世界終了一ヶ月前

 あのさ。い、一ヵ月後に世界終わるらしいぜ。
 ──学校の横に広がる田んぼの緑が震えたつ五月だった。使いこなれた黒いタウンサイクルを傍らに、これから帰ろうとしていた俺をとっ捕まえて射手は宣告した。誰に言わされてるんだ? と俺は思ったが、射手の目はまるで何万光年も先の宇宙から帰還したばかりのように刹那的だったので俺はとりあえず奴の言を嘘と決めてかかるのをやめた。
「ソース(ネタ元)は」
「え、ソース? ない、けど」
「なんで俺にその話もってきたの」
「あ……」
 射手が口元を結んで無い風に肩を震わせるのが見えた。一ヵ月後に世界終わるとかね。アホかと。たとえ本当でもそんな短期間じゃ正直どうしようもねえだろと思う。自分ひとりで世界がどうにも変わらないとわかった奴から腹をくくる。俺の予想では世界が終わる日でも六割ぐらいの日本人が普通に仕事をしている。
 射手は、子供みたいにおぼつかない口取りで必死に俺に伝える。
「信じてもらえないかもしんないけど。たいよう、ひかってるじゃん。あの光の中から黒い弾が、で、でっかいのが落ちてくるのね。そいつが地面にぶつかって弾けると中から不吉なものがぶわあーっ! と一面に広がってさ。風と同じ速さで……いやもっと速いかも。とにかく一気に広がって、俺たち消し飛ぶの。無だね。原子になっちゃうね」
「へー。そんで俺なんだ」
「ああ、うん。最後の日が来るってわかったネズミが何はともあれ真っ先につがいのネズミが待ってる巣に帰るじゃん。俺は帰ると思うんだよ」
「うん」
「それと同じぐらいスーパーナチュラルな成り行きで、真っ先にお前んとこ」
 きました。
 うん。なんかこいつがとびきりの電波にひっかかってしまったらしいことは俺にもわかった。半そでの開襟シャツを着た射手の目は異様にらんらんと光って俺の鏡像を網膜に写しこんでいた。なんですか俺はお前のつがいですか? もっと地道なコミュニケーションによる橋渡しは忘れてしまいましたか?
「お前これから帰り?」
「うん。つーか帰る予定だったのを戻ってきた」
「二ケツする? 立ち乗りだけど」
「おう」



 けっこう力をこめて田園の道を突っ切っていくと、梅雨に入る直前の乾いた空気が顔を撫ぜて気持ちがいい。時々回りすぎた車輪が勢いよく小石を轢く。かごの中で跳ねる二人分の鞄。二ケツしながら俺の肩を掴む射手の手はしっかりと重くて、まるで両肩から自分の腕が上へと生えたみたいな錯覚を起こさせる。
「あのさあ、双子!」
「なに」
「お前さっき俺の話軽く流したけど」
「ああ」
「おれお前を愛しちゃってるかもしれないんだけど」
「あー、俺も聞いてビビった」
「チャリのせてくれたってことは……その、アリなの!? そういうの」
「世界が滅ぶまであと何日よ」
「あっ、三十日ぐらい」
「じゃーしょーがなくね? 俺一ヶ月で新しく運命の女に出会える気がしないわ。お前のほうが確率論的にまだアリだわ。一ヶ月なら」
 俺は終わらない日常が振り切れるなんて思っていないけどね。お前がそこまで本気で信じたいなら、冗談で口裏を合わせてやってもいいよ。目の前に広がる田畑は口惜しいほど彼方まで広がっている。自転車で駆け抜けてやっといくつか見える農家の家。これが楽園にみえるほど歳とれていないわけで。俺は意地になって射手をのせて駅まで走る気でいるけど駅までついてもそこも田舎の駅だから周辺も大したことないわけで。
 つまり、この、心臓を止めにかかる地獄から、抜け出したいわけだけど、ぶっちゃけ学生の俺には経済力が無く、それが常に足かせなのだ。自転車をこぎながら日常に発狂しかかるぐらいなら俺は不純同性交友でも何でもやらかして(それから余裕があれば彼女を作って)親を泣かせるぞ!
「あああああいっそ世界が滅んだほうがいい気がしてきたっつうの!!
「お前愛っていうよりかなりヤケじゃんそれ!?
「はあ!? 俺どこから喋ってた!?
「田舎がつまんないってとこから」
「えええそんな喋ってたか!?
「逃げたいよな。それは俺もわかる!」
 叫びながら射手の声の末尾が涙ぐんだ。そんなとこわかってくれなくていい。胸が苦しくて希望も無いまま死にたくなるだけだから。
「双子、大学になったらここ出ようぜ。東京に出よう」
「死んでなかったらな」
「ああ、そうだった。死んでなかったら。そしたら一緒に出ような」
 俺は背中を見ることができないけど知っている。射手は青空を見て叫んでる。
 もうすぐ駅に着くんだが、俺は射手とキスしたい気分になった。同時に、金輪際キスせずに今のこの感触を味わっていたいような、ずっと、自転車にのりながら肩を掴む射手の手を感じるだけの関係でありたいような、そんな不思議な気持ちになった。

 駅に着くと一軒きりのコンビニの前で射手を降ろす。射手はここから自分の自転車に乗って家へと帰るのだった。俺はといえば三時間ほどこのコンビニでバイトだ。学生の身の上で選べる金稼ぎには限りがあるわけで。
「サンキュ。乗せてくれて」
「コーラ奢ってくれてもよかないか」
「購買でコーヒー牛乳追加で買っちゃったから今80円しか手元に無いわ。わたパチ君でも買う?」
「……いや、いらね。じゃな」
「うん」
 別れ際に射手と目が合った。不意に示し合わせて息がとまる。
 射手は、はにかんで笑いながら手で顔を隠した。
「双子」
「……ん」
「今日も一日、素敵だった。ありがと」
 挨拶代わりに射手の手の先が軽く俺の手の甲をはたいた。俺は瞬時にその掠め方が射手にとって不本意らしいのを感じ、掌を翻して射手と掌同士をはたく。
 動悸がした。射手は同じように照れた様子で何度も「じゃあな」と繰り返し、逃げるように俺の前から走り去っていった。



 ああ。
 一ヵ月後にこの世界は終わるのかな。世界の終わりは六月なんだろうか。日本で言ったら梅雨真っ只中の時期に終結するんだろうか。スコールの中で死ぬなんてことになったら俺は傘もささず雨の中で一度は絶叫すると思う。若気の至りってやつで。
 それから、たぶん、本当に世界が終わるのなら、射手とヤることを考えて、それも違うって途中で思い直して、終わらない日常を生きながらえさせるために生きたいって考えるのかな。俺たちは夢の終わりと引き換えにとてつもなく美しい現実に包まれて死ぬだろう。俺は最後まで都会に出たいとか言ってる。しょっぱい。しょっぱい部分も大切なのはわかってるけど夢を見たいから射手の口車に乗ろう。生まれ変わったらカモメになってるとかハチになってるとかそんな当てずっぽうなやつ。生き物とすら言わないかもしれない。水蒸気になってるかもな。光の加減で色を変える雲の切れ端に。

 まぶしい光と風の中で自転車に乗って、俺の肩を掴んでた射手の左手、右手。
 遠くの青空にみるみる解けていくすじ雲を見上げながら、俺は永遠に今このときが終わらなければいいと思っていた。



(まあ実際には射手の予言は三週間後わけのわからないポイントで収束し、射手は太陽から降ってきた変な金属の塊をキャッチして世界の破滅を食い止めたんだけど。俺はそれが爆発しないように埋めちまえって射手に言ったんだけども。俺たちはその後もなんだかんだで長い付き合いになったんだけども。
 それはまた、別の話。)


 - fin -

作品データ

初出:2009/5/29
同人誌『世界終了一ヶ月前/いつもの。』収録(※同人誌はR18)
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