うし日記

【一年目】俺二十二歳 桃〇歳

 交際していた乙女と将来のことで口論になり、実家の離れにて辟易していると射手が突然桃の苗を持ってきた。子はかすがいということらしい。桃は実をつけるまで三年かかるというが根付いたら運がいいという気持ちで庭に植える。乙女とは後日じっくり話し合いをした上で関係を修復する。


【二年目】俺二十三歳 桃一歳

 乙女がうちにきて酒に酔い、かなり大胆な態度で致した後俺の布団で爆睡。(俺は実家の離れに住んでいる)腹が減っていたので俺だけ一人で夕食を作って食べていると夜に実家の母から電話があった。変な中年女性から乙女がいないか聞かれたが、そちらにいないかという。乙女を起こそうとしたが起きないので折り返し電話すると告げる。三十分後に再度自宅から電話。乙女の母だったらしい。随分傍若無人な態度だったらしく母は怒っていた。
 電話を切ったあと、強めに乙女を起こして事情を告げる。時計を見た乙女の顔は真っ青になっていた。慌てて家を飛び出していった乙女を見送った後、念のため母をなだめようと俺も数十メートル離れた実家まで茶を飲みに行く。


【三年目】俺二十四歳 桃二歳

 乙女の母から実家に電話あり。乙女や実家の家族とも相談した結果乙女は常に俺の家にはいないということになった。どうも乙女の母は乙女の職場や同僚にも電話をかけてくるらしく、乙女は転属願いを出したようだ。俺は今のところ地元一本の企業だから会える時間も少なくなるかもしれない。明日をも知れぬ身を儚みそうなときは桃の木を見る。育っている。


【四年目】俺二十五歳 桃三歳 栗〇歳

 乙女と遠距離交際になる。乙女はあれで電話嫌いだ。母との同居を抜け出せたことはありがたいが毎日必ず電話が鳴るらしい。仕事用・プライベート用・家族親戚用に携帯電話を三台持ち歩いている。
 遠距離になったばかりで寂しかったころ、射手がまた何を考えたか栗の苗を持ってきた。「これが実ったら次は柿ね」などとえらくマイペースなことを言っている。栗も実がなるまで三年かかる。夏ごろ桃が初めて実ったが全て鳥と虫に食われてしまった。極めて痛恨。来年からはきちんと全ての実に袋がけをしようと誓う。堅く誓う……。


【五年目】俺二十六歳 桃四歳 栗一歳

 兄が挙式。良いお嬢さんを頂いてきたようで俺も胸を撫で下ろす。両親が死んだ際は兄とその家族が実家の土地を手に入れることになる。今から遺産のことはあまり考えたくないが、乙女のためにもこの離れと土地だけは死守したい。
 前年の痛恨を踏まえ、実った桃には袋がけを徹底。今度はうまく行ったのでいくらかを実家と近所に持っていき、残りと俺と乙女でまったり食う。射手は来る季節を間違えて食いそびれる。


【六年目】俺二十七歳 桃五歳 栗二歳

 兄が結婚したせいでオハチがまわってきたのか、見合いの話が持ち上がる。田舎はきつい。安定したくて地元にしたのに。乙女には黙っていたのに実家の母が乙女に知らせてしまう。俺と乙女は大学時代の友人ということになっている。
 乙女は黙っていた。自身の家の事情もあり、こいつは人にこの手のことで我が儘は決して言わない。向こうが勘違いして思いつめ別れ話を切り出してきたのでとりあえず桃を食わせてなだめる。付き合いも長くなってきたせいか昔は恥じらっていた乙女も今は馴染んだものだ。疲れさせて寝かせつけたあと、母親からの電話に乙女が異常な顔で跳ね起きたので決意して奴の家族用の携帯電話を逆向きにへし折る。
 乙女にいつでもこの家に来いと言う。それしか口に出せず。乙女が崩れ落ちる。


【七年目】俺二十八歳 桃六歳 栗三歳 柿〇歳

 乙女が失業し地元へ戻ってくる。度重なる母親からの嫌がらせの上、向こうに突然押しかけた母親が勝手に社員寮へ侵入。乙女の貴重品を盗んだ上同じ寮にいた重役の息子(コネ入社)に暴行を働いたとかでついに職場にいられなくなったらしい。元々重役の息子とは仕事能力面で違いもあり、乙女が妬まれていた節もある。遠地で助けになれなかったことが悔やまれる。五十代に入って精神が未熟な人間にもう矯正の余地はないのだろうか。
 乙女が実家に戻ってすぐの頃、射手が俺と乙女二人でいるときを狙って柿の苗をもってくる。今度は実がなるまで八年かかる。射手はフリーの仕事をしているわけだがどうも海外であっさり挙式してしまったらしい。写真に写った白タキシードの射手と横にいる英国パソコンオタクみたいなヒョロヒョロした「旦那(相互旦那というのかこの場合……?)」の姿はどう見ても宴会のネタにしか見えなかった。奴が帰った後で乙女と二人結婚について話し合う。
 桃に続いて栗の初収穫。虫食いもかなりあったが美味かった。虫を嫌う乙女に農薬なしの食い物のよさを理解してもらうのは難しい。


【八年目】俺二十九歳 桃七歳 栗四歳 柿一歳

 乙女が地元企業に再就職し俺の家に入り浸る。乙女はいつも疲れ果てていた。お前だけが救いだといつも俺の家に来ては乱れていく。俺は乙女が眠ると仕事の都合がないかぎり起こさない。困った母親についても四方八方に手を尽くして負担を軽減させるようにした。新しい職場では蠍という上司が話のわかる人だったらしく、どんな手を使ったかは知らないが仕事中には妨害が入らなくなったという。偶然かもしれないが乙女が蠍上司に相談してほどなく乙女の母親は家の中で転び足の小指の骨を折った。


【九年目】俺三十歳 桃八歳 栗五歳 柿二歳

 乙女がどうも蠍上司からそこはかとない誘惑を受けているらしい。えらいところへ乙女をやってしまった。何かあったら今度こそ決闘しなければならんと俺も覚悟を固める。
 また、三歳になった甥の山羊に乙女との行為を見られたかもしれない。夏場で人気がなかったので油断していた。二人ともぞっとしたが山羊はうつむいて落ちた桃を拾うと逃げていった。うちの桃が食いたかったのかも。バレたら仕方がないと腹をくくり、また別れ話を持ち出してきた乙女を強引につなぎとめる。思うに俺も嫉妬に燃え狂っていたと思う。
 山羊は自分の見たものが何だったのかわからぬまま、うまく忘れてくれたようだった。
 同年辞令が下り俺は社内で係長に昇進。


【十年目】俺三十一歳 桃九歳 栗六歳 柿三歳

 山羊が幼稚園入園。初夏のころ兄夫婦に次男の獅子が生まれる。俺と乙女とでとれたての桃を手土産に何度か実家の兄夫婦を尋ね、構われなくなって赤ちゃん帰りしていた山羊を構ってやった。山羊はときどき首をかしげながら「あれなにしてたの」と聞いてくるがその都度プロレスだといってはぐらかす。
 蠍上司の件は乙女がはっきり自分で断ち切る。セクハラはやんだものの静かに機会がくるのを待っているようだ。奴とは執念深さの勝負になりそうな気がする。


【十一年目】俺三十二歳 桃十歳 栗七歳 柿四歳

 今度は両親から見合いを勧められる。えいくそ放っておいてくれ。俺はしっかりやってるし兄夫婦に息子二人もいれば跡取りは心配要らないだろう。先のことも見据え、今後見合いは一切受けないことを懇々と話し合って納得してもらう。信頼されていて良かった。
 また乙女に別れ話を切り出されるかとひやひやしたが、乙女もさすがにいい年になってか、ほんの少しわがままを言うようになった。
「せめて柿が実るまでは居たい」
 あと四年。自分たちの年齢ではあっという間のような気がする。子の無い未来を思い、胸がすっと冷えて苦しくなったときには庭に植えた木々を見る。柿は実をつけるまであと三度の冬をあのまま過ごす。


【十二年目】俺三十三歳 桃十一歳 栗八歳 柿五歳

 山羊が小学校入学。友達連れで俺の家の前を通っては桃や栗をとっていく。少し人見知りがあるので大丈夫だろうかと心配していたが栗の季節にはすっかり新しい友達もできたようだ。
 最近音沙汰のなかった蠍上司が胃にできた腫瘍摘出及び治療のため一時休職。直後に恐れていた事態が起こる。抑えのタガ(?)が外れた乙女の母親がとうとう我が家にまで来襲。
 俺や俺の実家のことであることないこと喚きたてて周囲の不信をあおろうとしていたが、昔から家族にも周りの人間にも話はしてあったので皆の理解を得た上で断固追い返すことができた。十年かけた根回しと三十年来の地縁を嘗めるな。
 事件のあと、庭の栗を収穫。美味く調理してお礼がてら実家と近所に配ってまわる。


【十三年目】俺三十四歳 桃十二歳 栗九歳 柿六歳

 乙女の妹(そう、じつはいたのだ)が恋人と結婚したいと相談をもちかけてくる。あの母親の措置。渋る乙女と妹を説得し、初めて乙女の母親を心療内科に連れていく。母親はたいそういろいろな病名をもらって帰ってきた。それもこれも人に自分は悪くないと喚くためだ。
「俺はあの女を病院か牢獄にぶちこめなかったら殺してしまうかもしれない。そうしないと俺は大人になれない」
 乙女は三十四歳にもなった大の男だ。もう立派な大人だし、力もあると何度も懇々と話してきかせた。今だけは安全な期間を数年でも作ったあの蠍上司に感謝してやろう。乙女は妹を無事に嫁がせるために死力を振り絞った。ある日暴れた母親を病院に入院させ、母からの罵詈雑言を無視して父親と一緒に妹の結婚の保証人を務めた。
 妹は入籍を済ませると母親の目を恐れて遠くへ非難。乙女は年末に胃潰瘍が原因で血を吐いた。


【十四年目】俺三十五歳 桃十三歳 栗十歳 柿七歳

 正月三箇日まで実家の一族の集いに付き合う。乙女の容態を気にしてくれる山羊にお年玉を多めにやっておいた。獅子も幼稚園入園の歳。やんちゃ盛りの兄弟を見ていると気が紛れる。
 四日。乙女の見舞いの場で乙女に山羊と獅子へのお年玉を託された。二人でゆるめの雑煮を食べる。乙女ひたすら休息。十五日。退院。乙女は俺の家に着いてから自分の家へ帰れなくなった。精神性のものと思われる動悸・息切れ。
 二月。乙女の母親が退院。三月。乙女の父親が定年退職。乙女実家に帰らず。


【十五年目】俺三十六歳 桃十四歳 栗十一歳 柿八歳 梨〇歳

 とうとう日記をつけ始めてから十五年目になる。八年も会っていなかった射手が唐突に梨の苗を持って家にやってきた。来るところまで来てしまった感じだ。梨が実をつけるまでには十八年かかるぞ。
 呆れたことに射手はこの年初めて自分が持ってきた桃の木のつけた実を食した。一個食っただけでうまいうまいと満足そうだ。ちなみに前回写真を見せてくれた「旦那」とは別れ今は別の男と挙式済みだという。一応挙式はやるらしい。
 秋、すっかり家の女房役となった乙女と二人で初物の柿を食べる。今年は少なめだった。来年はもっとたくさん実るだろうから、季節が来たらもいで近所に分けよう。


【十六年目】俺三十七歳 桃十五歳 栗十二歳 柿九歳 梨一歳

 社内で課長に昇進。乙女がやたらと梨の小さな木をかわいがる。近所では男二人所帯ということで噂にはなってきているらしい。課長・係長クラスの二人、しかも俺の腹は気がつくとメタボリック気味。乙女も痩せてこそいるがくたびれたオッサンに近い風体だ。貧乏で相部屋の言い訳ができた若造時代はかなり前に終わった。乙女は近所の噂を気にしてか、都内にワンルームマンションを借りてそちらも二人で共有しようと言い出した。
 新しいマンションでの関係はしばらくじわじわと燃えた。所帯じみてきている。いい事なのか悪いことなのか。


【十七年目】俺三十八歳 桃十六歳 栗十三歳 柿十歳 梨二歳

 多少なりとも平和な日々が続いて神経が緩んでいたのだと思う。取引先で出会った双子というビジネスマンに目が行く。五歳年下で同じ課長クラス。全体的に構成が若い会社だったがそれを踏まえても能力がある奴なんだろう。まずいことに仕事のあとスポーツジムで一緒になった。俺のメタボ腹じゃすぐには追いつけないだろうに変な対抗意識が出てしまう。せめて奴のようなモテ腹になるまでは。
 慣れたたるみで乙女とのこまごました会話をサボる。桃の袋がけもサボった。久しぶりに桃の収穫はなく、実家には代わりに町で買った菓子折りを持参した。


【十八年目】俺三十九歳 桃十七歳 栗十四歳 柿十一歳 梨三歳

 四十近い男の嫉妬ほど恐ろしいものはないと思った。乙女には急に締まった俺の腹と双子への視線だけで浮気ととるに充分だったようだ。自宅にて行為拒否。二十年に一度あるか無いかの修羅場になる。文字通り痴話げんかと言うにふさわしい罵りあいになり、「いま俺を捨てたらお前を殺して俺も死ぬ」という絶叫まで乙女から引き出す。わからないでもない。互いに四十前だ。そしてオッサン同士の痴話げんかを栗を拾いにきていた山羊に聞かれた。
 山羊は今年小学六年生だ。どこまで間が悪い甥だ。獅子なんか意外と要領がいいからそういうことは全く無いぞ。とにかくその場で引きずり込んで二人して土下座で説得した。山羊は俺と乙女だけでなく一族の危機を察知したのか秘密を絶対に守ると約束してくれた。


【十九年目】俺四十歳 桃十八歳 栗十五歳 柿十二歳 梨四歳

 痴話げんか以降乙女に謝ってスポーツジム通いを中止し、冬を経てまた腹がメタボる。そして中学に入ってすぐ山羊がグレた。数ヶ月前まで小学生だったのに粋がってトイレでタバコを吸おうとし、先輩の暴走族のバイクに乗り、何がひどく頭に来たのか甘やかされて生意気な口をきく小学三年生の獅子を一回だけグーでしばき倒したという。
 中学一年の一学期から不良ではお先真っ暗だ……。幸いにも兄夫婦を含め一族もそんなに甘くなかったので山羊は逆に父親にしばかれた後強制的に更生ルートを歩かされた。これも日頃の人付き合いの力だ。それでも山羊は俺たちの関係のことは黙っていた。基本的に守ると言ったことは守る奴なのだと思う。


【二十年目】俺四十一歳 桃十九歳 栗十六歳 柿十三歳 梨五歳

 二十年目。特に記念日というわけではないが、慰安ということで二人だけで温泉旅行に行った。家族やカミングアウトについて何度も乙女と話し合ったが明確な答えは出なかった。独身のまま四十を超えたらもう親や家族は諦めているだろう(「嘘だな」と乙女は言った)。このまま何も言わず穏やかに過ごしてゆく。養子をもらえばよかったのかもしれないがこの田舎でそれはきっと苦労を伴うだろうし、それよりは山羊や獅子を見ているだけで充分だと乙女は言った。
 栗の季節が終わる頃、乙女の父親が他界した。享年六十四歳。あの母親に死ぬまで罵られ、蔑まれ、亡くなったときには臓器不全で小男のように小さく痩せていたという。


【二十一年目】俺四十二歳 桃二十歳 栗十七歳 柿十四歳 梨六歳

 もう何年も前から決めていた段取りで乙女は母親を遠くの老人介護施設に入れた。時々思い出したように会いに行っては全てへの憎み罵りを聞かされ、やっぱりなと肩をすくめて帰ってくる。何かを整理整頓するように乙女は俳句と書道を習うようになった。俺は精神的な文学や芸術関連はとんと苦手だったから乙女の俳句の才能がうらやましかった。
 年末になると山羊の公立高校への進学が決まった。偏差値は上の下ぐらいか。この前中学生になったばかりのような気がするのにあっという間だ。


【二十二年目】俺四十三歳 桃二十一歳 栗十八歳 柿十五歳 梨七歳

 万事悠々。本当は成人病の予防のために医者から運動を推奨されているのだが休みの日はしばしば寝て過ごす。見かねた乙女に庭の手入れをしろといわれ、家庭菜園を作っては近所に作ったものを分ける。よく全部独り占めして食いたくなるがそれはいけない。本当に欲しいものを手に入れるときには日頃の根回しがものを言うのだ。
 それにしても、さすがに梨の十八年は長い。まだ折り返し点にも来ていない。


【二十二年目】俺四十四歳 桃二十二歳 栗十九歳 柿十六歳 梨八歳

 社内で部長に昇進。獅子が山羊がいたところと同じ中学に入学。番長になってやるぜと偉そうなことを言っているが山羊は兄の余裕で笑ってかわすだけだ。山羊は高校二年生になったある日実家から饅頭を持ってうちに来た。そうやってうちの軒先で俺と乙女相手に相談ごとをしてきた。
 叔父さんと乙女さんはそういう、同性愛者なのか。自分も友達が好きかもしれない。でもどうしたらいいのかわからない。
 ういういしい初恋だなあと思いつつ三人してまったり茶を飲んだ。乙女も昔ならもっと性急に答えていただろうが、今では「あまり思いつめすぎるな」と達観して肩を叩くようになっている。乙女には山羊の要領の悪さや生真面目すぎる部分がとても可愛く映っているのかもしれない。


【二十三年目】俺四十五歳 桃二十三歳 栗二十歳 柿十七歳 梨九歳

 山羊が夏休みに駆け落ちする。高校三年。俺と乙女が応援した後何があったんだ。急展開すぎて俺も乙女もわけがわからない。何でも獅子曰く同級生の魚という生徒と一緒にいなくなったそうで、夏休み三日目に母親が部屋を覗くと机の上に「俺は魔性は犯罪だと思います」という一文が山羊の達筆で縦書き便箋に記されて残っていた。「兄貴は中途半端嫌いだから右から左に極端に傾きすぎるんだよな」勝手知ったる顔でうちの桃を食いながら獅子は鷹揚にコメントした。的確だと思う。家族の中で一番肝が据わってるのは多分こいつだ。
 心中でもやらかしやしないかと捜索願いを出しながら気が気ではなかったが、山羊は八月三十一日になると魚と手を繋いで自力で帰ってきた。この辺の土地柄で本当のことを言うのはきつい。最後に魚との関係を尋ねられて「友達です」と説明した山羊の声が悲しそうだった。


【二十四年目】俺四十六歳 桃二十四歳 栗二十一歳 柿十八歳 梨十歳

 山羊が国立大学の経済学科に合格する。手がかかるんだかかからないんだかよくわからない奴だ。兄夫婦は舞い上がって近所への自慢に余念が無い。人のいないときにこっそり山羊に訊ねたところまだ魚とは寝ていないそうなので、暇な日を何日か見繕って家を貸してやった。かくて甥っ子も夏頃には男になった。
 一方で獅子は今年高校受験だ。こいつは高校よりその先のハーバードまで照準に入れている。多分留学か何かやりたいんだろう。ワシントンでもオックスフォードでもマカロニグラタンでもラザニアでも頭にカタカナがつけば偉くなれそうな気がしているらしい。


【二十五年目】俺四十七歳 桃二十五歳 栗二十二歳 柿十九歳 梨十一歳

 四半世紀だ。乙女と付き合ってもうそんなに経ってしまったのかと感慨深い。今や射手に託された三つの苗は大木に育ち、毎年実をつけては近所づきあいの円滑な資源として役立ってくれている。残り一つの苗もあと七年だ。この歳にまでなると顔も体つきもそう大しては変わらない気がするな。
 恐ろしいことだが最近頭髪がほんの少し薄くなってきた。脂物を控えろと乙女に言われているがやめられない。一方乙女は若い頃の苦労が余程堪えたのか、すっかり半分近くが白髪だ。几帳面に朝早く起きて黒く染めている。いじらしいやつめ。
 そうそう、獅子は山羊とほぼ同レベルの高校へ行った。タイプは違うがこれも努力はするたちだ。


【二十六年目】俺四十八歳 桃二十六歳 栗二十三歳 柿二十歳 梨十二歳

 実家の父が脳溢血で倒れ他界した。農作業中で発見が遅れた。享年七十四歳。近所の人もみな集まって大往生だと言ってくれた。概ねいい親父だった。遺産分けはなるべく揉めないように自分と乙女が住む離れの不動産のみに取り分を限定し、それ以上の裁量は全て兄と母に任せた。うちの家系は概ねがめついが、嫁いできた嫁さんができた人でよかった。
 乙女は自分の父親の時と同じか、それ以上の涙を父のために流してくれた。葬式では家族と同じ扱いはしてやれなかったがそれも理解してくれた。済まないと思う。


【二十七年目】俺四十九歳 桃二十七歳 栗二十四歳 柿二十一歳 梨十三歳

 あと一年で五十路。立つものが立つうちに一度アブノーマルなプレイを や ら な い か ? と乙女に誘われ、全て受けて立つつもりで勉強のため隣県のSM倶楽部へと赴く。
 病気療養で自然消滅したはずの奴と再会してしまった。蠍だ。奴はもう五十代半ばのはずだ。ミドルめ。思わず舌打ちしそうになったが向こうは乙女の姿を忘れていなかったらしく中年男性にしては洗練された妖しい微笑で乙女を誘う。体力では負けないがテクニックで勝てるかどうか自信がない。
 迷ったが実利を取り、乙女の手を引いて即刻自宅へ逃げ帰った。五十代で奴にその道に引きずり込まれたのではたまらん。しかたないSMプレイは独学だ……。


【二十八年目】俺五十歳 桃二十八歳 栗二十五歳 柿二十二歳 梨十四歳

 獅子が私立の一流大学へ入学したあと本当にアメリカに留学する流れを取り付けてきた。この前まで大学生は獅子ではなく山羊だったような気がするのだが……まあいい。兄と違って派手に金がかかる。兄が倹約ルートだったから叶ったようなものだ。
 来年は世界だべえええええと獅子が燃えている。なんとなく奴が世界を目指す理由が今わかった。海外なら田舎出身ではなく全員ジャパン出身になるからだ。ちなみに今、奴の部屋では東京の標準語テープが流れている。留学は来年からだしな。
 そういえば五十路になりました。


【二十九年目】俺五十一歳 桃二十九歳 栗二十六歳 柿二十三歳 梨十五歳

 乙女の母親に痴呆の兆候。息子に対してあんた誰という。意識が退化しているときと正気でいるときと半々のようで、乙女と妹さんが交代に見舞っているが大変そうだ。一方でこちらの母も旅行中に転倒し足の大腿骨を骨折してしまった。七十三歳だ。寝たきりになる可能性が高い。
 家族総出で面倒を見る気ではいるものの、しょせん田舎の男たちだ。俺も兄も地方企業とはいえ要職についている。介護は兄嫁に大方を任せることになってしまいそうだ。最初からヘルパーさんを入れ、地元企業に就職した山羊も入れて三人でそれぞれ時間をやりくりすることにした。獅子はいいタイミングでアメリカだ。奴には夢を送ってもらおうか。


【三十年目】俺五十二歳 桃三十歳 栗二十七歳 柿二十四歳 梨十六歳

 万事悠々……と書かなければしんどかった時期。母は寝たきりになったことによって急速に魂から衰えてゆく。できる限り毎日家の新鮮な桃や、栗や、柿を味わってもらう。孫の獅子がたまに電話を入れてくれるのが楽しみなようだ。奴は楽しい話をするからな。兄嫁に対しても頭が下がる。
 乙女は今や静かな気持ちで老母を看病している。最近とんと少女のようになったそうだ。乙女に対して「おとうさん?」と甘えることもあるらしい。乙女はうちの桃や栗や柿を初めて母に食わせた。何割かは罵声とともに吐き返されたが。


【三十一年目】俺五十三歳 桃三十一歳 栗二十八歳 柿二十五歳 梨十七歳

 年明けごろ、乙女の母親が肺炎で他界する。享年七十七歳。最後まで乙女に謝罪や感謝の言葉はなかった。
 この日記は、母との未来に絶望した乙女が俺に別れ話を持ち出した年から始まっている。彼女に対して俺は何を語ればいいかわからない。有り体にいうのであれば、乙女を産んでくれてありがとうということと、なぜ最後まで子ども二人を傷つけ蔑み続けたのか教えてほしかったということだ。彼女は死んだ。最も乙女にとって救いなき形で。
 乙女と妹さんは、母親の葬式で本当に気が楽になったという顔をしていた。いつのまにか妹さんには子どもや孫までできていたようだった。俺には純粋にそれが嬉しい。
 乙女は若いのにほぼ完全な白髪になった。慣習で毎朝生え際をチェックし定期的に染めている。
 年末に俺の母も他界した。こちらはリハビリをしようとして心筋梗塞を起こしたもので、やはり大往生ということで扱われた。享年七十五歳。


【三十二年目】俺五十四歳 桃三十二歳 栗二十九歳 柿二十六歳 梨十八歳

 家の梨がついに実った。獅子が三年間の留学を終えて向こうから帰国。もう一年日本で勉強させてくれという。兄夫婦も調子がいいと苦笑しながらそれを許す。標準語も完璧だ。
 乙女と二人で初物の梨を食う。水っぽくて甘さはひかえめ。まあ素人の家ではこんなものだ。タダで採れるだけよい。味わったあと二人で残りをもいで実家へもってゆく。


【三十三年目】俺五十五歳 桃三十三歳 栗三十歳 柿二十七歳 梨十九歳 くるみ〇歳

 射手の奴が一年遅れて十九年ぶりにうちに来た。お互い老けたものだ。しかもとどめでくるみの苗を持ってきた。「桃栗三年柿八年、梨の大馬鹿十八年、くるみの大馬鹿二十年っていうんだぜ」くるみが食えるまで俺と乙女は生きてるんだろうか……? まあいい。他の四本が食えれば後一本あろうがなかろうが同じだ。
 ちょうど射手が帰国したのもあり、母の喪も明けたので結婚指輪を購入。射手と山羊に儀礼的な保証人を頼んで乙女と挙式する。随分遅くなってしまったが逆に言えば三十三年間も待ったのだし、これぐらいはいいだろう。指輪交換だけの、若干毛の薄いメタボ腹中年と近眼のきつい白髪中年のちいさな結婚式をした。別にこれからも何も変わらんのに乙女は俺の腕の中で泣いた。
 さて、これからくるみを育てなければならない。他の四本もよく育った。


 … … …


【五十三年目】俺七十五歳 桃五十三歳 栗五十歳 柿四十七歳 梨三十九歳 くるみ二十歳

 万事悠々。乙女はくるみのペーストにアレルギーはなかったようだ。良かった。
 老人二人暮らしなので実家にいる山羊と魚の二人が時々様子を見に来てくれる。兄の孫の羊と蟹と天秤と水瓶の四兄弟、親父の獅子にそっくりだということ。
 乙女があまり動けないので晴れた日には戸を開け、二人でのんびり庭を眺める。乙女はひなたぼっこが好き。


 … … …


【七十三年目:山羊追記】叔父九十五歳 桃七十三歳 栗七十歳 柿六十七歳 梨五十九歳 くるみ四十歳

 牡牛叔父さん、兄の子と孫とひ孫の一族に見守られて永眠。老衰にて大往生。享年九十五歳。
 十五年前に亡くなった乙女叔父さんと同じ墓に眠る。
 残された一族は本日も万事悠々。くるみは今でも毎年実を落としている。 了


 - fin -

作品データ

初出:2007/12/10
同人誌『タンデム/重力』収録(※同人誌はR18)
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