園芸委員の考察

 思春期の三年間を過ごす寄宿舎で、なんで俺が園芸委員なんてガラにもない役目をおおせつかったかといえばそれは裏庭の鍵が欲しかったからだ。俺としては好きな時に悪だくみや球技ができる場所の管理権を得られるってのはステイタスだったわけで、裏庭の生態系については雑草オンリーでよろしかった。代々思春期の男子が考えることは似ているらしくて実際裏庭は野草以外の花らしい花もなかった。
 最近では裏庭の鍵はほぼ開けっぱなし。俺は射手と「どっちが精液遠くまで飛ぶか勝負しようぜ」とかいう最高に下らない遊びにノリで付き合う羽目になり、寒いくせにわざわざ二人して裏庭までやってきていた。思春期のテンションということでご理解いただきたい。それも射手とだと暴走しがちなきらいがあるが。
 それでまあ、見たのだ。珍しいものを。

 魚が裏庭の端に一人で立って泣いていた。甘えたオーバーな泣き方じゃなく、何か噛み殺すようにして。ひっそりと。背中が寂しそうで、でも同年代なりに他人を拒絶しているのもわかって、見ていて気まずかった。
 俺と射手は何か見てはいけないものを見てしまったような気がして、魚に見つからないように入り口近くの藪の裏に隠れていた。
「なに。何かあったのあれ。双子」
「俺が知るかよ」
「お前知ってるんじゃねえの」
「俺は広辞苑かっつの。でもまあ、何かいやなことあったんじゃないの?」
 こういうときに人間のパターンが何種類かに分かれる。何か動かなきゃいけないと思って焦る奴と、黙って側に寄ってってじわじわやらかす奴と、俺らみたいに触らないでそっとしといてやるのが一番のぬくもりだと思う奴と。俺と射手とはこういうところのパターンが同系だった。射手語に変換すれば「孤独こそヌクモリティ」というやつだった。
 自分がしてほしいことを他人にしてもらえれば嬉しいが、他人のやってほしいパターンがいつも自分のしてほしいパターンと同系列だとは限らない。魚はどの系列なんだろう。あっちに合わせるために読もうとする。魚についてはその辺が掴みづらいことに気づく。
「魚ってさあ、実は俺らと同系列なんじゃねえの」と射手が投げっぱなしに言った。
「かな。なんで?」
「いやなんとなく」
「お前その百パーセント帰納法な思考回路どうにかしろよ。いつもわけわかんねえよ」
「帰納法ってなに」
「最初に結論から言う。結論ありきで理由が後付け」
「ああ……だってめんどくさいじゃん? お前なら頭いいし理解するしいいじゃん」
「理解しなくてもそうだろってかお前基本的に誰にも説明しないじゃん」
「めんどくさいじゃん。じゃん」
「じゃん」
 ああくそ。いつもノリにごまかされる。ハイパー人に合わせない野郎の射手はおいといて俺は魚を観察した。魚はじつは人前であまり泣かない。寄宿舎に来る前は泣き虫だったっていうけど、それはあのお節介な蟹だってそうだし、いじめられっ子だった蠍だってそうだし、一定の参考にしかならない。そして泣かない以上に怒らない。これはほとんど皆無。怒るぐらいなら泣く奴。そして誰にでも優しい。つるんでる蟹や蠍と比べて、魚は魚でじつは行動パターンがかなり違うのだ。
 誰にでも優しい奴が人前で泣かないのはとにかく人に迷惑をかけたくないからだ。そして……

「あー」
「なに」
「万民型なんだ。魚は。特別な奴がいないのか」
「そうそう。さっき俺がいいたかったのそれ」
「調子こくな百パー考えてなかったろ」
「ばれた?」
「ばれるよ。お前の考えそうなこと大体読めるわ俺」
「なんだそれ。さっきはわかんねえって言ってたくせに」
 感情をベースにした万民型行動パターン。魚の考察おわり。……
 正直優しい奴が他人に冷たいはずはないと思っていた俺には意外な考察結果だった。よく考えてみると万民に優しい奴は且つ万民に冷たいのだ。こいつが基本だ。好き嫌いと公平さが一体化ではなく二重に重なってるあたりが乙女とも似てる気がする。自身は本当にちょっとしたことでヘソを曲げるのだがそれが他人に対する評価に直結してはいけないと自覚してもいる。
万民に優しいって誰にも頼れないとほぼ同義なんだよな」
「なー」
「あーお前と話してるとほっとするわ。ところで射手」
「なに?」
「これって他人に話して理解されると思うか?」
「無理! 半分以上無理!」
「根拠は」
「特にない! 今日のお前のその言い方乙女みたいで嫌い!」
「お前多分演繹法が嫌いなんだな。つか苦手なんだろ」
 そして万民型の中でも演繹法派と帰納法派と二派に分かれる。いつも演繹法で乙女にむちゃくちゃとっちめられている射手は、俺がなおも演繹法を強調すると泣き出しそうな顔をして裏庭から逃げていった。「ごめん宿題があるから」とありえない言い訳をして。俺が演繹法をあんまり強調すると俺たちの仲は最高に悪くなる。いつもはこんなにウマの合う奴もいないと思えるのに。
 いざというときにナイーブ過ぎて誰かとつるめない奴ら。これ以上傷つきたくないときには孤独こそヌクモリティ。よくわかるのにな。それにしても何であいつらあんなに頑丈なんだろうと思った時に俺の脳裏には寄宿舎の過半数を超える数の面子の顔が浮かんだ。
 少数派なのかな。俺らみたいなの。それなのに内部分裂してどうすんだ。

 裏庭の端でめそめそと泣いている魚は、みんなを好きでいたくて、けど実際には本当に些細なことで人を嫌いになってしまってはあそこに居る。わかるよ。基本誰にも嫌われたくないよな。皆を好きでいるなり理解できるなりはしていたいよな。でも一瞬で全員を嫌いになることもよくあるよな。ちょっとしたことで。万民型ってそういう奴らばかりだった。
 しかし魚はああいうたちだから、基本優しいんだろう。
 俺は藪の葉をがさがさ鳴らすと、まるでたった今ここに来たみたいにして立ち上がった。魚がびっくりしてこちらを見た後すぐに涙を拭いたのが見えた。俺が異物なんだ。そこは素直にごめんと思った。
 俺は、自分がとってほしい距離をそのままなぞって魚の近くまで歩いていった。結構スパンを広めにとる。
「ごめん。俺これでも園芸委員なんで。庭見回りに行けって言われたのね。いつもはなんつーか、遊びに使うとき以外ここ来ないから。
 ごめん。どうしたの? 何で泣いてるか聞いてもいい?」
 充血した目に涙をためてなんて優しい面。人を傷つけようがない甘い顔。魚はうつむくと胸元にちいさく手を握り締めて、細い心臓を守っているようだった。
「いろんなこと。いやになった」
「うん」
 ああこれは俺があんまり言わないほうがよさそう。
「クラスの友達に女々しいっていわれて……。人を傷つけたくないって思うのって、そんなにいけないこと? 僕は何もいえないのにみんな色々、ズバズバ言ってきて、傷つけたくないんだってその一言がいえなかった。だからなんとなく適当にかわしてニコニコしてたんだ。
 でも、ほんとはさ……」
 いや、お前本当に女々しいと思うよ。俺もそう思うけど言わなかった。うじうじしてるのは好きじゃないんだが、以前の経験からしてこういう奴をあしらう時にそれを言っても何も好転しなかった。俺がもうすこしうじうじした空気に付き合ってやると、魚は急にまた泣き出して、涙の勢いでようやく言葉を押し出した。
「みんな汚いし。僕だって汚いよ。すごく汚いよ」

 ああ、思春期なんだ。なんだってこうみんな、切れたナイフみたいな気分になることがあるのかな。
「魚君さ。……つーかタメ口許可もらっていい?」
 魚は不思議そうな顔をしてこっちを見てた。
「……いいけど」
「ああそう。どうも。おまえさ、そんなに傷つきやすいならどうしてもうちょっと自分のために生きないの。自分で攻撃しなきゃ、自分がやられるかもっていう思考はないの」
「……」
「お前の言うとおり汚いのはみんな一緒ですから。平等じゃん。それをお前はなに一人、自分だけ可愛いです綺麗ですみたいな言い草してるの。それってナルシシズムだよね。思考が全く挟まってないよね。俺そういうの嫌いなのね。俺だって傷つくけどね、お前みたいに、何も考えないでめそめそしてるって俺そういうの一番嫌いなのね」
 ああ、俺青すぎる。今最悪なことを言っているかもしれない。しかも二回同じこと言った気がする。アホ過ぎる。感情がオーバーヒートしてる兆候っぽい。
 こんな奴適当にあしらっとけばいいってさっきまで思ってたのに。
「自分でもお節介言ってるとは思うよ。すいませんでしたほっとくべきでした。慰めて欲しいなら蟹か蠍のとこ行けよって思ったけど、お前そもそもここへ一人で来たんだもんな。俺だってそうするし。空気読めてなかったのは謝るよ! でもほんとムカつくんだわ。イライラするんだわ!」
 つーか何にムカついてるの俺は? なんでそんな致命的にダサいの? 青春ごっこ? 馬鹿ですか?
 喋り倒したあとにあからさまなため息をついて俺がこめかみを痛めていると、魚は瞳孔が二十パーセントぐらい大きくなった目でこちらを見返したまま口元を固くむすんでいた。やめてくれ。目力とか。そんな無形の力は困る。反撃がくる。

「強い人はいいよね。双子君はそれでいいんじゃないの。
 でも、僕は、そういう強い人が弱い人の口を何度も潰してきたのを見たから、そういうのが嫌いなんだ。弱い人の口を封じてなんとも思わない奴は最低だよ。心の底からそう思う。
 それだったら、僕は一番弱い奴で構わない」

 ぼろぼろ泣きながら魚が言い放った台詞に、俺は思いのほか反論の言葉を失って黙ってしまった。
 俺がいつ強いなんて言ったのよ。
 でも、俺が何か言葉を返そうと考えている間に魚はまた勝手に納得して涙をふいた。
「言い返してる時点で僕もそんなに弱くないや。何か、言えない事できちゃってたらごめん。
 ちょっとすっとした。ごめんね。ありがとう」
 いや、だから。
 俺は存外魚の言葉がショックだったのかもしれない。言葉がなくて曖昧にうなずいていたら、魚は簡潔に「帰るね」と告げて俺の横を通り過ぎ、一人で裏庭から出て行った。
 これがあいつらの勝ち方なのだろうか。それってなんだか、頑張って言葉で喋ろうとする奴にとって損な話じゃないのか。言葉を理解して欲しい。言葉で伝えようとする俺の努力とか、もう少しわかって欲しい。
 裏庭に呆然と立ってる時間が長すぎて風邪をひいた。そういえば射手とゲームをするにも、無理な寒さだと最初から思ってた。



 寄宿舎に戻って一人食堂でため息ばかりついていた俺を慰めたのは、いつもつるんでる天秤でも水瓶でもなくてまた射手の奴だった。こっちはこっちで寄宿舎に戻ってから乙女にやりこめられたらしい。こなしたはずの掃除のルーチンがなってないとかそんな理由で。
「双子、どしたの。外でナニでもして風邪引いたの」
「死ね。ほんと死ね」
「死ねって言った奴が死んじゃえばいいじゃない。ああなんか殺伐と傷つけあいたいね」
「なによそのポエジー。っつかポエジー派ほんと死ね」
「なに? ポエジー派となにかあったの? 俺ポエジーなの?」
「最低だよ世の中なんかああああ」
 べこべこのドラム缶並みにへこんでる。俺はテーブルに頭を接地させながら魚のことを思い出した。
 射手に対する乙女と似た関係なんだと思う。嫌いだし苦手だ。しんどい思いばっかさせられるから、その分、いつかわかってほしいと一番思う相手だから、わかりたいとも思うし憧れるから、そのスパイラルで、嫌いなのだ。
 世界がもうちょっと魚にとって優しくなりますように。


 - fin -

作品データ

初出:2008/11/22
同人誌『タンデム/重力』収録(※同人誌はR18)
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