愛と希望とプロテインと水瓶

 きっかけはささいなことだった。クラスの中で三馬鹿トリオ(牡羊・獅子・射手)による「ゴリマッチョ細マッチョ祭り」がブームになり、俺たち星座組のクラスメートたちは壮大な筋肉至上主義の潮流へと飲み込まれていったのである……!

「なあ双子、そういうわけだ。いくら僕らがひょろいからって、体質的にどう頑張っても細マッチョにしかなれないはずだという奴らの決め付けは間違ってると思うんだよ」
「ああ、うん?」
「筋肉というのは適切な負荷をかけて筋組織を細かく断裂させ、そこに適度な栄養と休息をあたえることで前よりも太く再生させることができる。これは超回復といってみんなが持っている特性なんだ。つまり理論的なトレーニングを積み重ねることによって僕や君であってもゴリマッチョになることは可能なんだよ」
「うん。まあ理論上ではそうなんだろうけど俺はあんま興味ないっつーか。あいつらもノリ重視でやってるだけなんじゃないの?」
 俺と水瓶の視線の先では今日も牡羊と獅子と射手が軽やかに前後へステップを踏みつつ笑顔で筋肉を誇示していた。牡羊と獅子がゴリマッチョ担当、射手が細マッチョ担当らしい。しかし射手も細マッチョといいつつ筋肉量はそれほど少なくなく、夏バテの胃弱で細くなっている山羊や元から細い魚などと比べて明らかに男性的な筋肉ぶりである。昨日などはそれで俺の前まで来て「ユー細マッチョ」とサムズアップしながら爽やかに言っていたのでこちらも面と向かって「禿げろ」とキュートに言ってやった。夏を恨んで人を恨まずである。早く九月来い。
「僕はプロテインを飲んで奴らを越えるゴリマッチョになってやる……!!
 使命感に突き動かされた水瓶の後ろで雷が二・三個派手に落ちる音がした。大音響。俺は無表情であった。がんばれ水瓶。お前は風組の希望の星だ。あと最終的にそのへんのバランスを決めるのは筋肉じゃなくて骨格であって、骨格はトレーニングで伸びないと思うんだ。

 かくて次の日から水瓶の筋肉増強プログラムは始まった。なにせ奴自身は実用に耐える筋肉よりも短期間でいいから三馬鹿を凌駕するボリュームを求めていたので、そのプログラムは食事からスケジュール管理から何から何まですべて筋肉のために考え抜かれていた。朝食は手広くがっつりと摂り、昼食では卵やチーズや魚や肉などいかにもなラインナップとプロテインとサプリメント、そして何故か授業開始直前におむすびを食べ(筋肉充電のためらしい)、授業が終わるとすぐに運動部に飛び込んでベンチプレスやらスクワットやらをするのだった。三日に一回そうやって極限まで筋肉を痛めつけ残りの二日はプロテインを飲んで普通にごろごろしている。毎日根性論を振りかざして体をしごくのはビルドアップ向きではないという理屈らしい。
「何だか鍛えてる時間よりゴロゴロしてる時間のが多く見えるけど、そんなもんなのか?」
「そんなもんだよ。でも、効率を最大限高めるように努力はしてるからね」
 水瓶が半袖からのぞいた腕をゆっくり、引き絞るように曲げると筋肉のきしる音がしてはっきりした大きさの力こぶが血管と一緒に浮かんだ。水瓶がなんでもない風に微笑む。その絵面のおもいがけぬ男臭さに俺は唖然としてしまった。
 一方、クラス内部は筋肉ルネッサンスの夜明けを迎える。水瓶のほかにも筋肉への配慮をするものが増え、教室にマイダンベルを持ち込む輩が増えた。天秤はダンベルを使って主に背筋のマッサージを楽しんでいた。青竹踏みの要領で床においてその上へ寝そべるのである。俺もやってみたが気持ちいい。また、三馬鹿のほかに運送業のアルバイトで立派な筋肉を持つ牡牛のヒエラルキーが突然急上昇した。水瓶のプログラムを見ていて気づいたのだが筋肉をビルドする原料を溜め込むにはまず大飯喰らいである必要があるのだ。牡牛のガタイがいいのはごく自然なインプットとアウトプットの結果であるらしい。他にも水組の蠍が昼休みに上半身裸で腹筋をする際の「フシュー、フシュー」という湯気が妙に妖しく、奴の褐色の肌と割れた腹筋も込みでエロ筋という新流派が生まれた。余談だが同じ水組の蟹の筋肉もしっとりしており白のエロ筋と呼ばれていたりする。裏千家と表千家のような扱いである。

 水瓶の筋肉増強プログラムの結果は傍目にもめざましかった。それまでガリ寄りで涼しさの巨頭だったはずの水瓶の体は日増しにその体積を増し、脱いだらスゴいと言われる程度の筋肉量である日射手を超えたらしいことがクラス内の筋肉会議で明らかになった。
 放課後の腕相撲大会で水瓶が射手を秒殺したときなど、その腕周りの筋肉のたくましさぶりに誰もが衝撃を受けた。盛り上がる力こぶから前後してそれをサポートする肩の筋肉、手先に力を伝える腕の筋肉が一まわりも二まわりも分厚くなっていたのである。俺は適当に腕相撲大会のジャッジにまわって保身を図りつつ負かされた射手がわめいて再戦を挑み再度秒殺されるのを見ていた。応援している牡羊も獅子も「ありえねー!!!」と危機感交じりに絶叫していた。
「射手、どけ。俺がやる」
 射手のリベンジとして牡羊がいてもたってもいられずに机の前に出てくる。水瓶は前より分厚くなった手をコキャッと鳴らしながら不敵な笑みを浮かべて勝負の卓についた。
「いつまでも筋肉一位が自分たちだと思われていては困るな」
「なんだと……!?」
「牡羊。僕はね、別に筋肉至上主義とか筋肉が世界を救うとかそんなことは考えちゃいないのさ。ただ、たった一つ風組から絶対にマッチョは出ないという固定観念だけは修正してもらうっ……!」
「はあ? お前筋肉つけるのに余計なこと考えすぎなんだよ!」
「残念ながら脳みそまで筋肉じゃないんでね!」
 試合が始まるなり瞬殺であった。水瓶が。牡羊のカチンときたときの瞬発力が予想以上だったのか水瓶が射手戦で全てを出し尽くしてしまったのかは不明である。この戦いの顛末に見ていた蟹がやさしい微笑みで「だからヘタレなんだよなぁ」と残酷な言葉を吐いていたがそれは今回置いておく。
 水瓶は牡羊に負けると「こっちは先に射手と戦ってたんだからハンデだ」と往生際の悪さを全開にし、ベンチプレスの練習があるのを口実にすたこらさっさと教室から逃げていった。こうして翌日からは教室に持ち込まれるダンベルのレートが全体的に上がった。火組の連中も危機感を持って筋トレに取り組み始めたルネッサンス中期である。
「僕はあいつらのダンベル練習やスクワットに置いていかれるなんて悲観はしてないよ。毎日やってれば筋肉が増えるだろうっていう単純な思い込みがもうナンセンスなのさ。だらだらした運動で起こる超回復の量はたかが知れてるし、超回復の起こるときに適切な栄養をとっていなければやっぱりウェイトは上がらない」
「ほう」
「従って計画的にプロテインを摂取している僕のほうが最終的には勝つと思うね」
 クラスの中にやたらと男臭が漂いはじめる中、腕相撲大会の成り行きを見て水瓶に声をかけてきたものもいる。夏の間胃弱でずっと細かった山羊である。
「俺もマッチョって言われたことがないんだ。いつもマラソンランナー型とか細身スジ筋とかって言われてばかりで。俺胃弱なのに……」
「山羊、君も守りに入ることはないよ。定期的に徹底的な筋肉トレーニングをして毎日プロテインを飲めば君だってなれるさ」
「マッチョに……俺もなれるかな……?」
「なれるさ……プロテインを信じろ」
 いや、胃弱タイプにプロテインはきつくないか? そんな俺のツッコミが脳内にこだましたが山羊と水瓶は既に筋肉同盟の契りを結びつつあった。その日から水瓶に騙される(というか乗せられた)形で山羊もせっせと筋肉をつくりはじめた。毎回トレーニング直後にプロテインを口にして真っ青な顔をしていたのが俺には気になったが。

 山羊はどうもプロテインが飲めなかったらしく数日後には筋トレのしすぎでガリクソン状態になっていた……。

「……山羊、前より細くなってね?」
「……あれほどプロテインを飲めと言ったのに飲んでなかったらしい。超回復が起きないまま過度の筋肉負荷をかけ続けると筋肉は修復が間に合わなくってどんどん細くなってしまうんだ」
「うん。てゆーかそれだったら止めないとまずくね?」
「うん……」
 超回復が起きないまま根性でベンチプレスをやっていた山羊はある日全身がぷるぷるしすぎてトレーニング中に失神しあえなく筋肉ランキングからの脱落を余儀なくされた。胃弱と過労による貧血が原因であった。哀れ山羊。まあ学校には相変わらず来てるけど。水瓶を見つめる山羊の視線がなんだか怖い。水瓶はといえば自らの肉体改造に夢中で山羊のことは残念な失敗例としか思っていないようである。
 その後山羊は蟹たちのグループに混ざり、奴らの穏やかな筋肉作りの方法に混ざることで少しずつ胃弱ぶりを克服していった。最近では蟹や魚と一緒に太極拳まがいの動きをしていたり、見よう見まねで片手腕立て伏せなどにも挑戦している。腕立て伏せのたびにぴくぴく動く胸筋を蠍がガン見していることは教えてやるべきだろうか。放っておくべきだろうか。

 そして季節は巡った……。

 やや強引な切り返しだが、実際あのゴリマッチョ細マッチョ祭りから数ヶ月経ち水瓶の筋肉増強プログラムは終盤に入ってきていた。最近では筋肉トレーニングに割ける時間を増やすため、上半身に負荷をかける日と下半身に負荷をかける日を分けたらしい。トータルではその分休日が一日減ったわけで、心なしか水瓶の顔は男性ホルモンの増加により油ギッシュになり始めていた。毎日起きてすぐ生卵を二つ丸のみしているという。それまで着ていた服は筋肉の鎧によってぴちぴちになり、水瓶は自らの変化に戸惑いながら「服を買い換えようかな」などと太めになった声で漏らした。
「ねえ双子、油取り紙持ってる?」
「持ってるけど」
「一枚もらってもいい? 自分の持ってくるの忘れちゃった」
 デオドラントを使ってはいるがそれとは別種の脂に悩まされ、乙女がつい口にしてしまった「ハ○のスイッチが入ったんじゃないか」という分析のせいで水瓶ハ○説が爆速でクラス中に広まった。そろそろ俺は友人として水瓶を止める時期にあるのかもしれない。あまり水瓶の肉体改造ぶりが面白いのでここまで見守ってきたが、あんなに涼しさの巨頭だった男がこの若さで光の王子になってしまっては流石に奴がかわいそうだ。
「水瓶さあ。そろそろ勝負かけに行っても大丈夫なんじゃね?」
「勝負って、牡羊と獅子?」
「うん。つかその筋肉ならもう誰もお前をヒョロ認定とかしないからw」
 口には出さなかったが、筋肉ルネッサンスも末期であった。意識して筋肉を鍛えているのは今や水瓶と山羊などの健康維持派の人間だけになり、現在では天秤が発端となった「メランコリー(笑」が流行語としてもてはやされている。牡羊と獅子と射手もやってる。水瓶は遠い目でクラスを見回すと丸太のように太くなった首をなで、蒸気の昇る体から生暖かいため息をついた。
「双子。こうして鍛えてみてわかったんだけど、筋肉っていうのは思ったよりもずっと理論的で、しかもそれだけじゃない不確定性も併せもつ面白いものなんだよ」
「うん」
「今となってはもっと筋肉のすばらしさを語りたい気分なんだけどね……。もちろん火の連中にゴリマッチョ認定をさせるという当初の目的は果たされるべきだが」
 眉間に皺を寄せる水瓶の前で笑顔がひきつりかけた。そうでなくてもお前ボディビルダーに足突っ込みかけてるぞ。個人の自由といっても筋肉話を延々聞かされるのは最終的には俺だ。これは早く止めねば。
 そんなわけで俺の都合により第二回腕相撲大会は急遽開催された。サブタイトルは~水瓶を誰か止めろ~往生際の悪い水瓶とフェアにやりあうために水瓶はしょっぱなから牡羊とのカードが組まれ、他の参加者についてはトーナメント方式で戦いが行われることになった。火組三人はもちろんのこと他の組からも蠍、牡牛、山羊、おまけに面子合わせで入った天秤となかなかの面子が揃っている。水瓶絡みのカード以外は全てあみだくじで順番が決められ、観客も集まってきて大会はいい具合に盛り上がりを見せた。掃除用のはたきをマイク代わりに俺の実況も弁舌滑らかだ。一回戦は蠍vs牡牛の重量級マッチ。
「さあー始まりました第二回腕相撲大会! 一回戦から豪華カードだァ! 青コーナーについたのはエロ筋始祖にして歩く放送禁止用語、蠍だァ!! (拍手) 対しまして赤コーナーは星座クラス随一の重戦車!! 引越し屋牛ちゃん! プラズマテレビは俺のダンベル・牡牛ぃー!!
 なんだかよくわからない熱気が試合会場の教卓をとりかこむ。浅黒く鍛えられた太めの腕をまわす蠍の前で牡牛は素直に実況に照れたらしくにこにこした顔で鼻先を掻いていた。そのくせ奴が試合台に腕をのせて構えると周囲からうおおっという声があがった。明らかにクラスの誰よりも太いナチュラルな腕。やや白目なそれが試合台についた蠍の腕と絡む。蠍が鋭い眼光で穏やかな牡牛の顔を睨みつけ、牡牛がのんびりした調子で首をかしげる。
「ん~、お前がこういうのに参加するなんて珍しいなあ。俺も出たらどうだって言われただけだけど」
 蠍は特にはっきりしたことも言わずに「まあな」と語調を合わせただけですぐに黙った。俺は相変わらず実況兼ジャッジ役だ。二人の手ががっちり握り合ったのを上から合わせ、試合開始の声を出す。
「ファイッ!」
 手を離した瞬間の両者の腕の変わりようが凄かった。ただでさえ細くなかった蠍の腕が張り詰めて青筋を浮かせ、蠍が奥歯を食いしばって腕をぶるぶる言わせている。しかし牡牛の腕はその上を行く。試合開始の声が入った直後に奴の腕は二倍になりそうな勢いで隆起した。力こぶの元になる上腕二等筋にいたっては中に鉄球でも入っているんじゃないかと言わんばかりの硬さに盛り上がり、牡牛の「むうん」というゆっくりした声と共に、蠍の腕をじわじわと絶望的な角度へ蹂躙していった。
 俺は牡牛のチートぶりにハイテンションになりながら水瓶と一緒に試合の成り行きを見守っていた。
「すwwwげwwwえwwwwこれは一気に勝負つくか?」
「上腕二等筋もすごいが、なんという合理的な上腕三等筋だ。僧帽筋も三角筋も分厚い。日常遣いであそこまで鍛えられるものなのか……!!
 ワンサイドゲームに終わりそうな中、蠍の執念は立派だった。奴は途中で魚が「山羊と戦いたくないの!?」とハッパをかけると「山羊の胸筋…」と意味不明な掠れ声をあげ、クラス中に響き渡るような野太い雄たけびをあげて一回は体勢を押し戻した。
「ぐぉおおおおああああああっちぇぇええーぃ!!!」
 多分試合と称して山羊の生半裸を間近で見たかったんだと思う。なぜ山羊が上半身裸になってくれると思いこんだのかはわからない。試合自体はその後牡牛がちょっと本気を出してウーンと押し切り、蠍は一回戦で完全燃焼して栄誉の敗北という形でトーナメントから脱落した。
「さぁー二回戦はうって変わって軽量級マッチです! 青コーナーはミスター健康筋肉! 胃弱から脱しても鍛錬の腕立て伏せはおこたらない! 山羊だー!! (拍手) かたや赤コーナーは野生の種馬! マッチョになるなら俺の屍を超えてゆけ・射手だー!!
 二回戦は特にこれといった特別な展開もなく山羊が地味に射手を制した。特に脱がなかったが奴の乳首らへんの筋肉を蠍がガン見していた。射手は別に特別な筋トレもしていないので普通に細マッチョだった。とりあえず細マッチョ超えができて山羊は嬉しそうだ。
「さぁ続きまして三回戦! 青コーナーにはメランコリー(笑、天秤選手の登場です! 今日もアンニュイな表情が冴えます! (拍手) そして赤コーナーには! きた! この男だ!! マッチョ火組の最終兵器・獅子・様・だー!!
 省略。人数合わせの天秤はそれなりに力を入れたが獅子の豪腕になぎ倒され腕が痛いと言っていた。


(つづく?)

作品データ

初出:2009/8/-
同人誌『愛と希望とプロテインと水瓶』収録
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