Android

 西暦三〇××年。今日も地球は平和であった。
 都市の上へ広がる明け方の空に横様に朝日が差しはじめ、いわし雲に光の波模様を作る。そこからはるか下へミクロにズームインを繰り返していくと大通りのビルの中にあるボロ臭いテナントへと繋がる。収納スペースの不足からあらゆる壁という壁スペースに物が置かれ、メカやコードが張り巡らされているのが貧乏の証。何かの実験室とおぼしきその部屋の中央で、裸の男が一人作業台に寝かされていた。
 ドアが開いて白衣の男が一人と、メカニック用の装備を腰に帯びた青年が中に入ってくる。
「……なあ水瓶博士」
「なんだい、牡羊」
「なんでうちって、こういうシモ関係のカスタマイズばっかり多いの?」
「俺がその手の権威だから」
「嫌な仕事だ……転職しようかな俺」
「何を言ってるんだ。お前はメカニック面の最終的な施工しかやってないから知らないんだろうが、この性器パーツとAホールの稼動には大脳プログラムと連動した高度なアルゴリズムが必要なんだぞ? 例え国家単位であろうと尻から鶏卵を割らずに産卵できる人型アンドロイドを作れるのはうちしかない!!
「そんなソフトリーな機能ケツ穴につける意味がわかんねえよ!!
「おろかな……。お前これ一部のユーザーに大人気なんだぞ?」
「一部に大人気ってことは流行ってねえし大体必要ねえってことなんだよ。その科学力をもうちょいメジャーなことに割いてくれよ」
 ……小さな研究所の経済状況は科学者よりも青年の主張に同意していた。科学者とメカニック二人のタッグが食べていくだけでかつかつなのだ。高性能アンドロイドを提供して得た金はほとんど砂が水を吸うがごとく、次のアンドロイド制作費に消えてしまう。
 牡羊青年はグローブを嵌めた手でケーブルを取ると作業台に寝そべる男性ボディの下腹部の皮を剥がし、人工皮革の下にある金属骨格部の中からプラグ差し込み部分のカバーを外してコネクタを差し込んだ。プログラムの小さな駆動音とエアー排出音とともにボディ股間部分の骨格がぱっかり開き、研究所の中にはしばらくネジを仕込むドリルのやかましい音が響く。



 当世において、アンドロイドビジネスは一つの大きな流れを作っていた。外見上は人間と全く変わらないアンドロイドを作れるところまで技術が発達している。産業用だったアンドロイドは擬態技術の進歩によって愛玩用ロボットへと生まれ変わり、今では一人暮らしの老人や子どもを失った親、伴侶を失った未亡人のために実在の人物を再現した擬態が開発されるまでになった。
 水瓶と牡羊の二人は、この小さな研究所で主に故人を再現したモデルのアンドロイドを製作して生計を立てている。依頼がくるのは大体成人男性タイプのアンドロイドばかりだ──これがこの研究所の評判というやつで、もっぱらシモ関係が高度にカスタマイズされたものを作っている。たまに未成年の男性タイプでカスタマイズも依頼されるが、これは断る。現行の法律には違反するからだ。
 故人の死亡を確認できる死亡届、及び大まかな外見の特徴と顔写真。これだけあれば最低限の代理アンドロイドを作ることができる。けっして安価ではない品だから、そこへあえて依頼を持ってくる客は大抵それ以上の膨大な資料を嬉々として二人のもとへ差し出す。病院や生命保険会社に保存されている全身のスキャニング・データ、過去の日記、デジタル化された自宅撮影の動画、故人の頭髪(DNA複製目的ではなく髪質を近づけるためだ)、依頼人によるノート一冊分にもなる特徴のメモや、マニアックなものになるとシモの張り型まで。指紋や眼球の光彩データは再現してはいけないことになっているので、この辺はアンドロイド用の統一規格にした後で適当にごまかす。
 水瓶はそれらのデータをコンピューターを駆使して普遍化し、なるべく統合されたデータにしてアンドロイドに叩き込む。そして外見的なカスタマイズ部分の末端を牡羊に任せる。全てが終わったらアンドロイドに人間と同じ服を着せてやって、水瓶がリモコンでを起動させ、が自分の力でちいさくまばたきを始めるまで待ってやる。
「……」
「あ、起きた起きた」
「……ここは?」
「ここは研究所です。あなた、うちの前で行き倒れていたんだよ。おはようございます」
 は目覚めたときにはもう自分がアンドロイドであることを忘れている。
 水瓶と牡羊は彼が起きたときから細心の注意を払い、彼を人間と同じようにして扱わなければならなかった。短髪の黒髪に切れ長の一重、スキンは黄色人種用、アジア系の黒い瞳が水瓶と牡羊をゆっくりとらえた。彼の原型になった故人の名前は「ヤギ」といった。
「なんだか、変な気分だ。行き倒れって私は一体何をしたんですか」
「強盗にでも遭ったんじゃないでしょうか。最近の強盗はかなり質の悪い揮発性の薬物を使うから」
 水瓶が冷静に助言をするのに合わせてヤギは頼りなく自分の体をまさぐり、ズボンのポケットを叩いて何も入っていないのを確認した。
「バッグは」
「何も落ちてなかったよ。あんた名前は?」
「ヤギです。ああ……やられたんだ。バッグの中に何か大事なものは入ってなかっただろうか。思い出せない」
「もう少ししたら薬も抜けてハッキリしますよ。落ち着きましょう。一人で家まで帰れますか」
 ヤギは頭を抱えて首を横に振る。水瓶も牡羊も、ヤギの意識がぼんやりしているように設定してあるのがわかっての小芝居だ。このまま二人で依頼主のもとへ彼を送り届けなければならない。
「家に、誰かご家族のかたは」
「家族……いいえ、友人とルームシェアして一緒に暮らしているのです」
「迎えに来てもらう?」
「いや……自分で……」
 ヤギの言葉が止まる。帰り道が思い出せないのだろう。そんな細かいデータまでは入力していないのだから仕方がない。こういったエラーは逐一内部のメモリに記録され、後で依頼主が専用のソフトを使って正しいデータを入力・調整するようになっている。
 アンドロイドはわからなくなったとき、次善の策をとるか、設定してあった家に帰るか、その場にじっと待機することを選ぶ。知らない場所で彼らがエラーを起こし、同じところで何時間も誰かが来るのを待ち続ける姿は幼い子どもの取る行動そのものに見える。
「やっぱりまだ薬が効いているんですよ。無理しないで、お宅までお送りしますから何か思い出したことだけでも教えてください」
「見ず知らずの方にそこまでさせるわけには」
「いーからいーから。どうせ仕事明けで暇だから俺ら。それより誰かに連絡入れといたほうがいいよ。家か相方に電話してみたら?」
 外見の年齢のわりにどこか無垢さを残すヤギの動き。牡羊は彼に研究所の携帯電話を差し出すと、そのまま水瓶と一緒に彼が依頼主のもとへ電話をかけるのを見守っていた。
 電話を持つヤギの顔色が小さな困惑を浮かべた。故人と同じ声で電話がかかってきたとき、依頼主の多くが感極まって泣く。
「代わってくれと言っています。どうぞ」
「どうも」
 ヤギの差し出した電話を水瓶が受け取り、当たり障りのない会話で巧妙に製品の仕上がりを依頼主に告げる。牡羊にはできない芸当だった。牡羊は作業台から降りようとするヤギに靴を差し出してやり、ヤギが自分と同じ筋肉の動きでうまく靴を履くのをしみじみ眺めた。これも極めて複雑な人工筋肉と人工関節の動き、及びバランス・プログラムの制御によって成り立っている。
(よくできてる)
 しばらくすると電話を切った水瓶が戻ってきた。三人は牡羊の運転するエア・ワゴンに乗ると昼の都会へ飛び出し、ヤギの自宅へと向かった。



 家庭用アンドロイドCA11型、シリアルナンバー821──愛称「ヤギ」の製作を依頼した依頼主は、その名前を蠍といった。同性愛者で恋人の山羊という男と同棲していたが山羊が急性の宇宙病に倒れ、そのまま帰らぬ人となる。彼が故人になって数年経ってもなお、彼の部屋はそのままの状態で保たれ定期的に掃除をされていた。
「すごく頭がぼんやりする割に、人のことはよく覚えているのです。相方とはもう数年一緒に暮らしています。あいつは私が強盗に遭ったなんて聞いたらもっと怒るものかと思ってたんですが」
「あなたが帰ってこなくて心配したんでしょう」
「ああ、そうかもしれない。あんなに泣き虫だとは思いませんでした。たかが一晩かそこいらなのに」
 嬉しそうな苦笑いだった。水瓶はヤギの隣で彼がめずらしそうに外の風景を眺めるのを見ている。数年で様変わりしてしまった街の変化を全て薬物による違和感と処理させているが、しばらくは依頼主も寝る間を惜しんでデータ設定に励まなければならないだろう。
 牡羊がエアワゴンを小さなマンションの前に乗り付ける。三人はワゴンを降りて蠍の待つ部屋まで歩いていくと、ドアの前に立ってそっと入口のチャイムを押した。
 ややあって、ドアが開いた。中では頬のこけた地味な男が精一杯清潔にした身なりをし、目を充血させてアンドロイドの到着を待ち構えていた。
「ただいま。……俺のいない間に何か悪いものでも食べたのか? やつれたな」
 蠍はもうまともな言葉を出せなかった。泣き歪んだ顔になったかと思うと無言でヤギを抱きしめ、人目もはばからず薄くなった体を震わせて泣き声をあげた。ヤギは牡羊と水瓶の視線を気にしながら声をあげて蠍をいさめる。蠍が夢中で泣き笑い、感情をだだ漏れにさせる姿がヤギには不可解であるらしかった。
 水瓶と牡羊は微笑みながら二人の姿を見つめていた。いくら貧乏でシモにまつわる仕事でも、このときだけは何物にもかえがたい達成感を感じることができる。



 彼らはアンドロイドと依頼主に見送られてまたあの研究所へと帰る。次のアンドロイドを作るために必要な部品を市場や業者から物色し、ときに商売敵とぶつかったり馴染みの人々と話をしたりしながら。そろそろ研究所を収納スペースの多い別テナントへ移そうぜと牡羊はつねづね主張するのだが水瓶は「現状で別に困らない」の一点張りで引っ越す気配もない。
「蠍さんとヤギ、うまくいくといいな」
「そうだな。来週のメンテナンスまでに馴染んでくれればいいけど」
「うん。……俺さ、あいつらアンドロイドが靴履くの見るときに、いつもこのまま壊れませんようにって祈るんだよ。あの瞬間ってどんなアンドロイドでもみんな同じ動きするから」
「そうなんだ?」
「うん。家庭用のは起動させたばかりだと本当に正確に同じ動きをなぞるんだよな」
「プログラムが育ってないからね」
「俺さ、人ごみを見てても生まれたてのアンドロイドはすぐわかるんだよ。あれって何日間ぐらいプログラムがそのまんまなんだ?」
「多分一ヶ月ぐらい……記憶部分の処理が落ち着くまでは手がつかないんじゃないかな。優先度低めに設定してるし」
「へえ」
 研究所に戻ると、据え付けの留守番電話には何件か同じ依頼者からのメッセージが入っていた。牡羊と水瓶が馴染みの場所にもどってきてほっと息をつき、骨を休めながらメッセージを再生させた矢先だ。電話から苦情の声が流れてきたのは。
 水瓶と牡羊はインスタント・コーヒーを啜りながら眉をしかめて依頼者の苦情内容を聞いていた。三年前に製造したアンドロイドの規格が気に入らないという。
『とにかくやることなすこと全部が気に入らん。従順すぎて……まるでロボットみたいじゃないか。昔のあいつはあんな性格じゃなかったんだ! 製造元なら責任を取って何とかしろ。出るまで何度でも電話するぞ』
 自らを牡牛と名乗ったあと、電話は唐突に切れた。メッセージ終了後数秒間の沈黙の間に水瓶は軽く溜め息をつき、牡羊は仏頂面になって一気にコーヒーを喉へ流し込んだ。
「三年前って。うちの品質保証はずっと前からお届け後十日間だけだっつの」
「維持費をけちったんだろうな。定期的にアレンジャーを噛ませればよかったのに、一人で全部データを打ち込むからそうなる」
 アレンジャーとはアンドロイドがエラーを起こしたときに依頼主に代わって独自のデータを打ち込む、システムエンジニアのことをいう。資格取得には対人カウンセラーの免許と専用のシステム・アドミニストレータ(情報処理)免許という全く違う分野の免許が両方求められ、そのせいもあってか資格を持っている人間はかなり少ない。水瓶が作り出したアンドロイドの寿命は、製造後依頼者がどれだけ自分のアンドロイドを定期的にアレンジャーに引き渡せるかで決まっていく。
 二人が不機嫌になっているところへ今度こそ電話の呼び出し音が鳴る。水瓶と牡羊は顔を見合わせると二人して無言で肩をすくめた。やがて水瓶がやや強気な態度で電話の通話ボタンを押した。
「はい水瓶アンドロイド工房です。……ああ、はい。牡牛さん。留守番電話の中身承っております。牡牛さんがどうしてもと仰るならこちらのほうに初期のバックアップがありますから、初期化することもできますが。……ええこの三年分のデータを消します。全部。…………いいですか、大きな声を立てないでください。最初の契約時に念を押しましたよね。は定期的に複数のアレンジャーに頼んで、メンテナンスするようにと。どうもお話をこちらで判断するに、あなたがそのメンテナンス作業を怠ったように思えるのですが。……そうですかそれは失礼しました。それではこちらでを引き取ったあと履歴を覗いてみましょう。そうすれば原因もわかるでしょうから。ね」
 水瓶は無言のまま電話の向こうの声を聞いている。理知的であることほど、冷たいこともないのかもしれないと牡羊は時たま思う。
「牡牛さん。最初にお送りした資料は読んでくださいましたか? なるほど。分厚くて読めない。よろしい。では必要な箇所だけ。
 アンドロイドはエラー時のデータ入力を繰り返すうちに予想不可能な行動をしなくなっていくんですよ。あなたが全てデータを入力すればそれだけが早くあなたの思い通りの人形に変貌してしまうということだ。喚かないでください。あなたもそれを望んだんでしょう?
 アンドロイドは後天的な学習によって、人間よりも遥かに早くあなたそのものになってしまうんです。あなたは壮大なマンネリの時代を一足早く迎えただけだ。若い時代を振り返る倦怠期の夫婦と一緒になってしまったんですね。そうならないためにアンドロイドにはなるべく複数人によるデータ入力が推奨されている。だがあなたはそれを怠った。もうあなたに新しい価値観を与えてくれる新鮮な恋人は居ない。
 ……泣かないでください。こちらも優秀なアレンジャーを何人か知っています。アドレスをお教えしますからあなたの恋人をそこを連れて行くといいでしょう。それと個人的な経験からですが、データ入力は本人の肉親や、当時の友人などにも頼むといいと思いますよ。同年代の友人が意外との年齢に応じたデータを入れてくれるものです。……はい。頑張ってください。それではこれで失礼します」
 水瓶が通話口から耳を離し、電話を切る。小さな研究所内に牡羊の大げさな拍手が起きた。水瓶は一息ついて電話を置くと、テーブルにのせてあったコーヒーをとってぬるいまま一気に飲み干した。
「お疲れ」
「どうも」
「データ入力ってのもなるべく減らせるようになるといいのにな」
「家庭用の機体じゃあれが限界だ。本当に自立した人工知能を作ろうとしたら、何年あっても足りないんだよ」
「でもそれじゃ俺らが食いっぱぐれるしな」
「そう」
 ビルの窓から差し込む西日が室内の機材を丁寧にあまさず嘗める。水瓶は遠い目をして光の中に立ち、逆光を見据えて目を細めた。
「人間はアンドロイドが手に入ると人間が欲しくなるものなんだ」
「……」
「愛する人間の行動が全て読めるようになってしまうことほど寂しいことはない。それができた瞬間に、どんなに良くできたアンドロイドでも、いや人間であってもそこらの冷蔵庫や掃除機と同じ魂のない家電だと見做されてしまう。ただの家電に欲情する人間はいないだろう」
「いるかもしれないぜ。一部」
「それは自分の妄想に欲情してるんだと思うよ。でも家電はそんな楽しい期待には応えてくれないし、寂しい思いをするだけだ」
 夕日で強い陰をつくる水瓶の背中を牡羊がなだめるように叩いた。相棒には寂しい思いをして欲しくない。そんなつらい気持ちはきっと、体を動かせば忘れられるだろうに。
「頭がいいのも結構だけどさ、体も動かしたほうがいいぜ。バランスバランス」
「……そうだね」
 水瓶が苦笑する。牡羊は水瓶をうながすと、ヤギが無事に巣立った後の研究室をせっせと片付け始めた。貧乏は部屋をきれいにすると去っていくのだ。牡羊は明日からも稼ぎに余念がない。さっさとでかい仕事をやっつけて、研究所を大きくして、こんな小汚いテナントは出て行ってやるぞと鼻息も荒く息巻くのだった。



 どうにか研究所の片づけを追えると、もう夜になっている。牡羊はひととおり綺麗になった部屋に満足すると水瓶と二人で夕食をとってシャワーを浴び、一足先にベッドで眠りにつくことにした。
「お休み」
「うん、お休み」
「あんまり根詰めるなよ」
 水瓶はパソコンのキーボードに指を走らせながら笑っている。今日は届けたヤギから最初のデータが届く。水瓶はそれらの処理をアシストしてから様子を見守り、頃合を見て遅くに眠りに就くのだ。
 今日も一日働いた。牡羊はシャワーを浴びてリラックスした体をベッドに横たえると布団を被り、ものの五分で熟睡して寝息を立て始めた。

 水瓶は、牡羊が眠った後もデータ入力を続けている。いつも眠るのは牡羊が先、起きるのは水瓶が先だ。牡羊はひとたび眠りにつくと水瓶が先に起きるまで決して目を覚ますことがない。
 牡羊が眠り始めて十分ほどすると、彼の内部でプログラムの終了音がして動作が完全に停止した。牡羊の呼吸はあどけない寝顔のまま止まる。水瓶のパソコンに専用ソフトのメッセージが立ち上がり、水瓶はパソコンの前から腰を上げて牡羊の眠る寝室へと入ってゆく。
 牡羊の腋の下に密かにつけられているコンセント。服を脱がせて人工皮革をそっとずらし、夜中にそこへ充電器のプラグを差し込んでやるのが水瓶の仕事なのだった。牡羊の体は人肌のぬくもりを保ったままぴくりともしない。意識がないのをいいことに、あらわなままの彼の胸元へ水瓶は自分の頭をのせる。

 電化製品の動く小さな音だけが聞こえる。
 水瓶は苦しそうに牡羊の体を抱きしめたものの、それ以上のことは何もできなかった。牡羊の下半身には人間と同じ規格のカスタマイズしかしていない。もし彼と行為に及んでしまえば、自分は多分嘘をつき通せなくなる。だから何もしない。
 最初はただ、同じ姿のものが目の前で動いてくれるだけでよかった。それだけで愛し抜けるという自信があった。
 ──だけど人間はアンドロイドが手に入ると人間が欲しくなるものなんだ。

「寂しいよ。牡羊」

 研究所の壁の一角には二人の写真が飾ってある。目の前の牡羊は自分が映っていると信じて疑わないもの。だけど実際には、それは水瓶と事故で死んだ男のもの。
 アンドロイドがいても死ぬほど寂しい夜がくる。それでも、だれも、目の前のこの形骸を取り上げられることに耐えられないのだった。蠍も牡牛も自分も。たくさんの誤差が現れる。それが機械にすがりついてまで一人のものを愛する人間の負うべき痛みなのだと、水瓶は何度も自分自身にいいきかせている。



 - fin -

作品データ

初出:2007/12/5
同人誌『雪の山荘殺人事件/Android』収録
いいね・ブックマークはpixivでもどうぞ