お散歩デート

 あんたは俺を叱ってくれたから、と言って、懐いてきた。
「ほら、人間タバコと車の運転ができる歳になるとそうそう叱ってくれる人なんていなくなるじゃないですか。山羊さんがレインボーブリッジの上から跳べって言ったら俺跳びますよ。なんせ山羊さんのこと尊敬してますんでね」
 いつものように調子のいいことを言ってる後輩・射手を俺は「はいはい」と軽くあしらって缶コーヒーを飲んでいた。あしらい方にコツがある。こいつは「じゃあ跳べよ」と言ったら本当に跳んでくるような奴だから。
 射手のカッ飛んだ思想と、俺の地道な思想との綱引きで俺たちはなぜか会社の先輩後輩から男同士の交際をする仲になった。男同士というところを譲歩するのにほとんど清水の舞台から飛び降りるような勇気を振り絞った。以降派手な付き合いはさせてない。毎回俺の決めるありがちな堅苦しいデートコースに射手は異論も立てないでついてくる。
「山羊さん。寒いっスよお」
 公園の並木道を、サイズのでかすぎるセーターを振り乱して射手が歩く。鮮やかな赤のマフラーがひらついて、それを見ているだけで俺はもう胸がいっぱいだったのだが、射手は俺の視線に気づくと犬っころみたいな笑顔を見せてぐるぐるとその場で回転し始めた。動物がやる意味のない戯れに似てるなあ、と俺は思った。
「目が回るぞ」
「あー、山羊さん、こーやってぐーるぐる回転してから歩くと、蟹って前に歩けるらしいですよー。なんかねえレコード盤に乗せて回転させる実験で見た」
「暇な検証やるやつもいるもんだな」
「そんな言い方ってないでしょう。俺はねえー、山羊さんに不思議だなって思って欲しいんですよー」
 急に止まる。マフラーが送れて射手の身体に巻きつき、よろついている彼の体の揺れにあわせて垂れる。射手は斜めに歩きながら「ああやっぱまっすぐ歩けないっすわ」と気の抜けた発言をしていた。後から追いついた俺が知らん振りをして射手を追い抜く。
「ねえ山羊さん」
「ん?」
 俺は足を止めて後ろを振り返った。射手が、相変わらずふらつきながら一瞬つまらなさそうな醒めた目をした。こいつがこういう目をするのが怖い。俺は、その度に胸が苦しくなって、不安にかられる。
 あまりにつまらなくて飽きられたのかと。
 射手は黙って立っている俺に向かって口を半開きにすると、身体を揺らしたまま唸って言葉をひねり出した。
「あのね。デートコースは別にどこだっていいんですよ。楽しい話や楽しい感じは自分で作り出せばいいからね。でもね、俺、リアクションがないのが意外とつらいの」
 でかすぎるセーターの両袖に自分の手をちいさくうずめながら。
 眉を八の字にして微笑みながら、さびしいんスよ、と射手は言った。
「……あー、じゃあ、なんか、えーと」
 最初、腕にでもしがみつけばと言ってやろうとしてためらってしまった。人目が気になったのだ。男同士で公衆の面前でそれを許してやれるほど、俺の常識は進んでいなかった。
 射手は本当の所俺に対してはまだ臆病で、こんなときばかり空気を読んでおとなしく立っていた。
「ああ、やっぱりいいです」
「いやちょっと待て。えーと」
 俺は射手の近くまで駆け寄っていくと密談をする近さまで身を近づけて、さりとて良い代案もなくこわごわと手を遊ばせた。射手が黙って妙におとなしくなったのでセーターの袖を掴む。
 代案を考えるつもりでしばらくその場にそうやって立っていた。何も思い浮かばないで、見ると、うつむいた射手の顔が赤く染まっていた。
「ちょっと待ってろよ。えーと」
「……山羊さん。あの、俺もういいっすこのままで」
「ん?」
 消え入りそうな声で、「セーター、もっててくれたら」と射手はつぶやいた。
 互いの手元のかたちを見下ろして状況を再検討した後、妙に気恥ずかしくて歩き出せなかった。二人で寄り添ってその場に何分立っていたかもわからない。逆に不自然じゃないかと思い始めてようやく口を開くと、射手は照れ笑いをしながらぱっと俺から離れた。
 なんだかそれで終わりにしてはいけない気がした。それより先に進むのが苦手でまたもや俺が対応に困っていると、射手は笑いを収めたあと熱の浮いた顔でこちらを見つめてきた。
「やー、嬉しかった」
「あの、射手」
「山羊さん。もっと、おねだりしてもいいスか」
 心臓がさっきからうるさい。射手は俺の身体に身をすりよせると、耳元で「キスしたいっス」とつぶやいて、しなだれかかったまま目を伏せじっと俺の反応を待っていた。


 - fin -

作品データ

初出:2009/7/10
同人誌『僕は水の中へは行けない/blue』収録(※同人誌はR18)
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