クリック最強決定戦

 二月に入ってもっとも寒さが厳しい季節。世間では菓子メーカーを筆頭としたバレンタイン・キャンペーンが盛大に銘打たれ、世の男性たちは女性たちの顔色を伺いながら一喜一憂する日々を送っていた。
 だがここにそんな世情とは関係ない三人の男たちがいた。それぞれ牡羊、獅子、射手という名である。
「羊、みかん切れたから買ってこい」
「えー。おまえ行けよ獅子」
「射手、頼んだ。昆布茶も入れてくれ」
「出られません隊長」
 三名は高校から下校した後近くの射手の家でこたつに入ってぬくぬくしていた。牡羊がこたつ前に据えつけてあるゲーム機でアクションゲームをやりながら合間にあくびを漏らしている。獅子と射手に至ってはこたつから首しか出ていない。寒がりと無精者のコンビだ。
「羊ー、隊長ー。今年バレンタインあるじゃん」
「終了」
「同じく」
「一縷の望みもないのかっ!」
「ない!!
「皆無!!
「俺もない!! ……あーおまえら最低だぁ」
 尻切れトンボな気の抜けた台詞を垂れ流しながら射手がこたつの中で寝返りをうった。部屋の中が男くさい上にたるみきっている。足を動かすと獅子の太い足や牡羊の筋っぽい足が複雑に絡み合ってごつごつ当たる。

 もうこうなったら遊ぶしかない……。

 あまりにも退屈な午後に振り切れた、というより常に振り切れている射手は、ここでふと(チロルチョコを乳首に装着してファイトしたい)という天啓を得た。このレベルの下らない天啓を常に逃さない。それがこの男の生き様。
「なー隊長」
「なんだ」
 射手はもぞもぞとこたつから外に這い出すと隣の角に顔を出し、頭だけ外に出して寝そべっている獅子の顔を真剣なまなざしで見つめた。
「チロルチョコを乳首に装着してクリック最強決定戦。や ら な い か」
 最強の二文字に獅子の顔が真顔になり、横でゲームをしていた牡羊の手がぴたりと止まった。三人の中で漢の血がふつふつと騒ぎ沸き立ってくる。射手が真剣な顔で返答を待っていると、獅子はやがて真顔から口の端を上げてにやりと笑った。
「フッ。俺に勝てると思っているのか」
「やってみなきゃ誰が最強かわかんねーじゃん」
「おもしろい。受けてやる」
「しゃー!」
 獅子が「フハハハハハハ」と不敵な笑いでこたつから出てくるのにあわせ射手は小躍りしながら「チョコ買ってくる」と叫んで家を飛び出し、十分後にはチロルチョコ十粒と透明なガムテープを買って家に戻ってきた。牡羊はゲームを中断するやいなやこたつを横にどけて戦闘フィールドを作り、エアコンをつけて部屋の温度をキープする。
 道具がそろうと射手と獅子は当然のように脱いで上半身裸になった。胸板の厚い獅子の体はパワー重視、かたや細身の射手はスピード重視の体格のようだ。
「乳首アーマーはミルク・ビスケット・コーヒーヌガー・いちご大福があるぜ! どーする隊長」
「いちご大福に決まってるだろうがァ! よこせ」
「よし、じゃ俺はミルクで勝負をかける」
 にらみ合いながら両者は地味にチロルチョコの包装紙を二粒ずつ剥がし、いつのまにか審判役になった牡羊のサポートを得て透明なガムテープでチョコを両乳首に貼り付けた。
 勝負のルールは単純である。審判がゲーム開始を宣言してから戦う二人は「カバディ」と連呼し続け、息が切れる前に相手のどちらかの乳首を狙わなければならない。丸めた雑誌片手に対戦者二人を抑える牡羊の手に汗が滲む。
「いいか、両者フェアプレーで己の肉体一本で勝負だ。武器はなしな」
 牡羊の宣言をよそに獅子は体から熱気をのぼらせて射手を待ち構え、射手は小刻みに体を動かして体を温めていた。
「始め!」
 牡羊が雑誌を振り上げるのと同時に二人の口から小さい「カバディ」の連呼が漏れ始める。勝負は一瞬。獅子と射手は口を動かしながらじりじりと距離をつめ、ある一点で射手が必殺の間合いへと飛び込んだ。矢の様な右手の人差し指が超スピードで獅子の左乳首に襲いかかる。
 ──ぬるいわ!
 獅子が半身をそらして射手の猛突をかわした。しまったと顔をゆがめる射手。がらあきになった射手の左胸の乳首に、獅子がアッパーカットをかける形で下から人差し指を突き上げた。
 透明なガムテープの下でチロルチョコが射手の乳首と一緒に縦に弾けた。
「あんっ!」
 牡羊がゴング代わりに雑誌で壁を叩いた。射手は一瞬の切なげな顔のあとに自分の一本目の敗北を悟り、悔しそうに歯噛みして頬を赤らめ弾かれた乳首を隠した。獅子は得意げな顔のまま仁王立ちをして笑っている。腹立たしい。
「べ、べつにまだ負けてないんだからね! もう一本あるんだからね!」
「何回勝負だろうと俺に勝てるはずがあるまい」
「負けないんだからっ!!
 ふざけながらまた部屋の両端に仕切りなおす。火照る二人の胸の上で貼り付けられたチロルチョコは熱を蓄え、ゆっくりと柔らかく溶け始めていた……。



 ──もちろん最強の名は譲れない。この戦いで勝ったほうが、今度は俺と勝負だ。一番強いのは俺なんだぜ。
 内心でそう思いながら対戦する二人を抑える牡羊だった。彼は部屋の周りを見回し、数秒後に目撃することになる。
 射手の買ってきたチョコはチロルチョコだけでなく、マーブルチョコもあるのだということを。


 - fin -

作品データ

初出:2008/2/13
同人誌『雪の山荘殺人事件/Android』収録
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