観的に普通でいられる自信がない。双子のこなれた装いと軽さを感じさせるヘアスタイル。「ちょっと寒くなってきたなー」という肉声。小劇場は、ビン座のメインストリートから二本ほど奥まった通りに入った先にある。
「結構昔のフランス映画のリバイバル上映なんだけどさ。双子見たことある?」
「いや、ない。そういうのはネットにあったら見る程度かな」
 双子の口から動画配信サービスの名がちらほら上がるのを聞く。SNSでも前にどこかで言っていた気がする。
「あんま一般ウケする趣味じゃねーって思ってるから、基本ひとを誘わねーんだけどさ。つまんなかったらごめんね」
「見る前からその姿勢はいかんでしょー」
 双子の柔軟さに救われる。祈るような気分になる。



  【九】

 小劇場に観客が十人いるかどうか、という状況で二人が観たのは九十分程度の短編映画だった。射手は結構昔と言ったが、二十年近く昔の映画で、双子に言わせれば古典だし間違いなく配信サービスに無料で入っていなかったら見ない類の、ましてやわざわざチケット代を払ってまでは見ない映画だった。以前人気映画シリーズに出ていたベテラン俳優が若い年齢で出演している、人種の壁を超えた恋愛映画だった。
 射手はポップコーンにも手をつけず、没入するようにして映画を観ていた。エンドテロップまで観終えて場内が明るくなった後、ロビーに出るまで無言だった。
「……双子、どうだった?」
「うーん、彼氏役の俳優さん、あの人? 〇〇のシリーズで校長先生役やってた」
「そうそう」
「そこちょっと気になった。あの俳優さん好きなの?」
「うんにゃ、監督に興味があっただけ」
 脚本が結構タルむんだけど、映像美と音楽とエンディングの空気感がいい感じなんだよな、と射手は笑った。
「こういう、自分以外の人間が見てもタイクツだろって思うけど、俺だけがすごく楽しい、っていうハマり方すること多くてさ。だからつい単独行動が増えるっていうね」
「あー。射手はそれありそうね」
「うん。いかがだったでしょうか」
「初めて観たけど、まぁほどほど。悪くはなかったかな」
「あはははは」
 射手の、苦笑とも空虚ともつかぬ笑い方が、ビン座の裏通りに差し込む午後の白い光にまみれた。
「いつか双子と二人でクソ映画鑑賞会するのが目標だけど、ムリっぽいね!」
「まきこまないように」
 射手はますます、馬鹿みたいに笑った。そうして、秋口で小寒くなり始めている季節をいいことに、「寒い。双ちゃんあっためて」と双子の後ろからじゃれつくようにしてしがみついてきた。(そんなキャラだったっけ?)と双子が違和感を感じていると、射手が頭をもたせかけてくる。
「あぁ。今日はお付き合いいただき、ありがとうございます。ありがとう」
 ……少しだけ、声が震えているような気がした。
 双子は、思った。こいつはこんなにパーソナルスペースが狭い奴だったろうか。こんなに近くに寄ってくる奴だったか? と。
「射手さー、最近なんか悩んでね? 気のせい?」
 射手の動きが、背後で完全に止まった。
 地雷を踏んだかもしれない、と双子は思った。



  【十】

 ふざけたふりをして、じゃれついた双子の背中は暖かくて意外としっかりしていて、なんだかそれだけで胸がいっぱいになった。その矢先に「何か悩んでね?」と訊かれ。
 キャラでもないことを無理にやったから、やっぱり、やらかした、と射手は思った。双子の勘の良さなんて肌で知っていたというのに。
 何回、こういう気まずいところを越えていかないといけないのだろう。トンズラを決めたらいいのだ、本来。生きる上で他人の言う事なぞ聞く必要なんてあるか。自分一人でやりたいようにやったらいいのだ。逃げるだけで相手が困るわけでもなし。
 それじゃ駄目だという思いと、恐怖と、双子がわずかな異変に気付いてくれた嬉しさが胸を衝いた。
 射手が固まってから少しして、双子は何かに勘付いた様子で振り向いた。
 射手は凍りついたような真顔をしていた。双子は、ただごとではないと思ったが、やがて諦めたように射手の顔が緩んでくる。そうして、双子から視線を外したかと思うと天を仰いだ。
 ──射手お前さ、それだよ、その癖。一瞬で誰も手の届かないところまで飛んでくじゃん。だから、モテないんだって。
「おまじないか?」
 実際に双子の口から出たのはそんな言葉だった。射手は空模様からゆっくり意識を戻してきて、「え?」と呆けた調子で言った。
「いま射手さんスゲー空見てましたよね」
「あ、あ。ごめん」
「悩んでらっしゃるよね? 喋らないと俺はどうもしてやれないよ?」
 射手の目が少年のような、脆い透明さを帯びた。
「俺はね」

「双子。お前のことが、好きなんだ」
 
 裏通りの昼下がり、脳裏に焼きつくような風景の中で、今度は双子の方が固まる番だった。射手は、もどかしく、「別に付き合ってくださいとかそういうつもりじゃなくて」と言ったきり、言葉を失った。まともに顔を見てやると赤面していた。双子の頭の中でマジかと声が聞こえた。
「……あの、射手さん。俺はですね、お前のこと、友達として見てた。つか今も見てる」
 射手は無言で作り笑いをしながらうなずいた。
「お前の性的嗜好っていうの? そういうのを悪く言うつもりではないんだけど、お前にそういう目で見られてるってなっても、俺は、応えられないです。つらいです。ごめん」
「はい」
 こんなにも消えそうな声で射手が呟くのを聞いたことがなかった。胸がぎゅっと重くなった。



  【十一】

 双子を好きになったこと自体は、間違ってはいなかったと思う。
 双子が、当意即妙とばかりに、茶化しもせず真面目に話を返してくれた。射手はそれだけで双子の言葉を素直に聞くことができた。これだけフラットに断られてしまったらもうどうすることもできなかった。双子にも、同じように、自由であってほしかったから。
「ごめん」
 双子が重ねてきた詫びの言葉を、射手は「うん、わかった」と受け入れた。
「大丈夫。聞いてくれてありがとう」
 それじゃあここで、さよなら。……と口から勝手に言葉が出て、双子がつらそうに「さよなら」と言う。射手は双子から離れてあてどなく歩き出した。知らない路地を分け入って、奥へ。途中の人混み、雑踏も抜けて、レンガのガード下も抜けて、もうビン座でもない、人もまばらな線路脇を延々と歩いた。途中何度か、横を電車が風を切って通り抜けていった。もう一度線路をくぐるトンネルに入ると、もう誰の姿も見えない。そこで膝から力が抜けてしゃがみこんだ。
 目元に熱いものがこみあげてくるのと同時に、初めて自分の中から激しい嗚咽が溢れてくるのを他人事のように聞いた。
「ウウウウウウウウウウウーーーーッ」と、もはや言葉ですらない悲しい音が後から後から喉をほとばしって、ずっと止まらなくて、何も考えられなかった。
 自分は、本当に心の底から双子のことが大好きだったのだ、と、振られて、初めて、わかった。

 双子は、射手が離れていくのを引き止められず、路地の中で、苦い顔をして柄にもない大きなため息をつくしかなかった。
 どちらが悪かったわけでもない。ただ、友達を一人、なくした。
 軽くかわせばまだもう少しどうにかなったかもしれないのに、あの時だけは射手がそれを欲していないように見えて、あまり洒落のきいていない姿を晒した。
 ──友達のままで、っていうのも、多分あいつには残酷な仕打ちになったんだろうし。
 理不尽だ、と思った。
 想いのバランスが噛み合わないことが。あいつの抱えたものが、恋愛なのだとしたら、恋愛はあまりにも理不尽だ。
 自分だって可哀想だけど、あっちの方がおそらくもっと可哀想だ。
 友達でいたかったと、独り言でさえ言うには重たくて、深いため息を繰り返すしかなかった。



  【十二】

 あの日から後、双子と射手が顔を合わせたのは数回ほどだったろうか。射手は朗らかな軽い態度のまま二度と踏み込んでこずに、なんとなくやりとりが途切れて、十年。互いを思い出の彼方に追いやって、別々の人生を送ってそれだけの時が経った。

 きっかけは流行りの映画のオフ会だった。ハンドルネームしか知らない面子が数人。その集まりに、いざ双子が参加してみると、待ち合わせていたシネコンの大きなロビーに十年ぶりの男の姿があった。
「ゲエッ」
 蛙を踏みつぶしたような呻き声を双子があげ、男が振り向く。大人びた顔が一気にオーバーに歪んで「はあ!?!?」と叫んだので双子はそれにも若干傷ついた。
「お、お久しぶりですね。射手さん」
「ど、どうも……」
「ま、まさか待ち合わせですか?」
「ええ。オフ会でして」
 互いに視線を逸らしながら白々しい会話をしていくうちに、やはり同じオフ会の参加者だと露呈する。「マジかーマジかー」と双子が呪文のように繰り返すのを、射手は引き攣った笑いで受け止めた。
「俺だって御縁は切れていると思ったんですがね……」

 神様は、理不尽なコトすんのネ。
 射手は天井を仰いで思索にふける。さすがに諦めて違う道を歩んでいたのに、それは無いわ神様、と思った。心臓がざわめく音がする。
「お前その癖変わってないなあ」
 双子の声に引き戻されて、素で「へ?」と訊き返した。双子は、笑っていた。嬉しそうに。
「人が喋ってる時にうんと遠くを見る癖。彼女だか彼氏だかがいたら不評だろ。今付き合ってる人とか居んの?」
 一瞬で頭にかっと血が昇って、「居ねーし!」と毒づいてしまう。その後、不安になって「そんなに俺遠くばっか見てる?」と尋ねた。
「そういやずっと指摘してやってなかったな」
 垢抜けた微笑の中に、懐かしい悪戯っぽい光が混じる。
「もっぺん、友達からやってみる? 射手ちゃん」
「ざけんな。もう友達しかしません」
 俺たち、終わったんじゃなかったのかな。
 二人して見つめあった後、無言でハグを交わした。不確定なぬくもりを抱きしめる。時計の針が再び進み出してゆく。


 - fin -

作品データ

初出:2019/6/16
同人誌『analog -万年筆小説-』収録(※同人誌はR18)
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