ならずものたち

 ぼちぼち雪も降り始める寒い季節に炬燵のある居間から冷たい板張りの廊下を眺めて、獅子は子飼いの書生少年に明日から詰襟でなく着物を着て居間へ来るよう言い渡したのだった。そのほうがはだけ易いからだ。獅子の言葉の行間を察した水瓶少年は聡いまなざしをつめたく細め、少年なりに生存をかけた諦めの表情を見せて居間を退出していった。
 二人のやりとりの一部始終を眺めながら、蠍はこれもぞんざいなまなざしで友人の面をじっと睨んでいた。獅子は半纏の袖をまくりながら気だるげに煙草をくわえて火をつける。
「俺も十四のときにそこの廊下で先代に手籠めにされた。ガラス戸を閉めただけでおよそ外から丸見えな場所だったよ。柘榴のはいった獣みてえに……。
 なあ蠍。だいたい俺らの貞操ってものは、そう大事にするもんじゃない」
 ふたり、似たような境遇を焼け石で暖めてしのいだ仲だった。少年時に親にも金にも恵まれなかったのをそれぞれ裕福な家に居候させてもらって、どうにか大人になるまで生き延びたようなものだ。蠍は主人の誘いが淡白だったから助かったものの、その命のぞんざいさ具合は若くして主人と行為に至った獅子と似たようなものだった。
「あの少年も仕込むのか。獅子」
「最初からそのつもりで顔がいいのを選んだ。頭もいい。せいぜい丁重に仕込むさ。貧乏でパン一つのためにくだらない盗みに走るよりずっといいだろう」
 どんなに獅子が愛情をこめてあの水瓶とかいう少年にあたっても、ひとたび行為をもてばそこには薄羽蜻蛉のごとき清澄な暗がりがつきまとう。だいたい獅子の主人も獅子が成人してすぐ結核で死んだのだった。蠍は、主人の教えを自分の身体で反復しようとしている獅子になんともいえぬ寂しいものを感じた。
「愛のためとはいわんが。おまえのあの少年への愛については、疑わんが、それにしてもお前はあの少年に取り返しのつかんことをやらかそうとしているぞ」
「何がいいたい」
「うむ。世間並みな言い方だが、居候までさせた書生なら手籠めにするのはやめておけ。かわいそうだ」
「俺の中に癖みたいにしみついてる怒りだぁ悲しみだぁはどうしてくれる」
「あの少年にぶつけるには筋違いだ」
「一番愛しているおれのものにぶつけて何が悪い
「あの少年がお前の一番なのか」
 蠍は獅子の面を見つめて黙っていると汗ばんだ手元を握り締め、獅子が煙草を吸い潰して一息ついたところで彼の横へとにじり寄った。獅子が伏せた荒々しい睫毛の下から蠍を見返す。
「なんだ」
「あの餓鬼は駄目だ。そんな精力があるなら、俺がもらいたい」
「俺は自分がお前におぼれてあの坊やが寂しくなるぐらいなら、あの坊やを囲いたいんだ。お前は駄目だよ。嫉妬深い目玉してやがるからな」
 ぐっと口元を結んだ蠍は獅子の前で顔を赤くしたり白くしたりと忙しかった。一旦何が欲しいか自覚するととことん欲深い面だ、と獅子は洒脱まで後一歩のいやらしい笑みを浮かべた。
「謙虚でいられるか。蠍」
「謙虚?」
「そう。俺はお前と寝るのは別に構わん。だがお前に全部はやらん。親も金もないあの頭でっかちな坊やを、もう少し構ってやりたいんでな。お前があの坊やを締め出さずに、俺と関係を持つだけで満足できるなら今布団を敷いてやってもいい」
 蠍の困った面を、にやにやと眺めて待っている。蠍は控えめな欲望に負ける。うつむいて獅子の半纏を小さく掴み、ぼそぼそした声で「わかった」とつぶやくと獅子の身体を衣の擦れ合う距離まで近づけた。
 見上げた目が低温動物のように透明だった。すぐさま接吻して舌を這わせ口の中の熱源を浚いあう。特別理由はないが獅子と蠍はお互い欲しいものを欲しいと表明しておくことにしたのだった。お互いの身体を大切になどしない。どちらも粗い存在感しかないのだから、欲しいうちに喰らっておく。



 うっすらと日がくれ、蠍が衣服を整えて獅子が寝たままの寝間をあとにすると家の中は重々しく冷えていた。熱いのは襖を閉じきった寝間だけだったようた。家人に知られぬようそそくさと玄関まで歩いていくと、途中で視線を感じて足が止まった。
 蠍は重い頭を上げて気配のほうへと振り返る。
 未発達な身体を詰襟に包んだあの書生が、歪んだ、絶望的な顔でこちらを見ていた。

「よう。俺はお前さんの主人と寝たが、あいつのお前さんへの愛は変わらないよ。
 寝たかったなら一歩、遅かったな」
 自分でも地を這うような低い声だと思って軽く咳払いをした。書生の少年はひどく動揺している。混乱は察せられるものの、さっきまで男と寝ていた肉体で少年に絡むのはあまり教育上良くはないだろうなと思って、蠍は玄関に下りると革靴を履いた。
「失敬」
 がらがらと引き戸から外へ出て丁重に戸を閉めた。外に出たとたん、吐息が凍って目の前に白いもやが湧いた。


 - fin -

作品データ

初出:2008/11/17
同人誌『太陽の色彩/ならずものたち』収録
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