連続テレビ小説「ちん」第一回

 江戸時代より続く日出づる国の首都・東京の丸の内という地域にわしの主君は小さな城を構えていた。丸の内ビルディング内にある「le Taureau《ル・トロー》」というショコラ菓子店がそれである。わしの主君は重厚なスーツに身を包み、オーナーとして日々店の経営を執り行っている。
 わしの名前は信玄という。主君のちんこだ。主君の友人に命名されるまでは名も無いちんこだった。主君である牡牛殿と共に生を請けてから数十年、それなりに充実したちんこライフを送ってきたとは思う。主君は店を切り盛りしながら品質を第一としたショコラを追求し続け、こうして首都の有名ビルに店舗を構えるまでになった。そして今日のこの日に至るまで一人また一人と得がたい人脈も築いてきたつもりだ。
 ……この人脈というのが問題なのだ。
 わしは最近主君に進言すべきか迷っている。いくら仕事が上り調子だからといって、これ以上多くの人間に気をもたせておくのはどうなのかと。



 その日は第二土曜で、慎ましやかな小百合さんが巣鴨からきていた。小百合さんの主君は蟹殿といって牡牛殿の甥っ子にあたる幼君だ。なんでも日頃面倒を見ておられる祖母殿が温泉旅行へ行ってしまったとのことで、朝から寂しそうであった。小百合さんとはたまに湯殿で一緒にくつろぐのだがその日は公の場ということもあり、衣の向こうに隠れた小百合さんに、こちらも衣の内側からそっと声をかけるだけに終わった。
『おじさん。最近遊びにきてくれなくて寂しいです』
『すまないな。また今度遊びに行くよ。一緒に風呂にも入ろう』
 ちんこ同士、衣越しの静かな存在感だけで通じ合う気持ちもあるのだ。主君同士も仲は非常によい。蟹殿はたまに遊んでくれるわしの主君のことを慕っておられるようだ。



 十時、丸ビルの開場とともに店舗開店。
 十一時ごろ中五郎氏が来店する。中五郎氏の主君は日本橋に勤める山羊殿という方だ。わしと中五郎氏とは大変親密な関係で、最近ご無沙汰だったのだがこの日ようやく顔を出してご挨拶することができた。双方涙を流して喜ぶ。熱い契りを結んだ仲だ。短い会談を終えると中五郎氏は山羊殿の衣にくるまれ、また主君と共に職務へ戻ってゆかれた。

 正午前、商談の予約をしてあった色男アンソニー氏が来店する。主君の天秤殿によく躾けられた品のよいちんこという印象。主君同士が商売の話をしている間も実におとなしく衣の中ですわっていた。表参道でうちのショコラを販売したいという天秤殿に対し、主君は温和な顔で気を持たせて返事を保留した。表参道という立地条件は悪くないが、何事も自分の目で確かめるまで決断はしないのがわしの主君だ。おそらく近日中にわしは表参道の土を踏むことになるだろう。

 一時頃、恥ずかしがり屋のマジョーリンさんが来店。主君の乙女殿は大手町勤務だそうだがここにはほぼ毎日徒歩で来られる。恥ずかしがり屋のくせにわしの前だとはしゃいでしまう可愛い主従だ。主君はわしとマジョーリンさんを直接ご挨拶させてもいいと思っているようだが、現在わしには中五郎氏がいるので正直なところしばらくはそちらを大事にしてもらいたい。

 二時頃、築地の早撃ちジョニー氏が来店。主君の牡羊殿同様小柄で勢いがありせっかちなちんこだ。わしの主君はこの場違いな江戸っ子が存外気に入っているらしい。ジョニー氏からは鮮魚市場の匂いがする。主君同士は専門分野は違えど、食へのこだわりで敬意を払い合っているようだ。

 三時前、永田町よりジャイアン氏が来店。いつものように議員秘書バッジをつけた主君の獅子殿をつれて店先でしばしふんぞり返っていた。スーツに包まれていてさえこんなにも態度が尊大なちんこは見たことがない。
『わざわざお前の主人のチョコを買いに来てやってるんだからな。どうだ、ありがたいだろう』
『いやはやかたじけない。しかし、わしが真に礼を申し上げたいのは貴君ではなく貴君の主君、さらにその上司のティラノ君なのだがな』
 わしらの会話をきいておったかおらずか、主君同士もなんとなく穏やかに牽制しあっているようであった。ジャイアン氏は常に偉そうにしているが、本当に怖いのは氏ではなく氏の裏に控えている国会議員の魚殿、そして魚殿に付属しているティラノ君だ。わしに信玄という名をつけてくださったのもこの主従である。
「二世議員というのも困ったもんだな。ここのチョコじゃなきゃ食えないときたもんだ。特にほら、あれ……何だったか。中に苺ソースが入ってるやつ」
「フランボワーズでございますか」
「そうそれだ。それが入ったセットじゃないとゴネるのが始末に終えん」
「こちらのトリュフ・セットもおつけしますか。お好きだったでしょう」
「ああ、頼む」
 低い声使いがどちらも美声である。議員秘書という上客相手に直々にチョコを売りながら牡牛殿はこっそり笑みを洩らしていた。主君とわしの仲だから知っていることだが、このトリュフ・セットが好きなのはティラノ君の主君ではなくジャイアン氏の主君のほうだ。案外甘党なのだと牡牛殿はわしにこっそり教えてくれたことがあった。ティラノ君とジャイアン氏は甘党コンビなのだ。
 この二人は国儀の場にわが主君のショコラを持ち込んでくれる貴重な人脈である。従ってわしと主君はこの客に対し、毎回礼を欠かさぬようにしている。

 さて、第二土曜の店は忙しい。一休みする間もなく四時ごろに秋葉原のピロリ氏が来店。主君の水瓶殿は三日ほどぷろぐらみんぐ作業に追われて風呂に入っていなかったらしく、服がよれていて著しく場違いである。衣の向こうからピロリ氏のぐったりした呻き声が聞こえてきたが聞かなかったふりをする。
「牡牛さん、もう限界です。癒してください」
「千二百円になります」
 主君のまろやかな笑顔は玄人のそれだ。ショコラをお買い上げいただく。ショーケースにしなだれかかった水瓶殿の下でガラスに圧迫されたピロリ氏が『ご主人様、僕もう二次元は嫌だよう』と掠れた涙声をあげていた。一度裸で一喝してやりたい気もするがわしにはやはり中五郎氏もいるので踏みとどまる。

 五時半頃、こんどは渋谷よりやんちゃなマイケル氏が来店。主君の射手殿もそうだが完璧な冷やかし客である。マイケル氏も射手殿もショコラと牡牛殿を見る目だけはきらきらしているのだからもう少し利益に貢献してほしい。牡牛殿がにこにこしているのをいいことに一方的に原宿のジャリチョコの美味さについて話を聞かされる。空気を読んでほしい。この主従の気まぐれさにはほとほと参る。

 七時半頃、お台場よりキャシャーン氏が来店。主君の双子殿は六本木ヒルズに勤務しており、うちのショコラで新作が出ると一週間以内に必ず買いに来る。双子殿は都内のショコラ店について詳しい。この方の下さる情報はわしの主君にとって何よりの手土産だ。
「今度うちのビルの中に新しいショコラの店がオープンするらしいんですよ。どうです、敵情視察がてら一緒に食べに行きません?」
「ありがとうございます。時間があったらご一緒したいところですが……双子さんにご都合のいい時間がとれるかどうか。申し訳ない」
「いやいや、牡牛さんと一緒ならいつでも予定をあけますよ」
『ご主人はこんなこと言ってるけどさ、どうすかぶっちゃけ。俺と軽くセクロスしません?』
『申し訳ない。そちらの主君のご好意は有難いが、あいにくわしには既に契りを結んだ相手がいるのでな。わしらは自重しようぞ』
 主君同士の交流とちんこ同士の交流は同時進行で行われる。衣の向こうでキャシャーン氏は軽くうなだれていたが、すぐに主君同様軽やかさを取り戻して元気になった。双子殿はどうにかわしの主君のプライベートに入りたくて仕方ないようだ。本当は閉店まで店にいたいのを毎回自制して帰ってゆく様はどこか滑稽であり、主従の外見に反して健気でもある。

 九時、閉店。最後の客は閉店五分前に現れた。
 いつもこのちんこは閉店前の数分間しか店に来ないのだが、その印象は滞在時間の短さに反比例してたいそう強くわしの脳裏に刻みつけられている。わしはこのちんこに出会うまで、ちんこたるものが黒いレースの衣をつけて許されるということを知らなかった。
 しのぶ……!!
 そう、そのちんこはしのぶという名前だった。氏と呼ぶべきか、さん付けで呼ぶべきかも定かでない。主の蠍殿は行く人行く人が振り返るほどの恐ろしい美青年だった。ただいつも短いスカートのドレスを着ていた。違和感はない。勤務先は新宿歌舞伎町二丁目だ。艶めく黒髪の下で微笑むルージュの質感が、まるで鮮血をつけたようで、蛇の腹のような白い肌によく映えていた。
「牡牛さん」
 手を掴むでもなく闇の中でそっと笑っているような蠍殿の表情に、主君はオーナーとして最大限の努力をして微笑まなければならなかった。
 主君は蠍殿が嫌いである。というのも、もっぱら主君を見つめる蠍殿の視線の引力が強すぎるせいで、主君への愛以外何も見せぬその得体の知れなさ加減が牡牛殿にとっては恐ろしいのだった。
「いらっしゃいませ」
「やっぱり社交辞令以上のことはしてくださらないんですね。そこの一番高いショコラをください。
 ──私、そろそろあっちのほう、手術しようかと思うんです。牡牛さんに本当に気に入ってもらえる身体になるために」
 蠍殿の言葉を聞いてわしの裏筋に悪寒が走る。すくみながら衣ごしにしのぶに呼びかけると、しのぶは血の気のない声で『こんばんは』と返した。
『おぬし、まさか。手術とはまさか』
『……信玄さま、短い間ですがお世話になりました。ぼく、ぼくいらない子だから。ご主人様のためならぼく、ぼく──』
『しのぶー!!
 主君の蠍殿が妖しい微笑と共にひらりと身を翻す。去り際に『信玄さま、さよなら』と囁くしのぶの声が聞こえた。引き止める間もなくしのぶは行ってしまった。どうにかして蠍殿に思い直してほしいとわしは精一杯首をもたげて主君に直訴したが、主君は何度も頭を横に振るとただ一言
「あれに一度関わるととんでもないことになる」
 とおっしゃられてわしが無力さにうなだれるのを待たれていた。



 ああ、人脈とはなんと罪作りな。
 閉店後、店で預かっていた蟹殿を車で家へ送り届け、その先で一緒に湯殿を借りた際に蟹殿は小百合さんを撫でながら牡牛殿にこう言っていた。
「きょうはいっぱいお客さん来てたね。おじさんってやっぱり有名人なんだ」
「そうでもないよ」
 わしが湯の中で小百合さんの火照った頬を見つめながら主君たちの話を聞いていると、話は無邪気にこう続く。
「おじさんはお客さんの中で誰が一番好きなの」
「一番か? うーん。そうだな。……一番はおまえ」
 なんと。
 中五郎氏の立場はどうなるのだ。それに他のもろもろのちんこらの立場は!? わしは猛烈に抗議した。小百合さんには悪いが湯の中で水面を見上げ小さなあぶくを吐きながら喚き散らしたつもりだ。
 我が主君よ。もうすこし自重なさってください。人のつながりは宝、一城の主ともあろうお方がそんな調子でどうするのですか。これからは気のないちんこへの誘惑はほどほどに……。
「蟹。お前も大きくなったら人脈とちん脈は大事にな」
「ちんみゃく?」
「そうだ。男はちんこと一体だから。男同士の人脈はすなわちちんこ同士のちん脈でもある。大事なことなんだぞ」
「へー!」
「でも、おかあさんには聞かないようにな」
 ……言外に、俺だけの責任じゃないぞと主君に釘を刺された気がしてわしは衝撃にうちふるえた。この世間には人脈だけでなくちん脈も存在するという事実をたった今知ったのだ。主君の重厚な美声でゆっくりそう言われるとわしでもなんとなく納得してしまう。
 持ち直し、襟の皮を正したわしに主人は水上でうんと一つうなずく。明日からはわしも一城を預かるちんことして身を引き締め、さらなる城の繁栄に向けてまい進せねばなるまい。
『おじさん、かっこいい』
『うむ。お前もまた遊びにおいで』
『わーい!』
 目の前ではしゃぐ小百合さんが可愛らしかった。モテるちんこ。モテちんとは実に大変で、誇らしいものなのかもしれぬ。


 - 続かない -

作品データ

初出:2008/4/1
TENSENのmikeさんの日記ネタ(08.3.18分)にオマージュしてみたネタでした。
・日本放送協会周辺の方々ごめんなさい
・いろいろごめんなさい
・mikeさんネタ使わせてくれてどうもありがとうございますた(・∀・*)
同人誌『世界終了一ヶ月前/いつもの。』収録(※同人誌はR18)
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