頭の隅に奴がちらつく

【牡羊×乙女】

 外は骨まで乾いて割れそうな夜だった。室内で焚かれた旧式のストーブと上に置かれた薬缶が暖かい空気をくゆらせる。ガラス戸に結露が這っていた。壁の時計の針が進む音に互いの呼吸音を重ねて聞きながら、牡羊と乙女はベッドの中で添い寝していた。
 いつも精力旺盛な牡羊でもたまにこうして無口になり、誰かの肩に顔をうずめてくまのできた目を閉じることがある。そんな時は行為をするのも億劫だった。形だけは乙女を下に押しつぶして制圧したスタイルをとりながら、牡羊は乙女の体の温かさに甘えていた。
「疲れたか。戦いに」
「……」
「そろそろ平和のよさに目覚めたらどうだ?」
 牡羊に対して、「お前はいつも戦ってばかりだ」と乙女はいう。牡羊の仕事のことを指しているのか日常生活における彼の気質を指しているのかはわからない。対照的に出されたあいつについて、牡羊は直感的に天秤の顔を思い浮かべた。
 天秤の優雅なしぐさを思い出しながらうっすらと開けた目を、またぎゅっと閉じた。
「俺はあいつみたいにはなれない」
「一部だけ取り入れればいい話だと思うが」
「無理。腹立つんだよ。誰とでも仲良くなあなあになるのって」
 きっと、物事をすぐに勝ち負けで考えて勝手にムカっ腹を立てるこの気質が救いがたいのだ。牡羊は休んでいても負けを認められない。休む時は一切の勝負を保留にしたまま、こうして不機嫌に疲れた身体を信頼できる人間の上に預けるだけだ。

 ──時々うらやましい。一瞬でもあんな風に、完璧に平和になれたらいいのに。

「乙女。今の仕事がさ、すっぱり片付いたらどっか旅行でも行こうぜ」
「旅行か」
「返事は?」
「南の島だったら。近場で温暖なところがいい。この時期に寒い国へ行っても不経済だ」
 牡羊は乙女の肩にくつくつと笑って吐息をふきかけた。
 実際この部屋から一歩出たら寒い。むせ返すような暖かさに守られた部屋で、疲れを汗に溶かして体の外に追い出しながら牡羊は乙女の首を抱きこむ。そのまま身体をずらして乙女の首筋に頭を埋め、脈打つ首筋を吸った。
 勝気なやつだ、とため息をつく乙女の声に甘やかなものが混じった。



 ◇



【天秤×魚】

「純愛っていうのも、実はバランスがとれていない恋愛だと思うんだよ」
 蟹や乙女あたりが聞いたら怒りだしそうな天秤の言論を、水瓶は特に怒るでもなく先入観なしで聞いていた。夕飯時の小洒落た居酒屋でのことだった。
「相手しか見えていないっていうか。永遠か破滅かみたいな……スタイルとしては憧れるんだよ? でも自分が実際にそういう状況になったとして、熱くなりきれている自信がない」
「そうだね。全米ナンバーワンみたいな展開だ」
「うん。うまいこと言うね」
 腹に入った白ワインが美味かったのか天秤はくつくつと笑ってカウンター横の水瓶をみた。机上の会話で遊ぶのが好きな二人だった。とはいえ、天秤には実は魚という交際中の連れ合いがいて、自分はどうやらその愚痴相手に選ばれたらしいということを水瓶はよくよく理解していた。
「熱くなれたらいいんだけどね」
「君の場合、取り乱すところからもう受け付けないんだろう」
「それはあるな。絶対に受け付けない。
 ……正直ねえ課題なんだよね。今の連れ合いがさ、情に引きずられやすいっていうのか。優しいのはいいことだけど甘えん坊すぎる。端々がエレガントじゃないんだよなあ。本心じゃ調教したいんだけど実際にその場面になるといちいち注意して躾けるほどでもないという微妙なラインなわけ」
「そういうところが好きになったんじゃなかったの」
 水瓶が苦笑交じりに指摘すると天秤は「そうなんだよね」と淡白な愛憎のかけらをのぞかせた。酒を嘗めながらカウンターの繊細な空気に包まれて目を泳がせる。
 魚や、水瓶を見ていると、天秤は自分が本物の博愛主義者ではないことを思い知らされる。どちらが正しいかなどと考えることには意味がないのだ。それでも取り付かれたようにその関係を見ていると自分の攻撃性ばかりが浮かび上がってくるようで……払うように軽く頭を振った。



 家に帰るのが遅くなっていた。魚とは同棲を始めている。
 魚は天秤がドアを開けるなり居間から小走りで寄ってきて、「寂しかった」と甘えてくる。ほとんど儀式的に抱き返すアクションをとりながら天秤の頭の中は醒めていた。潤んだ目で少しでもこちらの心を得ようとする魚の心が、重い。
「ねえ、天秤……」
「うん」
 天秤は曖昧に笑いながら廊下の奥にある寝室の暗がりをうかがう。
 魚にもその意図がわかるように、手を引いて寝室へと歩いていった。「あっちへ行こうか」と子どもをなだめる口ぶりで。
 至極ロマンチックに、尽くしているつもりなのだ。最大限魚の望むように振舞って彼を安心させているつもりだった。
 魚は天秤の腕の中で弄ばれながら悲しそうな眼をして、耐えられないといわんばかりに悲鳴をあげた。
「天秤! なんでそんなに冷たいの」
「冷たい? 僕は冷たくなんかしてないよ」
「もうやめて。天秤なんか冷たいよ。僕なにかした? 本当のこと言ってよ。あいつみたいに短気でもいいから。お願い」
 あいつが指すのは牡羊のことだろうか──天秤は二人の共通の友人リストから消去法でかの男の顔を思い出した。あの直情的な、竹を割ったような性質。
 魚と繋がっていても気持ちよくない。でもあいつのようにそれを口に出すのは、見苦しい。自分はあいつのようにはなれない。
「魚は何もやってないよ」
 自然と、魚を攻める手が攻撃的になる。甘さと痛さが入り混じった悲鳴をあげる魚に天秤は穏やかな笑みを浮かべて奉仕を続けていた。
 攻撃的なときほど微笑みと調和を意識していなければならない。何事もバランスが大事なのだ。


 - fin -

作品データ

初出:2008/11/4
同人誌未収録
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