サクラチル

 感情は人並みに持っていたつもりだった。だけどその時の僕は、見上げた空が心臓を直に擦るヤスリのように見えて、とても間に挟まった桜の色合いに目を留めている暇はなかったんだ。桜の開花と一緒に空気が一気に暖かくなったんで油断していた。もしかしたら、今なら、非常識な僕の願いが現実に叶うかも、なんて思ってしまったんだ。
「ごめん。俺、付き合ってる彼女いるから」
 上を見て黙りこくっている僕と足元の土を見下ろしている射手との間に無数の花びらが乱れ、贅沢に降り落ちる。
 こんな時ばかり真面目に言ってくれなくてもよかったのにな。そういうときは冗談でいいから、じゃあ付き合ってみる?とかデートする?とか言ってそらして、僕の心を雑巾みたいにひねって弄んでくれればよかった。いつも自分のことバイみたいにふざけて言ってただろ。僕は君のその尻軽そうな性格を信じたんだよ。だからごまかし半分に本当のこと言ったのにさ。
「ああそう。じゃあしょうがないね」
「うん。ごめん」
「気にしないでいいよ。──僕は、君との友達関係を、続けたいんだけど、それは許してくれる?」
「いいけど、お前がそういうつもりなら俺はきっとお前を裏切るよ」
「どういうこと」
「お前をボロ雑巾のようにぐちゃぐちゃにしちゃうよ」
 射手は僕の顔を見つめて苦く笑った。泣く様子のかけらもなく、太陽が東から昇るのと同じぐらい変わらない確定事項を仕方ないと開き直って告げる。無邪気で乾いた残酷な笑顔。
「俺はいつも自覚がないのにやらかしてるらしいからさ。こういうときに、言っておくんだ。
 俺はお前をマジで友達として扱うよ。お前の気持ち知っててそうする。お前もそうして。それができないなら俺逃げるから」
「遊ぶ気もない?」
「ない。今の彼女怒らせないほうがラクだし。俺が」
「未来に望みはないの」
「ない」
 ああそう。
 射手が彼女のことを本気で好きかなんてどうでもいい。肝心なのは僕が選ばれなかったことだ。どうしていつも他人を尊重してるのに僕の我が儘のときばかり駄目なのさ? 人間は一番肝心なところで僕を拒む。CDをちょっと貸してとか、コーラ奢ってとか、そんな簡単な願いならみんな聞いてくれるのになぜさ?
 男同士だから完璧に望みが無いんだと、そうならはっきり言ってくれ。今ここで。そこまで痺れる残酷さなら、僕は自分を愛して切り抜けられる。
「ええと、男だから駄目とか? 僕が」
「あ、うん。それもある」
 すごく軽く言うなよ。あっさり人を絶壁から突き落とすな。
 射手は大袈裟に気難しい顔を作って僕を振る正当な理由を探し始めた。さっきから頭に落ちてくる桜の花びらを指先につまんで、口先でそっと息をふきかける。
「お前、見かけすっごくキラキラしてるじゃん」
「俺はお前のその外面のキラキラがお前の個性なんだろうなって思ってるけど」
「ぶっちゃけ中身に個性感じられないのね。本気で探したんだけどめっぽうつかめなくて」
「俺中身にクレイジーなとこがない奴とは、駄目だわ。友達ならいいけど伴侶としてはつきあってて虚しいじゃない」

「男が男を好きになること自体はクレイジーじゃない?」

「あーうん。それはクレイジーではないと思うよ。つまり俺はお前の人間性に恋愛対象としての魅力を感じない」

 ああ来ました。全否定。いいよ君以外に男なんて何億人もいるから。僕はその半数以上に愛される自信がある。思いながら、僕は涙腺にしびれを感じて歯をくいしばる。
 なんでさ?
 射手には彼女がいる。彼女がいるから射手は僕を振る。僕は男。異常なのは僕。そういうことにしておこうよ。それだけでもう十分どうしようもないんだから。僕は誰にだって好かれるよう努力するけど、君に対してはこっそり二倍ぐらいの好かれる努力をしたよ。もうすっかり君を魅了したつもりでいたよ。
 それなのに僕が普通だから振るってどういうことさ?
「酷い言い草だな」
「ごめん。天秤」
「僕は君のこともっと尻軽でイカれてると思ってた」
「うん。自分でもそうだと思う」
「君ぐらいイカれていたら僕みたいな例外も許してくれるかと思ってたけど、案外普通で面白くなくてがっかりしたよ。君よりクレイジーで面白い奴なんていくらでもいる。だからまあ、仕方ないね。今回は」
 射手が僕の言葉にはっきり機嫌を損ねて、いやな顔で僕を睨みつけた。ひとつも鍛えていない駆け引きで僕に勝とうとすること自体無茶だよ。頭の隅で笑いながら僕も破れかぶれだ。
「射手。君は自分がクレイジーで魅力的だとでも思ってるの? 他に人と話す術を知らないだけなんじゃないの。残念だけど僕は君のようにただの困った人になるぐらいなら普通でいい」
「……振った途端にそれかよ」
「好きだから余計に頭にくることもあるさ」
「なめらかに喋るんだな」
「頭にくると頭の一部分が冷えるんだ」
 射手の目が、かつてなく冷たく細められて僕はその冷たさに凍えそうだ。そうなんだ。こいつはいざとなったら粗暴だ。
「傲慢だよお前」
「どこをつついたらそんな言葉が出てくるの?」
「いつもニコニコしてる上に欲しいものが絶対当然のように手に入るって思ってるところがだよ」
「思ってないよ。そんなこと」
「もっと言ってやろうか。俺はお前の装飾品じゃねえよ。お前の場合何でもそうだ。中身を欲しがっているかどうかがことごとく疑わしいんだよ。例え俺がフリーでも遊び以上の関係にゃなれないな。むなしい。おまえはむなしい!」
 ああ、そんな風に思っていたのか。僕は使い物にならなくなった七面鳥の羽根に失望する目で射手を見た。ほらこれで望みどおりだろ? 欲しがって何が悪いのさ? そんな欲望は誰にでも平等にあるものでしょう。がっかりだ。そんな風にしかものを見られないこいつの人間性に心底げんなりした。
「思ったより下品なんだな」
「ああ。高級品じゃなくて悪かったな」
「いや。僕の言い間違いだった。下劣なんだな。がっかりした」
 さっきから僕が射手の地雷になるようなことばかり言えているらしいのは彼の顔色を見ていてもわかった。おしまいかもしれない。僕と射手はもう無理かも。僕は持ち直せると思うけど射手のほうが……。こんなに顔を真っ赤にして、数少ない憎しみの記憶を僕の名前と一緒に胸の奥に焼きつけているようでは。
 どこか冷静になっている頭の隅では春風に含まれた露の匂いを感じ取る余裕さえあるのに、僕は駆け足で失恋への階段を駆け下りていっていた。これ以上争うのはひたすらどちらも醜くなっていくだけで嫌だ。僕は恋愛が嫌いになりそうだ。好きだなんて、言わなければよかった。
「あー。こんなんじゃ友達にすらなれねえよ!」
 射手が嫌味っぽく叫んで皮肉めいた笑みを桜の樹の根もとへ放り投げた。そうして僕を一笑に付すと、うんざりした顔になって僕に背を向け、桜の下から出て沿道を歩き去っていく。
 僕は後を追いかけなかった。ちょうどいいタイミングで僕らは切れた。



 頭が、もつれて。
 桜の降り積もる下には死体が眠っているんだっけ。僕は一瞬死にたいと願いかけて、湿った土の下にうごめく虫けらやみみずの陰に眉をひそめ首を横に振った。地上にある木が綺麗ならその根の下がどんなことになっていたって知るものか。咲いて散っていく桜は好きだ。僕は死にたくない。
 射手に言いたい。君は僕にとって装飾品なんかじゃなかった。君の言ったそれは、たぶん単なる認識の行き違いだと思う。僕はその程度の印象しか君に残せなかったんだな。言われて僕も見栄を張ってしまった。
 ああ、もう一度最初から整理しよう。僕は射手と相思相愛になりたかったんだ。
 特に計算みたいなものはない。
 桜が雪みたいに僕を埋めていく。子孫を残せずに死ぬ大半の虫けらたちを慰める、薄桃色の絨毯。青空は涙腺じゃなく心臓を直に削る。僕はたぶん家に帰るまで泣かない。


 - fin -

作品データ

初出:2009/4/16
同人誌『Silent and Talkie/僕と先生』収録(※同人誌はR18)
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